間話 精霊女王と黄金の林檎②

〈ーーアルフォンス〉


どうも機嫌が悪いらしい。いつもの美しい声にトゲがある。


「…やあ、精霊女王ティティア。今日もご機嫌麗しく」

〈戯言は結構よ。わたくしは今とても機嫌が悪いの。………何故だかわかるかしら?〉


わかるようなわからないような、考えるそぶりをしながらアルフォンスは自身の顎へと指を這わした。

そもそもあの一件から精霊女王はすこぶる機嫌が悪いというのに、それにさらに拍車がかかっている。


「俺もいろいろと探し回っているんだが、どうもまだ手掛かりがなくて」

〈アルフォンス〉

「早く見つけられるように、」

〈アルフォンス。わかっているでしょう?〉

「…………っ、わかったわかった!俺が悪かったよ」


精霊女王の絶対零度の視線に、アルフォンスは降参したように両手をあげてひらひらと振った。

それから長い長いため息をついてがくりと肩を落とす。


〈なぜ人間がわたくしの国に侵入しているのかしら?しかも別世界の〉


泉の上でティーセットを広げて、ティティアは黒髪の少女を思い出す。

アルフォンスはそれを聞いて夕陽のような赤毛を乱暴にかき上げながら、下を向いていた顔をあげた。


「不可視の魔法を使ったんだ。なのにあいつ俺のこと見えてて、しかも追いかけて来たんだぞ!それで慌ててこっちに戻ろうとしたのに、あいつ俺のこと掴みやがってそのまま一緒に……。で、途中で落として来ちまったんだよ」


どこか拗ねたようなアルフォンスの物言いに、呆れてティティアがため息を吐き出した。


〈途中で落として来たのに、探しに来たのが一月後よ〉

「まさかメディウームに落ちていたとは思わなかったんだよ。だいたい連絡してくれれば良かっただろう?」

〈なぜわたくしが貴方の失敗に手助けしてあげなくてはならないの〉

「本当、君は天の邪鬼だな……まあいい。で、その問題の子は今どこに?知らない世界に震えているじゃないか?」

〈………そうだったらどれだけ良かったかしら〉


今度はティティアががくりと肩を落とす番だった。

アルフォンスは精霊女王のどこか疲れたような姿に訝しんで眉を寄せる。


〈これを見て頂戴〉


そう言ってティティアが泉の水面を指さした。


「………」


覗き込んだアルフォンスは、そのまま言葉を失ってしまう。

それは精霊女王が泉の水面を水鏡にして、メディウームに今も滞在する1人の少女を映し出しているのだが、どうもその少女の状態が彼が思っていたのとは大きく異なっていた。


水面に映る黒髪の少女がいた。

さらりとした高い位置に結われた黒髪に、丸い大きなこげ茶の瞳はらんらんと輝き、小ぶりの低い鼻と、桜色の唇がにこりと弧を描いている。まだ成長途中とはいえ、この世界では珍しい顔立ちは目を引く。

その少女の周りを、赤、青、緑、茶の光が漂っておりやがてそれは美しい人の形をとる。


「…なんだこれ…」


アルフォンスからやっと出た言葉がそれだ。


「なんで大精霊たちが、彼女の周りに集まってるんだ…?」


信じられない光景を見た時、人は目を疑いたくなる。今がまさにそれだ。


大精霊とは、四大精霊と呼ばれる四大元素を守護する精霊で、精霊王、精霊女王に次いで位の高い上級精霊である。

精霊という生き物は、契約か、精霊側が加護を与えて初めて対等に接することができる生き物なのだが、水面の向こうの少女は楽しそうに大精霊と戯れているように見えた。


〈ーー…あの子が来てからずっとこの調子よ。大精霊が聞いて呆れてしまうわ〉


ティティアはこの一月を思い出す。正確に言えば、メディウームでは一月ではなく1週間しか経っていない。人の世界と、次元の違う場所に存在する精霊界とでは時の速さが違うのだ。


その1週間、彼女はまるで変わっていた。


突然連れてこられた異世界に恐怖を抱くでもなく、すんなり受け入れ、むしろ喜んで、探検とばかりにメディウームをあちこち歩き回った。そのうち、小精霊から大精霊までが彼女のそばに寄り添うようになり、そのあたりからティティアも薄々は気がついていた。


「ーー…あの娘、どういう経緯か知らないけれど、『黄金の林檎』と癒着しているのよ」

「…………………はっ?」


ティティアの言葉に、理解出来ずにアルフォンスはそれだけ返した。

だがそれも当たり前である。


そもそも今回アルフォンスが異世界まで捜しに行かされたのは、その『黄金の林檎』である。

精霊の国メディウームには世界樹ユグドラシルと呼ばれる大きな樹があり、そこに真っ赤な林檎が実る。

実った林檎はやがてユグドラシルから落ち、割れた実から小精霊が生まれ、それがやがて大地に根付き恵みを与えた。


そのユグドラシルに、メディウーム待望の『黄金の林檎』が実ったのは、つい最近のことだった。赤い林檎とは異なり、黄金に輝く林檎がそれだけで普通の小精霊の卵とは違うことがわかるだろう。

しかし、生まれるまで大切見守られるはずだった『黄金の林檎』は、ある日突然ユグドラシルから消えたのだ。

だが、『黄金の林檎』が別に何者かに摘み取られたわけではない。『黄金の林檎』の意思でどこかに消えたのだと、その時の精霊女王は苦虫を噛み潰したような顔をして語っていた。


そしてその捜索に白羽の矢が立ったのが、バームバッハ王国の第二王子、アルフォンスだったのである。

アルフォンスは稀有な能力をその内に秘めていた。元来、彼は絵を描くことを得意としていたからか、魔法が絵を描くことに特化したものになり、風景画を描けば、その場所に行くことができ、人物や、いろいろな物を描けばそれを召喚することができた。

この世界に転移魔法と言うのは存在しないが、転送魔法と召喚魔法がある。

例えば、行きたい場所へ行くとき転送魔法をかける側、かけられる側がいなければ転移することはできない、しかも転送する側は一度でもその場所へ行かなければ出来なかったり、転送された側は転送した人物にしか召喚できないという、とても面倒な制約があった。


しかしアルフォンスの場合、確かに彼も一度でもその場所を見ていなければ、絵を描くことはできないが、それさえ描ければ自分でどこにでも行くことができたのだ。

そしてその魔法に目をつけた精霊女王ティティアはアルフォンスと無理やり契約した挙げ句、すでにファルファームに『黄金の林檎』は存在しないということで、彼を異世界に放り投げ続けた。

結果、今水面に映る少女を誤って連れ帰ってしまったのだ。


〈ーー…貴方に言っていなかったけれど、『黄金の林檎』はわたくしたちに匹敵する精霊、いいえ。わたくしたちより高位の精霊である可能性があるの〉


可能性という割に、ティティアの言い方には確信があった。

頭をよぎって行った事柄に思わずアルフォンスは自分が馬鹿なことを考えていることに自嘲したが、考えずにはいられなかった。

もう三千年になる。

人の世にその姿を見せなくなって三千年だ。


〈消滅と再生の精霊神シヴァート。三千年前に一度消滅したわたくしの兄〉


それは悲劇の精霊としても有名な、この世界の主神の名前だった。






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