5-6
「尋人。イコは、尋人のことが――好き」
部屋に入ってくるなりの突然の告白に、尋人の頭は真っ白になった。
言葉がすんなりと頭の中に入ってこず、その意味を理解できなくて目を白黒させて黙り込む。
「イコね、十年前の事故以来、運命っていうのを強く信じてるの。あの事故で生き残れたのは本当に奇跡的で、だからイコが生き残ったのはきっと運命なんだって、そう思った。それからイコはずっと運命を信じてる。だからこの部屋のことを知ったとき、運命だと思った。だから、この部屋を買おうと思ったの」
頬に赤みの差すイコは、それでも視線を逸らさずに続けていく。
「その部屋で、イコと尋人は出会った。そのときに思ったの。きっと、この人と出会うのは運命で、この運命のためにこの部屋を買ったんだって。実際に運命的だったと思わない? だって世界を超えて出会えたんだよ? 凄く素敵な、運命だよ」
そう言って見せるイコの表情は、これから先の未来への悲観なんて微塵も感じさせないものだ。
「ほとんど毎日一緒にいて、話をして、イコはイコのままでいいって言ってくれて、とても嬉しかったんだ。日に日に、イコの心の中で尋人の存在が大きくなって、気づいたら好きになってた」
そこまで聞いてようやく、尋人の頭がイコの言葉を理解し始めた。
(イコが、僕のことを……好き?)
頭がそれを理解すると体温が急激に上昇した。顔や手が熱くなる。
頬の筋肉が緩みそうになる。だらしない笑みをうかべそうになる。
しかしすぐに、今自分たちが置かれている状況を思い出した。そのことを、これからのことを思うと、イコの気持ちを素直に喜べない。もちろん、嬉しいことは間違いなく嬉しいのだけど。
「いろんな話をしたよね。勉強も教えてもらった。ライブ、一緒に行きたかった。もちろん海も。でもきっと、一緒には行けない。でも後悔はしたくないから。忘れてほしくないから。こんな女の子がいたなって、心のどこかで覚えていてほしいから、だから、気持ちを伝えることにしたの」
そこで言葉を区切り、イコは一度息を吸い込んだ。
「だから、もう一度言うね。イコは、尋人のことが好きだよ」
心臓が高鳴った。
答えなど、わざわざ考えるまでもなかった。だって尋人の気持ちはイコと同じだから。尋人もイコのことを想っているから。
好きな女の子に好かれていて、当然のように嬉しい。しかも二人の場合は特殊で、世界という見えない壁が間に立ちはだかっている。それを知ってなおの告白だった。世界という超えられない壁があってもそれでも好きだと言ってくれたことが嬉しかった。
だからその気持ちに応えなくてはいけない。
「僕もだよ。イコと出会って、話すようになって、毎日が楽しくなった。今までは勉強ばかりで、周りと争ってばかりで、そんな人生なにが楽しんだって思ってた。でも、イコの存在が僕の世界を変えてくれた」
もっと言いたいことはたくさんあったし、実は告白する決意もしてて、ちゃんとした言葉を選んでもいた。
でも実際に告白するとなると勝手が違う。考えていた言葉なんて何一つ出てこなくて、気の利いた台詞なんてなにも言えなかった。
「僕も、イコのことが好きだ」
でも、気持ちだけははっきりと告げた。
人生で初めての告白は、直接好きな女の子と顔を合わせてすることができなかったけれど、でもその一言に自分の気持ちの全てを込めて告げた。
「正直、この事態は予想外だった。でもこのまま別れるのは、やっぱり僕も嫌なんだ。だからせめて気持ちだけは伝えようって思って部屋で待ってたんだ」
「そっか。おんなじだね、イコたち」
イコはずっと笑顔を向けたまま言葉を紡いでいたけれど、尋人の告白を聞いた今とその前とでは笑顔の質が変わっていた。
二人は出会えない。だからこの恋は実らないとイコも思っていたのだろう。だから想いだけでも通じ合っていることがわかって安堵したに違いない。そしてそれは尋人も同じだった。
人生で初めての告白。それがまさかこんな形になるなんて予想もしていなかった。
それにもし、この恋の相手がイコじゃなかったら、きっと尋人は現状を考えて想いを伝えようなんて思わなかっただろう。
「僕はずっと、なにをするにも頭で考えてから行動する癖がついてた。でもイコは僕の真逆で、それでいていつも楽しそうだった。きっと僕はそんなイコに惹かれて、影響されたんだ。だから今、想いを伝えたいって感情だけで動いてる。結果として、それはとっても良かったよ」
「うん、ありがと、尋人。こんなイコを好きになってくれて」
そうして二人の想いは通じ合い、画面を介して笑い合った。
想いが伝わり、それが受け入れてもらえることはこんなにも嬉しいことなんだと初めて知った。
これからは毎日が楽しくて、顔を合わせるだけで幸せで、二人で遊びに行って、学校の話をして、放課後は待ち合わせをして一緒に帰って。
そんな生活を、恋人たちは送っていくのだろう。
「……でも、なんでかなっ。嬉しい、のに、本当に、嬉しい、のに……っ」
しかし、尋人とイコにはそんな普通はやってこない。
二人で遊びに行くことも、放課後に待ち合わせをすることもできない。こうしてアリスを通じてしか、二人は顔を合わせることができない。そして、そのアリスも近いうちに全てがリセットされてしまう。
イコは泣かないように、涙を堪えるように、笑顔を浮かべ続けている。
泣いてしまったらたぶん、二人ともこの現実に耐えられなくなる。でも、表情は笑っていても、溢れるものは止められない。
「……会いたいよ」
「……うん」
「……触れたいよ」
「……うんっ」
「恋人らしいこと、したいよっ」
「うんっ」
気持ちは尋人も同じだ。
できることなら今すぐにその涙を止めてあげたい。
でも、いくら声を枯らしても、手を伸ばしても、それはイコには届かない。どれだけ画面に近づいても、決してイコには触れられない。
(どうして、僕らは住む世界が違うんだっ)
みえないところで拳を握った。
(どうして、世界を超える方法がないんだっ)
爪が食い込み、肌を裂いた。
(どうして、僕らは……っ。――――。……)
世界を、神を、起こらない奇跡を呪った。
呪って、呪って、呪って、そしてイコへの愛しい感情と同じくらい、呪って、呪って、呪った。
誰も助けてくれない。奇跡が起こらなければ、神が気まぐれを起こさなければ、この大きく高い透明な壁は壊せない。でも神はそんなことはしてくれない。
誰も、誰も、助けてくれない。
そう、誰も――。
「……あ、そうか」
そのときふいに思い至った。
どうして自分は誰かに頼ることばかり考えていたのだろう。どうして奇跡が起こらなければイコと会えないと思っていたのだろう。
自分は今までどうやって生きてきた? 受験も、学校のテストも、全国模試も、全て自分の力で勝ち取ってきたではないか。考えて考えて考えて。わからないのならわかるまで考えて、そうやって今まで生きてきたではないか。
なのに今は、今だけは、どうして他者に頼ろうとする。いるかもわからない神に。起こるかもわからない奇跡に。
「尋人?」
そうだ。頼ることなんて、ないはずだ。
アリスは、この部屋はイコの世界と繋がっている。そしてそれはなんらかの原因のうえに起こっていることだ。
ならば、その原因さえ突き止めれば世界を超えられるのではないか。その手がかりになるのではないか。
そうだ。頼ることなんてない。頼れるものがないのなら――。
「イコ、僕は決めた」
「なに?」
「絶対に、僕はイコに会う。そしてちゃんと恋人として、一緒にいる」
「……そんなの、だって……」
「できない? そうだね。たぶん、今まで誰も偶然以外で世界を超えたことはない。でもさ、それなら僕が最初の一人になればいい。できないんじゃない。やるんだよ、絶対に」
今まで勉強なんて好きでもなんでもなかった。受験なんてしたくないと思っていた。人生に目標なんてなかった。
生きているのか死んでいるのかさえわからない日々を過ごしていた。
でもこの瞬間、尋人に生きる目的ができた。人生の目標が芽生えた。
「イコ、僕は――」
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