ないものねだりの宇宙船

玉鬘 えな

ないものねだりの宇宙船



「宇宙船に乗ればいいんだわ」


 二月も逃げていこうかというある寒い日。

 綺麗な箱に鎮座している宝石のように輝くチョコレートを眺めながら、あたしはそうだ、とかろやかに手を打った。


「宇宙船?」

 毎度のことながら突拍子もない発言だって、きっと呆れているのだろう。小さな真四角のこたつの向こう側、同じように箱をのぞき込んでいた彼が顔を上げ、目をぱちくりさせながら正しく問い返す。

 その瞳を見返して、あたしは「そうよ」と力強くうなずいてやった。

「なるべく光の速度に近いやつね。めっちゃ、速いやつね」

「高速移動の宇宙飛行……」

「そう」

「誰が?」

「あなたが」

「何のために?」

「未来旅行するために!」


 うん? と小首をかしげて、彼は再び箱の中に目を落とした。

 そこには色とりどりの惑星を模した美麗なチョコレート。SNSなんかでよく見かけていた、憧れの高級品である。


 普段ならとても手を出せないけど、バレンタインが過ぎたこの時期に奇跡的に少しだけお求めやすい価格で売られていたのをゲットしてきたのだ。


 彼が独り暮らしをしているこの狭い部屋を訪れるや、あたしは意気揚々とこたつテーブルの上に包みをひろげてみせた。根っから理系男子の彼は初めてこの惑星チョコレートなるものの存在を知ったらしく、目を輝かせて喜んでくれた。


 そういう時の彼は普段の大人っぽくて理性的な雰囲気からは想像もできないくらい素直で好奇心まるだしの少年みたいで、ちょっとかわいい。だから隙をみてのサプライズ攻撃はやめられないのだ。うしし。


「話の展開が今一つつかめないんだが……このチョコレートたちを見ていて思いついたのか?」

 チョコレートに“たち”を付けるっていうのは実は擬人化してるってことだよね? よほどこの惑星チョコが気に入ったのかな。くぅっ……すごく、母性本能くすぐられるっ。


「うん、そう。水金地火木土……ええと、あとなんだっけ? とにかく遠ければ遠いほど、速ければ速いほど、未来へ行けるんでしょ?」

「水金地火木土天海、だ。――しかしとてつもなくアバウトな解釈だな。まあ、ざっくりいうとそうなるか……」

「でしょ? だから、あなたが宇宙船に乗るでしょ? そんで光の速度で旅をして、適当なところで帰ってくるの。ほら、ばっちり」

「ばっちりって」

 何が? と顔にありありと書いてある。あたしはふうっとため息をついた。小難しい説明は苦手なのだ。

 彼はあたしなんかよりぜんぜん頭がいいんだから、そこらへんは察してほしい。ほんと、乙女心がわかんない人だ。


「前にテレビで“双子のパラダイス”の話をしてたの」

「双子のパラダイスとは」

「知らない? アインシュタインとか他の人とかが立てた理論だって言ってたけど……」

「――もしや、“双子のパラドックス”のことか……?」

「あ、そうそうそれそれ!」


 こないだ、たまたまつきっぱなしだったまったく面白くなさそうな教育番組で流れてた話。

「双子の兄が宇宙船に乗って旅立って、弟は地球から見送る。それで、帰ってきたときには兄より弟のほうがおじさんになっちゃってるんだって」

「かなり説明な」

「でもそう言ってたよ。兄が長く地球を離れていればいるほど、弟は兄より年をとるって」

「確かに。大きく間違ってはない」

「でしょ?」

 彼はものすごく真面目な顔をしてうなずいた。――やばい。これは変なスイッチ入っちゃった顔だ。


「だが厳密にはその問題はそれらの現象を踏まえた上で生じる。そもそも“双子のパラドックス”とは“時計のパラドックス”ともいう、特殊相対性理論に基づく運動系の時間の遅れに関して提案されたものだ。君のいうように、地球にいる弟は宇宙飛行後の兄よりも加齢が進んでいる。だがそれは“弟から見た兄が動いている”という前提のうえでの話であり、一方では“兄から見た場合は弟のほうこそ動いている”ため、宇宙船が地球に戻ってきたときには兄のほうが加齢が進んでいる結果になるはずで、すなわちこれが矛盾するパラドックスの――」

「んああ、もうっ!」


 突如として始まってしまった流れるような彼の授業に、あたしは思わずこたつ台に拳を叩きつけた。

「そこのところはどうでもいいのっ! パラドックスの話はどっかにおいといて! むしろパラダイスの話にしよう! 逆に!」

「ぎゃ、逆に……?」

「そうよ!」

 びしぃっと、指先を彼の鼻先につきつける。

「とにかく、あなたが宇宙船に乗るの。そんで遠くの遠くまで行って、帰ってきて。地球時間が十年くらい経ったあとに!」

 そう言うと、彼は目をぱちくりと瞬かせたあと、軽く目を見開いた。それから、ふっと小さく息を吐く。――やっとわかったか、このボクネンジンめ。


「このか」

「なに、センセイ?」

 名前を呼ばれ、あたしは口唇を尖らせた。――まだなにか解説する気か、このトーヘンボクの理科教師。


「そうすると、帰ってきた時には君はすでに結婚して子どもがいたりすると思うんだけど」

「そんなこと、あるわけないじゃん。あたしは待ってるの。センセイが帰ってきてくれるまで。ずうっと、ひとりぼっちで」

「そうかな。十年は長いぞ?」

「……そうね」


 確かに、十年は長い。センセイが産まれてから、あたしが産まれるまで。その間がまさに十年。この時間差のせいで、教師と生徒として出逢ってしまったあたしたちの恋路には、いかに多くの障害があることか!

 ――だから。

「……同い年くらいにまで追いつくためなら、ひとりぼっちで地球で待つことくらい、なんてことない」


 同僚の女教師や元カノや、センセイのまわりにいるたくさんの『大人の女』に匹敵するくらいのいい女になって、ずっと待ってる。

 むぐっとほっぺの内側を噛み締めて、あたしはうつむいた。――でもやっぱり、十年もセンセイに会えないのはツラい。想像するだけで泣きそう。


 そんなことを思っていると、頭の上から、ふむ、とセンセイの声が降ってきた。

「――地球を離れて光速、すなわち秒速30万㎞の99,9999%の速度で宇宙船が進むとすると、船内の時間の進みは地球より707倍ものズレが生じる。だいたい、地球の1ヶ月が船内では1時間ほどという計算になる。1年だと12時間だな」

 ふたたび唐突に始まった理科のお勉強。センセイは教壇に立っているときと同じ顔で、ぽつぽつと話を続ける。


「2日たてば4年になる。――奇しくも今年は閏年だな。4年に一度、2月が29日になる年だ。そこでどうだろう。君の時間で4年に一度、2月の29日と日を定めて、再会するというのは」

 あたしは、がばっと顔を上げた。センセイは少しだけ照れ臭そうに、わたあめみたいにうっすらと笑う。

「ひとりぼっちで待たせるのはしのびないから、君の成長を4年ごとに見守ろうかな、と」


 ――4年。

 恋する乙女には4年だって長い。ぜんぜん長い。

 だけど再会の約束があるとしたら。4年に一度、必ずやって来る記念日があるとしたら。

 それは、あたしたちの道しるべになる。


 目尻がじんわり熱くなる。こんなパラダイス妄想だけの話なのに、嬉しくて頬がゆるりとほどけていく。


 あたしは緩んだ頬のまま、うふへ、としまりなく笑った。

「……織姫と彦星みたい」

 ううん? と、これには律儀なセンセイは渋い顔。

「ずいぶん間延びした七夕だ」

「あら、いいじゃない。星空のロマンには、変わりないでしょ?」

「……確かに」


 違いない、と軽く笑って、センセイはチョコレートみたいに甘く、とろけるように目を細めた。













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