第二章 眠る人形
第1話 人と竜の狭間
トロルと呼ばれる種族がいる。人間の倍近い身の丈と分厚い筋肉に覆われた亜人種である。同じような体格の亜人に≪人食い鬼≫のオウガもいるが、彼等と違ってトロルには角が生えておらず知性も低い。そして顔立ちも醜悪で生まれてこの方身だしなみを整えようなどと考えた事も無く水浴びすらしないので不潔だ。
奴らは雑食で何でも食うが、中でも生肉が好物だ。当然人間を始めとした人類種も平気で食べる。ただ意外と記憶力は良いのか、一度痛い目に遭ったトロルは二度と同じ危険を冒さない分別を持つ。
そうした個体は討伐されないように人目を避けて辺境に縄張りを持ち、相手を襲わずに家畜だけを盗んで行く。実に小狡い性格に成長する。
フロディス王国の辺境を縄張りにするトロルの群れも小狡く集落の家畜を盗む面倒な相手だった。
村人はトロルを倒せるほど強くないが、代わりに金を出して冒険者や傭兵に討伐を依頼する。しかし被害が少数の家畜の場合、わざわざ近くの街に行って、討伐依頼をギルドに出すには費用が掛かり過ぎるので泣き寝入りせざるを得ない。
村人は小賢しくも自分達でで歯が立たないトロルに腹立たしい感情を抱いていたが、幸運な事に旅の傭兵が討伐を引き受けてくれた。それも高額の報酬とは無縁、馬一頭と女物の服を一式と引き換えにだ。
但し、その傭兵一行が明らかに荒事に慣れていないような風貌だったのが気になったが、報酬は後払いで構わないと言っており、しかも荷物を置いたまま討伐に出かけたので、村人達は一応信じてみる事にした。
そして傭兵三名はトロルの群れと相対した。期しくも傭兵とトロルは同数。
傭兵は優男の剣士、弓を持つ少年エルフ、それに右腕の無い角の生えた小柄な女性。どう見ても強者には思えず、トロルはどれを食べるかで仲間内で喧嘩をし始めた。
柔らかい肉の女子供か、大きくて食べ応えのある男か。喧嘩の結果は傭兵達にはよく分からないが話は付いたらしい。
三体のトロルはそれぞれ喜びの雄叫びを挙げて獲物へ襲いかかった。
雄叫びを挙げて傲然と襲い掛かるトロルに対し、最初に動いたのはエルフの少年カイル。
彼は落ち着いて弓に矢を番える。右手の矢は三本。
一秒ごとに距離を詰める不潔な巨漢に、限界まで引き絞った弦を弾く。
放たれた三本の矢は全て、間抜けにも大口を開けて急所を晒したトロルの口内へ侵入。腐臭のする口を貫いて後頭部から鏃を覗かせた。
好物の柔らかい肉の代わりに鋼の矢を喰らったトロルは勢いを失い、前のめりに崩れ落ちた。
次に状況が動いたのは隻腕の女性。彼女は外套を脱ぎ捨て、一糸纏わぬ裸体を晒した。その身は女として優れた美を有しているが、明らかに戦うための利点ではない。
トロルはその裸体に何の興味を持たず、ただ美味そうな肉が自分から身を投げ出してくれているとしか思っていない。
生まれてから一度も洗った事の無い不潔な掌が彼女を捕まえる。スイカを片手で軽々と握り潰せそうなほど巨大な手で掴まれては、か弱い女性の身体など小枝のようなものだ。
トロルは女性を生きたまま引き裂いて喰らうつもりだったが、不思議な事に女性の左腕を引っ張っても一向に千切れない。
「ひ弱だぞ」
たった一言女性が呟いて、掴まれた腕を無造作に振るうと、逆にトロルの腕が千切れた。
絶叫するトロルは女性を振りほどいて暴れるが、うっとおしいとばかりに女性が軽く蹴りを入れると、十倍以上の体重のトロルは数十Mは跳ね飛ばされて動かなくなった。
通常ならあり得ない事象だが、女性の正体を知る者ならごく当たり前に受け入れられた。
彼女はドラゴン。愛する《殺し合いたい》男から贈られた名はクシナである。
最強の幻獣たるドラゴンに名を贈った男の名はヤト。彼は白銀のミスリル剣を手にトロルと相対する。
不潔な巨漢はただ力任せに平手を剣士へ振り下ろす。技術も何も無いただの粗暴な暴力でしかなかったが、丸太のように太い腕から繰り出される岩のような硬さと重さを乗せた面の攻撃は、当たれば人間の頭など容易く爆ぜてしまう。
ただし、それは当たればの話である。
素人なら恐ろしい爆撃だろうが、十数年を修練に費やした剣鬼にはまったく問題にならない。フェイントも視線誘導も何もない、自由落下するだけのただの石ころを避けるなど、それこそ居眠りしていても避けられる。
易々と攻撃を躱し、すれ違いざまに肘を一閃。おまけに右足を膝から斬り落とした。
体勢を崩したトロルは痛みに耐えられずにのた打ち回る。決定的な隙を見せた相手に止めの一撃が叩き込まれるはずだった。
しかしそうはならなかった。
「――――――あれ?」
ヤトは戦いの最中にあって違和感に首を傾げた。普通ならこの剣鬼が戦いの中で他の事に気を取られるなどあり得ないが、彼の中で膨らんだ疑念はそれほどに大きかった。
戦場で呑気に自身の手や身体の調子を確かめていたため、一時的に正気を取り戻したトロルが怒りのまま思案中のヤトに掴みかかろうとした。
だが、剣鬼はやはり剣鬼であった。無意識のまま反射的に剣を振るい、迫り来る敵の腕を斬り飛ばして、無防備な頭を縦に両断した。
この場で動く者は三名の傭兵だけになった。
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悪さをしたトロルを一掃した三名。討伐の証として一体の首を斬り落として革袋に詰めて、残る二体は両耳を斬り落とした。
後は村まで帰るだけだったが、どこか上の空のヤトを不審に思ったカイルがどうしたのか問う。
「ちょっと身体がいつもの違うみたいなんです」
そう言って牛数頭分の体重はあるトロルの屍を片手で持ち上げた。
ギョっとするカイルをよそに、ヤトは死体を空高く放り投げた。さらに足元の石を掴んで軽く握ると、石は砂粒のように粉々に砕けた。まるでオウガのような怪力ぶりである。
「それって気功ってやつで身体を強化したの?」
「いいえ、何もしていません。今日戦って違和感を感じたんですが、なぜこうなったかはよく分からないです」
「アニキ、なんか変な物食べた?」
「そんな食べ物で急に身体が変わるわけな―――――――――あっ」
ヤトは何か心当たりがあったのか、暇そうにアリの巣に枝を突っ込んでいたクシナに尋ねた。
「クシナさん、僕が死にかけた時に貴女の腕を与えて傷を癒したと言っていましたが、それ以外にも効果があるんですか?」
「儂の血肉を与えたのだから当然儂に近づく。つまり今の汝は人と竜の間に居るわけだ」
つまり今のヤトは竜に近い力を身に宿しているというわけだ。
カイルはそれを聞いて興奮気味に、ヤトの身体をあちこちベタベタ触る。絶世の美貌の少年と美形の青年の絡みは好みの者からしたら垂涎ものの光景だろうが、幸いなことにクシナにはそんな退廃的な趣味は無い。精々、仲間同士で遊んでいるぐらいの認識だろう。
いい加減触られるのが嫌になったヤトがカイルの額を軽く小突くと、エルフの少年は吹っ飛んだ。力加減を誤ったのだ。
「―――――どうしましょうこれ」
より強くなったのは良い事だが、自らの身を自由自在に扱えないもどかしさが心を満たした。
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