東人剣遊奇譚
卯月
第一章 白銀竜
第1話 赤い剣鬼
――――――――閃―――――――――
昼間でも殆ど光の差さぬ緑深き森に横一文字の赤い軌跡が奔り、三つの頭が宙を舞う。
首から上を失った三つの胴体はぐらつき、血を吹き出しながら力無く膝を折って倒れた。
そしてようやく天高く舞った首達がゴロゴロと地面を転がり、彼らの仲間の足元へとたどり着く。
「GOOOOOOOO!!!!!」
言語化出来ない絶叫だが、彼らが仲間の首を見て何を想ったかは想像に難くない。残った者達は手にした粗末な棍棒や錆びた剣を高らかに掲げた。
豚に似た頭部と、鹿や猪の毛皮の腰巻を身に着けたずんぐりとした体躯を持つ亜人。オークは優れた身体能力に比べ低いながらも知性を有し、簡単ながら道具を作り、それらは全て略奪に用いられた。何より彼等は群れを作り、死者を悼む。その精神性が他の種族にとって非常に厄介な点である。
『仲間を殺した侵入者を血祭りに上げる。これは正当な報復である』
おおよそオーク達の心はこのように一致した。
だが彼らの義憤を嘲笑うかのように二度目の赤い軌跡が奔り、剣を掲げた一頭のオークの頭は腕と共に飛んだ。
「四つ。これで残り半分」
ここでオーク達は初めて敵の姿を目にした。
赤い剣を手にした人族の男だ。オーク達に他種族の老若や美醜は分からないが、仮に人族の目線から男を観察すれば、彼はまだ若く年の頃は16~17歳。やや女性的な細面と柔らかな眼差しは暴力とは無縁で、美麗の優男と言って差し支えない。
体格は平均的な人族の男性の範疇。つまりオークよりも頭二つは小柄。筋力量も比べ物にならないぐらい少なく、力に優れたオークの膂力なら、まるで小枝を折るように彼の全身の骨を砕いてしまうだろう。
一頭のオークは同朋を殺した死神が華奢な青年だったのを知り、あからさまに見下して笑う。彼らの多くは己のような巨体と筋肉を尊び、他種族の貧相な体躯を下等と断じ、餌か孕み袋でしかない価値観を持っていた。
そのオークは顔に怒りと笑みが貼り付いたまま雄たけびを上げて獲物と断じた青年に突進した。青年を叩き潰そうと振り上げる棍棒。しかし振り下ろされぬまま中空に止まる。青年は目の前に居なかった。
きょろきょろと辺りを見渡すも、どこにも獲物は見当たらなかった。――――が、背後から仲間が騒ぎ立てる声に気づき、後ろを振り返る。
首に涼風が通り抜け、視界が回転して空を向いた。
「????」
何が何だか分からない。どうして己は空を見上げているのか。声も出ず、体が動かない。おまけに餌が自分を見下ろしている。人族の顔など分からないが、こいつは明らかに俺を見下していると直感で分かった。
必ず殺して身体を食い尽くしてやりたかった。だが、一向に身体の自由が利かない。そうこうしている間に青年は赤い剣を徐々に目に近づけていき、ゆっくりと差し込んだ。
五頭目のオークが斬首により絶命した。
ここにきて残る三頭のオーク達は怒りよりも恐怖が勝り始めた。
相手はただのひ弱な人族。なのに半分以上の同朋が成すすべもなく首を刎ねられた。
おかしい、意味が分からない。なぜこんな仕打ちを受けるのか。自分達はただ、その日その日に腹を満たして、捕まえたメスと子を作って生きているだけなのに。
世界を呪うオーク達だが、そんなことで事態が改善する事などありえない。じりじりと赤剣を持つ死神が距離を縮める。
―――――アレはきっと自分達を逃さず殺し尽くす。何故そうするのかはついぞ理解に及ばないが、アレは断じて狩られるだけの獲物ではない。
(アレは狩人だ)
残るオーク達は青年を自分達と同じ存在と認めた。そして逃げるのではなく、恐怖を抱く己を鼓舞するかのように雄叫びを上げて突っ込んで行った。
技術も戦術も何もない、ただただ相手を殺す事だけを考えた突貫。元より身体能力に優れたオークに小難しい知恵はそぐわない。それだけの知性が無いとも言えるが、この場においては最適解だった。
なぜなら青年はオークをただの一頭とて逃す気は無い。もし逃げたのであれば無防備になった後ろから斬られて終わり。生き抜くには万に一つの可能性を信じて攻撃あるのみ。
技巧も統率も無い無謀極まりない突貫を前に、青年の瞳は風の無い湖面の如くどこまでも透き通っていた。
「ああ、そうでなくてはつまらない」
ただの人なら目前に迫る圧倒的な暴力に恐怖で足が竦むだろう。しかし、ここにいる青年は常軌を逸した想いを抱く剣の鬼。寝ても覚めても戦う事、相手を斬る事しか頭に無い、人から外れた怪物だ。そのような鬼人が恐怖に呑まれるなどありえなかった。
むしろ薄笑いを浮かべながら殺意を増大させた青年は、手にした赤い刃を地に突き立てて眼前の脅威に向けて薙ぎ払う。
剣の動きに追従して巻き上げられた枯れ葉と土はオークの顔面へと殺到して眼球を覆う。たまらず目を閉じるが、それが致命傷となった。
視界を塞がれたオークの背後に回り込んだ剣鬼は一頭、また一頭と首を刎ねたが、最後に残った一頭は殺される仲間を直感的に感じ取り、目の見えぬまま恥も怨みも投げ捨てて全力で走り去ろうとした。
予想外の行動に、僅かだが反応の遅れた剣鬼。もはや剣では到底届かない距離のオーク。しかし、慌てる事なく息を大きく息を吸う。
剣を上段に構え、息を整えて、標的に視線を定めた。
「颯≪はやて≫」
小さな呟きと共に振り下ろされる剣と同時に、逃げるオークは頭頂部から股下にかけて両断された。
静寂の戻った森。周囲に生き残りが居なくなったのを確認した青年は大きく息を吐いて赤剣を鞘へと納める。
そして彼は無言のまま、森に転がる首から短刀を使って鼻を削ぎ落した。計八頭分の鼻を集めると、腰に着けた革袋に乱雑に放り込み、用は済んだとばかりにその場を離れた。
伏した骸は晒されたままだったが、血の臭いを嗅ぎつけた狼達がこぞって集まり、豪華なディナー会場へと化したため、瞬く間に八頭のオークだった肉塊は消え去った。後に残ったのは骨のみである。
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