第38話 人と竜の営み



 閃光のように振り下ろされた罅だらけの赤剣。狙いは頭部。どのような生物であれ、頭を斬り飛ばされて平然としているはずがない。


「なめるなーーーーー!!!」


 躱せるタイミングではなかった。だが人間の尺度で古竜の意地を測れるはずもない。

 意地の籠った咆哮によって大気が震え、満身創痍のヤトの身体も僅かに揺らいでしまい、頭部への剣閃が逸れてしまう。

 それでも気功によって強化された剣の間合いからは完全には逃れられず、伸びた不可視の切っ先によって右の前足を肩の部分からごっそり斬り落とされた。

 そこで気功と魂が枯渇する。しかし剣鬼は最期まで剣鬼であった。

 頭には目もくれず、今しがた斬り落とした右半身に肉薄。ほぼ役に立たなくなった視力を無視して勘で断面に赤剣を突き立てる。

 しかし切っ先が竜の肉に触れた瞬間、とうとう赤剣は限界を迎えて刀身が砕け散った。最期の最期で道具の酷使が祟った。

 同時にヤトも力を失い倒れた。

 古竜の右腕から流れる血溜まりにより動けないヤトは血に溺れる。放っておけば勝手に溺死するだろう。そうでなくとも最早彼の命は手の施しようがないほどに尽きていた。

 ヤトは血だまりの中で呼吸すら出来ない有様だったが、自分でも意外なほどに満ち足りていた。

 全てを出し切っても勝てない相手が居た事、己が最強ではなかった事への落胆はある。今はまだ弱くてもいずれ鍛えて、さらに強さを得る事が出来ないのも悔しい。一体何が足りなかったのか答えを見つけたかった。悔いは多い。

 しかし、それ以上に充足感が魂を満たす。世界は自分が思っていたより広く深く強い。己の分を知る事が出来た。

 そして何より、恋焦がれた相手の手で討たれる事、看取られる事に喜悦を感じている。あるいは数日前のヒグマのように餌となるかもしれないが、恋をした相手の糧になるのも悪くない。

 薄れゆく意識の中、白銀竜が手を伸ばす。それを止めと解釈したが、予想外にも竜はヤトを持ち上げて、自らの傍らへと優しく置いた。

 既に声も出せず、指一本すら動かない瀕死だったが、竜は構わず語りかける。


「死ぬな。汝は死んではならぬ。生きるのだ。生きて儂と共に居よ」


 出血と至近からの咆哮で半ば聴覚が壊れていたが、それでも古竜の声が泣いているように濡れたものだと分かる。

 種族、年齢、体格、思想。人と竜は何もかもが違う。共通点を探す方が困難だ。そしてたった数十分前に相対して命懸けで殺し合っただけの間柄でしかない。

 そのような敵同士であっても、ヤトと古竜は千年を超えて共に過ごしたような理解を共感、そして親愛の情を抱いていた。何故と聞かれても互いに分からない。否、共に魂で理解しあっていても言葉には表せない想いがある。

 だが既に時は逸した。このままヤトは敗者として竜に看取られて息絶える。それは定命の種族にとって逃れられない宿命であった。

 薄れゆく意識の中、ヤトは傍らの竜を何よりも愛おしく感じて瞼を閉じだ。



      □□□□□□□□□□



 次にヤトが目を開けた時、白銀竜にもたれかかっていた。

 辺りを見回すと周囲は夕暮れに染まっていた。


「―――――あの世ではなさそうですが」


 死後の世界など微塵も興味が無かったが、現世と全く同じというのも味気ない。だから目に入る情景はあの世と違うと思った。

 しかしあの世ではないとすると、今の状況をどう理解すべきか。

 ヤトは自身の身体をしげしげと観察して、自分の意志であちこち動かす。

 千切れた左腕は指一本欠損していない生まれたままの形。体中にあった傷も古傷を除けばどこにもない。燃えた髪も元通り。声帯も万全に機能する。服は完全に失われており全裸である。

 試しに身体を動かすと、かなり違和感が大きいが一応思い通りに動いてくれた。赤剣による蘇生とは些か趣が異なる。

 もしやと思って手に握った赤剣の残骸に目を向ける。柄と僅かな刀身しか残っておらず、当然内包する魂も魔力も残っているようには思えない。完全にゴミと化していた。

 あの状況でどうすれば蘇生するのか分からず、真上を見上げると竜と目が合った。


「どうも、愛しい方。僕はどれぐらい寝ていました?」


「一度日が落ちてまた出てきたな」


 どうやら一日以上眠っていたらしい。つまりその間、ずっと竜はヤトの傍に居て彼の寝顔を眺めていた事になる。暇なのか。

 古竜は右腕を失ったままだ。それをヤトは少し悲しそうに見ていると、大きな笑い声が響いた。


「よい。斬られた腕など塵芥に等しいわ。そのおかげで汝は生き永らえたのだぞ」


「僕の命?――――――そういえば伝説では竜の血や肉には不死の力が宿ると聞いた事があります。もしかして――――」


「うむ。儂の腕を汝に与えて命を繋げた。初めてだったから不安だったがな」


 古竜曰く、ただ竜の肉や血を口にしたところで無駄だが、竜と真に心と魂を通わせた相手に分け与えれば、例え死してもなお現世に魂を呼び戻すという。それが伝説の正体だった。

 竜の言葉が本当なら、両者は真に心と魂を通わせた間柄という証拠になる。ヤトは恋焦がれた相手と魂を通わせるのを何となく恥ずかしいと感じた。

 そして古竜はヤトに顔を近づけて優しく擦りつけながら、とある提案を申し出た。


「それで儂は汝と子を成したい」


「――――――はい?」


「ん?通じなかったか?儂は汝と番になって子を作りたいと言ったのだ」


「あの―――――なんで?」


 古竜に脈絡も無く子作りしたいと言われたヤトは何故と問う以外に理解が追いつかない。確かに寄り添う古竜に恋焦がれ、愛しいと思っているが、いきなり子を作りたいと言われたら戸惑いしかない。そもそも竜と人で子を成せるのかすらよく分からない。それ以前に古竜が雌と今言われるまで気付かなかった。

 混乱するヤトをよそに、竜は明瞭な答えを教えてくれた。


「汝が強いからだ。儂も長く生きているから、今まで何度も雄に言い寄られた事がある。だが、儂と戦うと必ず尻尾を巻いて逃げてしまう。儂が一番強いからだ」


「でも、僕だって貴方に勝てませんでしたよ」


「それでも逃げるどころか、死ぬと分かっても挑んできたのは汝だけだ。しかも全身全霊、全てを懸けて儂の命を求めた。あの時の汝は儂が卵より生まれい出て見たモノで、最も美しく失いたくないモノだと思った」


「それは僕も同じです。貴方はこの世で何物にも勝る美しい方です」


 互いに臆面も無く美しいと讃える様は、傍から見れば似た者同士お似合いである。精神面にはさして障害は無い。

 しかしだからと言って両者の間に横たわる問題が減るわけではない。第一、人と竜は生物的構造が丸っきり違う。人類種同士であれば混血も珍しいものではないが、どうやって人と竜が交わるというのだ。

 そこでヤトはふと、故郷に伝わる幾つかの竜の伝承の中で、竜に嫁いだ女の話や、人に化けた竜の娘が人間の男と夫婦になる話を思い出した。ただ、それはあくまで伝承やお伽噺であって事実とは言えない。

 一応ヤトの生国の『葦原の国』は伝統的に獣人や亜人との混血が多い土地柄で、稀に竜のような外見の亜人も生まれているらしいので、竜との混血も可能性が無いと断言は出来ない。

 悩むヤトに古竜は一目見せた方が早いと判断した。そして目を閉じて何か念じ始めると、巨大な身体が一瞬のうちに消失してしまった。

 傍に居たヤトは支えを失い、後ろに倒れた。そして倒れたその先に目を奪われる。

 そこに居たのは白銀の竜ではなかった。代わりに右腕の無い女が居た。

 美しい女だ。白銀色の長髪、夕陽のような赤い瞳、リンゴのように豊かな乳房、曲線を描くくびれた腰、引き締まった太もも、艶のある雪のように白い肌。小柄だが肉感に満ちており、強い生命力に溢れた肉体は片腕だろうが美しい。

 勿論顔立ちも整っている。おまけにこめかみから一対の捻じれた太い角が生えていた。その角に見覚えがある。つい先程まで居た白銀竜と同じ角だ。


「どうだ、これで子を作れるぞ」


「もう、何を見ても驚きませんよ」


 死者を蘇生させられる竜からすれば姿かたちを変える事など片手間で済んでしまうわけだ。

 ヤトは納得と共に呆れもするが、それよりも竜が変じた女性の美しさに心が躍ってしまう。今まで一度たりとも女の裸体に心を動かされた事など無いが、この時ばかりは股間の一物が節操無しに自己主張を始めてしまう。

 それを見た白銀の女は目を輝かせて下で唇を舐めた。まるで獲物を見て悦びを露わにする肉食獣のようであった。

 もはや逃げられそうもないし、逃げる気もないが、肝心な事を忘れていた。だからヤトは竜に尋ねた。


「貴女の名を教えてくれませんか?僕はヤトと言います」


「名か?儂のような卵から生まれた竜は二本足のような名を持たぬ。そうだな、汝――――ヤトが呼びたいように呼べばいい」


「―――――――では、クシナと呼ばせてもらいます」


 クシナとはヤトの故郷に伝わる昔話で、悪竜を退治した英雄の妻になった姫と同じ名だ。

 名を貰った古竜改めクシナは、生まれて初めて他者からの贈り物である自分の名を何度も反芻して嬉しそうにヤトに礼を言った。


 そして生まれたままの姿の男女は夕陽の中で一つに重なり、太古から続く荒々しい営みに身を委ねた。



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