第143話 夢一夜(4)

「・・だいじょうぶ?」



志藤は優しくゆうこに声をかけた。



「はい・・」



小さな声で答えた。




でも


なんだか


同じ行為なのか、と思うほど


彼が自分の身体に触れる手は



優しかった。





堪えようと思っても


恥ずかしいほど


声が出てしまって。




体がふわふわと浮いてしまうような感覚に襲われる。




「あ・・」



何かに縋りたい気持ちになったとき


それがわかっていたかのように


志藤は大きな手を彼女の手に絡めて、ぎゅっと握ってくれた。



彼がいてくれなかったら


一晩中


泣いていたかもしれない。



こうやって


先回りして手をしっかりと握ってくれて。



今は


死ぬほど


その快感に身を委ねることができた。




疲れていたのか


いつの間にかに眠り込んでしまった。



ふと目を覚ますと、うつぶせに眠った彼の顔が横に見えて、


その手で背中を抱くようにしていてくれた。



ゆうこはそっと


その手を振り解く。





「ん・・」



志藤は目を開けたが、裸眼ではほぼ周りが見えないほどのド近眼なので


まだ薄暗い部屋の中で動くシルエットが見えた。



ぼんやりと


ゆうこが脱ぎっぱなしだった自分のスーツをキレイにハンガーにかけて、埃を払ってくれていたのが見えた。


寝起きだったが


その彼女の所作に思わず微笑む。




「・・ありがと、」



ボソっと言うと、ゆうこはハッと振り返る。



「い、いえ。 皺になると・・いけませんから・・」


そして、恥ずかしそうに目を逸らしながら言う。




志藤はゆっくりと半身を起こした。



時計を見ると6時前。


この時間がまだまだ暗い時期になった。




「もう始発も出ているので。 帰ります。」



ゆうこは小さな声で言った。




「・・送って行こうか、」



サイドボードに置いたメガネをかけた。



「いえ。 一人で大丈夫です、」


少しだけ微笑んだ。



「・・そう。」




それだけの会話だった。




こんなことがあっても


別に何も変わらない。


変わらないんだから。




ゆうこはようやく昇り始めた朝日を電車の中からぼんやりと見つめていた。



ただ


彼女の中で


何かが粉々に砕け散ったのは


確かだった。



それにゆうこ自身が気づくのは


まだ少し先であった。


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