第35話 変わる日常
「ごちそうさまでした」
お代わりをしたご飯の最後の一粒を食べ終え、箸をおいた僕は母さんの方へ向き直ってから、心を込めてごちそうさまをした。
「味はどうだった?」
「あ、うん。美味しかったよ」
「あなた達の普段の食事と比べるとどう? 正直に言うと?」
「う……」
詰め寄ってくる母さん。その眼差しは本気だ。
適当なことを言っておこうかとも一瞬考えたけど、これは正直に答えるしかないか……
「久しぶりに食べたとか、そういう思い出も含めて同じくらい……かな?」
「そう……私もあの人の料理、食べてみたいわね」
かすかに聞こえるくらいの返事をして母さんは、ちょっと悔しそうな表情で振り返った。
きっと料理好きということもあり、この分野でセシルさんをライバル視しているのか……まあ、なんにせよ僕には関係ないけど。
「まだ、もう少し時間あるんでしょ。あなたもコーヒー飲む?」
「あっ、ちょうだい」
「砂糖は……」
「もちろん無しで」
「そろそろ、来るはずだけどな……」
ブラックコーヒーを飲み終えて、改めて身支度を終えた僕はソファーに深く座り、その辺にあった父さんが買ってきたらしい青年漫画雑誌を読みながら時間をつぶしていた。もう来るといっていた時間を少し過ぎている。
だけど……口ではそう言っているけど、心のどこかではもうちょっとこのままでいいと思っていた。
もちろん久しぶりにこの街をセシルさんと一緒に、自分の足で歩いて回るのも楽しみではある……けれど、こうやって家でぼんやりしながら過ごす時間が考えていたより心地よかったからだ。
「……ん? 今、チャイム鳴ったよね」
「鳴った……んじゃない?」
そんな一時の幸せな怠惰の時間も、玄関で鳴ったチャイムが終わりを告げた。そろそろ寿命なのか、以前よりもずいぶんと小さい音で。
実際皿を洗っている母さんはよく聞こえなかったのか、首をかしげている。
僕はこの身体になってから多少なりとも耳が良くなっているが、それでも鳴ったのはなんとかわかったといった感じだった。そろそろ交換の必要があるだろうな。
「はいは~い! 今行きますよ」
漫画を閉じて棚にしまい、ソファから立ち上がり、玄関へと向かう。
しかし……なぜかな、別に急ぐ必要はないというのに、こうして自然と早足になってしまうのは……
まるで小さい頃どこかへ泊まったときに、決して寂しいとは自覚しなくとも、次の日に母さんにあうのが楽しみだったように。
僕にとってセシルさんはもうそれほど大きな存在……ということかも。
「おはよう、レンちゃん!」
「おはようございま~す。珍しくちょっと遅かったですね」
「えへへ、ちょっとパソコンいじってたら時間すぎちゃった。ごめんね」
「僕もゆっくりできたからいいですよ」
「じゃあ母さん父さん、また後で何度かこっちには来ると思うから。後は最後に帰るときもね」
「わかったよ、楽しんできな」
僕は準備してあった荷物を取り、セシルさんと改めて玄関へ立った。
この束の間のいつもと違った────
「忘れ物は大丈夫? 何かあったら戻ってくればいいんだけど一応ね」
「ないない、ちゃんとチェックしたから」
「あと今日はあそこ寄るんでしょ。昨日教えた場所はわかるわよね?」
「大体はね、行けばわかるでしょ」
「そうね。レン……ちょっと手握ってくれない?」
「あ……うん」
ややうつむいたまま、母さんはそういって手を差し出した。
「……ありがとうね」
「……僕もだよ」
そのまま僕はその手の温もりを感じながら、優しく、強く両手で握りしめた。
「じゃあ俺も頼む……」
「父さん」
母さんから離れたのを見て、続けて父さんも手を出す。
その手が……少しだけ震えているのが見えた。
「元気でな……」
「またすぐ来るつもりだけどね」
「……」
ありゃりゃ、ちょっと固まってしまった。別に言わなくてもよかったかも。まあ、いっか。
ともかく、その子供のころは不思議と大きく感じた手を……母さんよりも、強く握りしめた。
「んん、意外と力強いな、お前」
「ん~そうかも、でも父さんが弱くなったんじゃない?」
「俺も年だからな~」
「病気とかに気をつけてね……」
……なんだか普通の会話になっちゃったなあ。もっと言うことあったかもしれないのに。
「そろそろ行きます?」
「そうだね。それじゃあお父さん、お母さん、またうかがいますね」
そうした挨拶を済ませ、セシルさんに声をかける。
それにしても二人とも本当に嬉しそうだ。
「セシルさん……これからも息子をよろしくお願いします」
「はい……わかりました」
「じゃ、また後でね~」
「せっかく来たんだから、体調崩さないようにするのよ!」
「もう……子供じゃないんだから、わかってるって!」
立ち去る間際に母さんがわりと大きめな声で、そんな心配の言葉をかけてきた。昔からこれに似たことは何度も言われて、何度も……こんな感じで返してきた。
普段は甘えていたからこそ、言葉として言われるとなんとなく反発するような気持ちになったのかもしれないと、かつての自分を思い返す。
「昔とは違うってのに……相変わらず過保護なんだから」
「ふふっ……私はすごくいいご両親だと思ったけどね」
「そういえばセシルさんのこと、二人ともすごく気に入ってましたよ」
「それは嬉しいな」
もちろんこの家にはまた来るが、こちらの世界に来ること自体もこれで最後というわけではない。そしてこれからはセシルさんも家族の一人であると、少なくとも二人はそう思っていた。
二人の反応からすれば、久しぶりに会った息子が何やら嫁……いや、婿か? ともかくそういった人を連れてきたという認識かもな。一応はそれで合っているか。
いずれにしてもこれからはゆっくり、その人となりを知ってもらえばいい。
「……」
昨日と同じ道を歩きながら考える。何であんなに気にしていたのかと今になっては思うほど、なんてことのないものだった。
まあ人生のことなんて、大抵がそんなものだろう。
少し歩いて、ふと振り向いたその先に二人の背中が見えて……僕はこれからもよろしく、と心の中で呟いた。
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