第2章 春の妖精あらわる?
第4話
暗いバルコニーで、ユーグは走り去る馬車を見下ろしていた。
「まさかあれがヴュイヤールの娘とはね……」
背後でラファエルが足を止めた。黒に近い暗紫色の
「──おや。仕事を忘れて遊んでいると思っていましたが、そうでもなかったようですね」
「俺はいつも真面目に仕事してるよ。さっきは度が過ぎたアルマンの悪戯を阻止しただけ」
「フロンサック公爵なら、さきほどどこぞのご婦人といちゃつきながら出て行かれましたよ」
ユーグはふぅと溜息をついた。
「まったく。若い娘を招待してるなら、あんな男は呼ばないでほしいな」
「シトルイユ夫人は人柄は悪くありませんが、何しろ大雑把ですからね。でも、公爵をダシにしてヴュイヤール嬢に近づけたじゃありませんか」
「別にダシにしたわけじゃないさ。たまたま喰われそうになったのが彼女だったというだけで。──それはそうと、ラファエル。確かヴュイヤール嬢は出戻りだと言ってなかったか?」
咎めるような視線を向けられながら、従者は平然と頷いた。
「ええ。三年前に一度結婚しています」
「三年前というと、今十六だそうだから──十三の時か」
「上流貴族ではよくある話でしょう。修道院の寄宿舎から嫁ぎ先へ直行ってやつです。ただ、新郎が結婚式の最中に卒中発作を起こしてそのままあの世に行ってしまったそうで。まぁ、歳も歳でしたしね。何でも五十八で三度目の結婚だったそうですから」
さすがに驚いて、ユーグは目を瞠った。
「十三と五十八? すごい取り合わせだな……。祖父と孫みたいじゃないか。そいつは変態に違いない」
「否定はできませんね。身分も財産もありましたが、評判の方は、控えめに言ってもたいへんよろしくなかった。若い女、それも、年端のいかない子どもみたいな少女が大好物で、その手の怪しげな娼館に足しげく通っていたとか、街で見初めた少女を拉致監禁して暴行したとか、悪い噂が絶えませんでした。あまりの乱行に困り果てた親族がお膳立てして、こうなったら身分の釣り合う若い令嬢を正式な妻にしてしまえ、と」
感情を交えず淡々と告げる従者を、ユーグは不快そうに見やった。
「酷いな。それじゃまるで怪物に生贄を捧げるみたいじゃないか」
「そんなようなものでしょう。折悪しくヴュイヤール家は詐欺の投資話に引っかかって一気に財産を失った上、当主──今の当主の父親です──が事故死、夫人が病死と不幸続きでした」
「それにしたってあんまりだ」
「兄君は猛反対したそうですよ。しかし実質的に家を取り仕切っていた祖母に押し切られたようで。侯爵夫人は相手の不品行について、どうもよくわかっていなかったふしがあります。まぁ、相手方もなるべく伏せるでしょうけど」
「しかし肝心の花婿が頓死してしまってはな……」
「ええ。すぐさま遺族から婚姻無効を訴えられ、ヴュイヤール家には結局一文も入らなかったらしいです」
「そりゃそうだろう。……おい、待てよ。ということはヴュイヤール嬢は」
ハッと顔を上げたユーグに、ラファエルは肩をすくめた。
「まずまちがいなく処女ですね、手を出さないでくださいよ」
「出すか! ──って言うかラファエル、おまえ、彼女があんな若い娘だってことを最初から知ってたな!? なんで黙ってたんだ」
「たまにはあなたのうろたえる顔を見るのも一興と思いまして」
しれっとした顔で従者は答える。ユーグはがっくりと顔を掌に埋めた。
「……なんで俺、おまえみたいな根性曲がりを従者にしてるんだろうな」
「そりゃあ摂政公のご命令ですから仕方ありません」
「まぁいい。しかしヴュイヤール嬢があれでは、誘惑して話を訊きだすわけにもいかないぞ。出戻りだと言うから、てっきりそれなりにおとなの女だと思ってたのに」
ユーグはいかにも残念そうに溜息をついたが、性格の悪い従者はにべもない。
「ちゃんと年齢を確かめないあなたが手ぬるいんです」
「わざと黙ってたおまえが言うな!」
「ふむ。それでしたら侯爵夫人はどうです? 何しろ年季の行った既婚者ですし、近頃体調が思わしくなくてめったに外出できないそうですから、きっと退屈してますよ。愛想よく得意のおべんちゃらを並べ立てれば何でも話してくれるでしょう」
おなじみの皮肉は適当に聞き流し、ユーグは眉間に軽くしわを寄せた。
「姑が嫁の若い時分の話を知っているだろうか」
「訊いてみなけりゃわからないじゃないですか」
「それはそうだが……。いくつだ?」
「まだ七十にはならないはずですよ。守備範囲内でしょ」
妙に愉しそうにそそのかす従者を、ユーグはじろりと睨んだ。
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