①-4

「人間という生き物は、生きるために何かを消費している。それは、揺るぎの無い事実」

 義堂は空を見上げながら、吟じるように言った。

「カロリー、酸素、食物、エネルギー、体力、そして……他人」

 安倉は、何かが腑に落ちるような感覚を得た。自分が言語化できなかったものを、彼女は言葉にして、形を与えてくれているように感じる。

「それに基づかない〝善〟というものがあると信じている人もいるけど、そんなはずがない。必ず、何かを消費している。それは〝善〟を施される側かもしれないし、施す側かもしれない。けれど、消費される限り、尽きるものだし、ただで与え続けることもできない、ということ」

 彼女は、善意というものを基本的に信じていないらしい。安倉には、そういったものが存在しなかったので、首肯した。

「そして、貴方の暴力も、他人の負の希望、怒りや暴力衝動といったものを媒介にして、発動されている。貴方は、その膨れ上がったものに、代償を与えている。多分、そういうことよね」

 どうして彼は、他人の負の願望を許せないのかと思っていたが、それならば、何となく納得できた。

「例えば、さっきのめしていた彼ら。彼らは貴方を通して、自分たちの強さを確認したかった。だから、暴力衝動が沸き上がった。そして貴方は、それを消費させてあげるために、やり返した」

「……」

 安倉は、考える。特に、これが彼らのためになる、などとは思っていない。売られた喧嘩は、買うだけだ。ただ、買わない、という選択肢は、何故か自分の中になかった。

「私も、同じ。他人からの消費を、あまねく承諾する。ただそれが、負の希望ではなく、正の希望、というだけ」

「どうしてだ」

「消費する側は、私の上に立っている、と勘違いする。でも本当は違うの。私が、彼らの中に入り込んでいるのよ。彼らの体の一部となり、いずれ、私無しでは生きていけなくなる。それが、私の狙い」

「それに、どうして俺が必要なんだ」

 義堂の考えは、面白かった。しかし、その壮大な野心に、どうして今日急に会った暴力の化身のような男が必要なのか、わからなかった。

 安倉の質問に、義堂が月明かりを目に映して、応える。

「言ったでしょう。貴方と私は、同じ。表裏一体なの。正だけじゃあ、人を完璧には支配できない。負も呑み込んでこそ、完全になる」

 彼女は、平然とそう言った。

「それが、どうして俺の思いが生きる場になる」

 無愛想に問い続ける安倉に、義堂は優雅にふわりと微笑んで、返した。

「だって貴方も、本当は証明したいんでしょう? 人間が、まったく信用ならない生き物だ、ということを」

 安倉は、ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けて、その言葉を発した少女を見た。

 少女は、大したことを言っていないかのように、平然と佇んでいる。

 月が雲に隠れて、義堂が影になる。

 そこに立つのは、少女なのか、それとも――。

 気付けば安倉は、差し出された手を、自分の掌に載せていた。

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