第128話 情熱(3)

真尋がフェルナンドについての仕事がない時間は


ほぼ、そのスタジオで費やすことになった。



「白川さん。 悪いけど、何か食べるものを買ってスタジオに行ってくれない?」


志藤はゆうこに言った。



「え・・真尋さんの、ですか?」



「たぶん朝から何も食べてないでしょう。」


自分の財布から5千円札をゆうこに手渡した。



「・・はい。」


ふと微笑んでそれを受け取った。




なんだか


彼への印象が


すごく変わっていく。




真尋のピアノが


それだけ、衝撃的だったのか。


以前のように


辛辣な言葉を人に浴びせることもなく



オケの仕事も


ものすごい情熱を持って引っ張っている。




ゆうこはそっと真尋のスタジオに入って行く。


すると、シーンとして薄暗かった。



「・・?」



足音を立てないように入っていくと、真尋はピアノに座って鍵盤に手を置いたまま寝ていた。



なんて


器用な・・




その姿に引いてしまいそうになりながらも、起こさないようにそおっと買ってきたクラブハウスサンドとコーヒーを脇のテーブルに置いた。



そっと出て行こうとしたとき、椅子にぶつかってしまい音を立ててしまった。



「あ??」



真尋はハッとして顔を上げる。



「ごっ、ごめんなさい。 起こしてしまって、」


ゆうこは申し訳なさそうに言った。



「・・なんだ。 ゆうこちゃんか。」



「あの。 サンドイッチを持ってきました。 コーヒーも、」



「あ~。 ありがと! ハラ減ってたんだよなあ~。」


ゆうこから手渡された紙袋にやおら手を突っ込んで、ピアノの前に座ったまま食べ始めた。



「ピアノに食べカスが!」


ゆうこは慌ててフタを締めた。



しかし


そんなことは全く気にせずに、またもライオンの食事風景になって真尋は豪快に食べ始めた。



「志藤さんが。 きっと朝から何も食べてないだろうからって、」


と言うと、



「は・・。 あのオッサン。 よくゆーよ。 めっちゃくちゃ厳しいノルマ押し付けやがって!」


真尋は機嫌悪そうに言った。



「コンチェルトの楽曲のほかに、ミニコンサートの曲! 3曲も勝手に決めてさあ! おれ、1曲仕上げるのにどんだけ時間かかると思ってんだっつーの。」


ぶつくさと文句を言った。



「でも。 きちんとやって。 えらいですね。」


ゆうこが褒めると、



まんざらでもなさそうにふっと笑って、



「そーでもねーけど、」



と、またサンドイッチをぱくつく。



そして、あっという間にそれらを食べ終わった真尋は、手についたマヨネーズをペロっと舐めただけで



「ね。 ちょっとだけ聴かせてあげる。」



いたずら小僧がそのまま大きくなったような笑顔でゆうこに言った。



「え?」



「真太郎の結婚式の時に弾く曲。 これも練習しなくちゃだしさあ、」


と、勢いよくピアノのフタを開けた。




そして


奏でられた曲は


『愛の賛歌』


だった。



真尋流のアレンジがしてあって


それはそれは


死ぬほど美しい旋律だった。




すごい・・




真尋のピアノを初めて耳にして



ゆうこは感動で


動けなくなってしまった。




こんなに


いかつい人が


こんなに


優しい音を出すなんて。



信じられない。


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