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 放課後のホームルームが終わると教室の中は一気に騒がしくなる。

 教室で話をする者、部活に向かう者、遊びに行く者。それぞれがそれぞれの放課後を謳歌しようとする。

「イコ、帰ろ」

「あ、かーちゃん。今行くー」

「だから、かーちゃんって呼ぶな。あたしはあんたなんて生んだ覚えはない」

 ビシッと頭にチョップされてイコは脳天を押さえた。それから「うへへ」と笑って通学カバンを担いで立ち上がる。

「おまたせー」

 そう言ってイコは中学からの親友である麻生鏡子の隣に並ぶ。

 中学に入学して、イコの初めての友達が鏡子だった。きっかけなんてもう覚えてないけれど、話をしたらとても気が合って、それから二人は毎日のように一緒にいた。

 高校も同じところに進学して、クラスも一緒になって、放課後は毎日のように一緒に帰宅している。

「さてさて」

 イコはカバンの中からスマホを取り出す。それを慣れた手つきで操作する。

 それを見た鏡子が眉間に皺を寄せて言った。

「歩きスマホは危ない」

「う、ごめん。かーちゃん」

「だーから、かーちゃんって言うな。だいたい、あたしの名前は『きょうこ』なんだから、呼ぶなら『きょうちゃん』とかじゃないの? なんで『鏡子』の『鏡』の部分を『かがみ』って読むのよ」

 その頭文字をとって、かーちゃんだった。もちろんイコが命名した。理由は単純。可愛いかなと思ったのだ。まあ、本人にはとても不評なのだが。

「よしっ、まだ残ってる!」

「って、話聞けー」

 靴を履き替えて校門を出てもイコはスマホを手放さない。それでも本人的には最大限に注意をして歩いていた。

「まったく。またアリス?」

 イコは頷く。

 四月にテスターの応募があって、五月にテスターに当選して、それから毎日イコはアリスにログインしていた。

「見て見て、かーちゃん」

 呆れる鏡子にスマホの画面を見せる。開いているページはとある不動産屋の広告だ。

「・・・・・・眺め最高の高級マンション?」

「そっ! イコさ、これ買おうと思うんだ!」

 アリスにログインした最初の日。新しい世界にわくわくしながらこの世界を探検した。

 テスト中で一部の機能が制限されているらしいが、それでもこの世界でできることは意外と多かった。まずは何をしよう。どんな世界が自分のことを待っているのだろう。そう思いながらアリスの世界を歩き、見つけたのがこの広告だった。

 当時、この広告にはその自慢の景色とやらの一部が写真になって張られていた。その写真を見て、イコは一瞬で心を奪われた。その写真を見た瞬間、これは運命なんだと思った。だからイコはこのマンションの部屋を買うことに決めた。買うために、アリスの中で昼夜問わず働いた。

 そして今日、その資金が貯まったのだ。

「景色のために?」

「イコの直感が運命だって言ってる!」

「出たよー。イコの運命論」

「絶対にそうだよ。だってビビビってきたね」

「怪しげな電波?」

「違いますー」

 イコはわざとらしく頬を膨らませてそっぽを向いた。鏡子はそれに笑いながら謝る。

 こうして鏡子と過ごす時間は、もちろん悪いものじゃない。今のこの現実に不満なんてない。でももしも、こことは違う世界があるのなら、そこへ行ってみたいとは思う。違う可能性とはなんなのか、それにはとても興味がある。

 そして何より、イコ自身の直感が運命だと告げているのだ。

「それじゃあね、イコ」

「うん、またねー」

 いつもの別れ道で鏡子と別れ家へと向かう。

 本当は今すぐにでも部屋を買いたかったが、家まで我慢することにした。だって鏡子の言うとおり危ないし、他人に迷惑をかけるかもしれない。小さな子供ではないのだ。あとたった数分。我慢しよう。

 でも家が近づくにつれてだんだん我慢は限界に近づき、歩くスピードがどんどん速くなる。そしてしまいには走り出して、家に着くころには汗だくだった。

 今は夏。ただでさえ日差しが強く、気温は高い。それなのにそんな炎天下の中走り続ければ汗をかく。

 鍵を開けて家に入り、部屋に戻るまでの間にサマーベストを脱いでリボンを外す。汗で濡れたワイシャツが肌に張り付き下着が透けていたが自分の家なので気にしない。

 部屋に入るなりワイシャツとスカートをその場に脱ぎ捨てて下着姿になると、通りがけに扇風機のスイッチを入れてパソコンの電源を入れる。

 アリスにパソコンで接続するときはいつもヘッドセットをつけていた。これをパソコンにつなげば音声のやりとりもできるのだが、あいにく、部屋を買うために働き続けていたため言葉を交わす友達はいない。

(よしよし、まだ売れてない)

 イコはテスターを初めてからずっとこの一室を買うためにお金を貯めてきた。だが、それでも残高はぎりぎりだ。だから普通に考えてこのタイミングでイコと同じようにマンションを買う人間はいないだろう。

 だから本来なら心配する必要はないが、それでも手に入れるまでに焦って逸ってしまうのは仕方がない。

 不動産屋の受付で部屋を購入するための手続きをする。そこで鍵の代わりになるパスワードを設定し、お金を払う。これで契約は完了だ。

 イコはアバターを動かして買ったばかりのマンションへ向かった。不動産屋からすぐに到着し、マンションの中に入る。そして目的の部屋へ向かう。

 誰もいないエレベーターに乗り込む。廊下を歩くが人の気配はない。部屋に到着するまでに誰ともすれ違わなかった。

 もしかしたらこのマンションには誰も住んでいないのかもしれない。住人一号は自分かもしれない。そう思うと、ここがただのマンションではなく自分の城であるかのような錯覚すらあった。

 部屋の前に到着する。そして逸る気持ちを少しだけ落ち着け、深呼吸。そして鍵となるパスワード『15101610』を入力する。カチリと音がして、鍵が外れた。

 さっそく中に入る。するとそこにはテレビでしか見たことがないような高級感が漂う部屋が広がっていた。目的の景色よりもまずその内装に圧巻し感動する。だからつい、声が出た。

「うわーっ、すっごいっ!」

 もしもその場に自分の肉体が本当にあったのなら、きっとすぐにでも駆けだしていた。一度はこんな部屋に住んでみたいと思った。そこはまるで、お姫様のプライベートルームのようだ。

 イコはそんな部屋をついに買ったのだ。

 誰もいない、自分だけの部屋。その場に立っていることを想像するだけで気分が高揚してくる。

 静かで、美しい、自分だけの部屋――。

 ――の、はずだった。


「え?」


 声が、隣から聞こえた。

 イコは思わず視線を移動させて声のしたほうを見る。

 そこには、見知らぬアバターが立っていた。

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