23話目 皇帝と皇后登場
「すみませんこっち向いて下さい!」
声に振り向くと、ぱ、と一瞬まぶしい光が目を刺す。声を立てた若い男には真っ赤な腕章が巻かれている。
白抜きで「紅華日報」と書かれている所を見ると、そこの記者なのだろう。別の所では、白地に青で「天虹通信社」と書かれた腕章の記者も居る。どちらも、副帝都で一、二を争う新聞社である。ちなみに紅中私塾で取っていたのは「紅華日報」の方だった。
どちらも記者一人ではない。記者に加えて、まだ軽い持ち運びは無理である写真機を抱えた技師がそれぞれ二名ついている。
どうやら今から行われる式が「ちょっとした」ものに過ぎないというのは、単に軍楽隊の合奏が無い、それだけのことではなかろうか、とアーランは思わずにはいられない。確かにそれだけ取れば「地味」な式であることは事実だろう。
次第に集まってくる顔ぶれは、顔はともかく、着ている服や腕章、肩の階級章などで高官であることは彼女でも判る。
「それにしても色味の無い式だな」
カエンが腕組をしてぼそっとつぶやく。そうよね、とアーランも応える。
「リュイファ様はおいでになるとワタシもてっきり思っていたのだが」
「お忙しいんでしょう?」
「まあそうだろうな。それにあまり式の来賓として女性が参加したという話も聞かないし」
「へえ」
実際「色味」がなかった。
集まった高官の殆どが官服か軍服である。
すると必然的にそこには鮮やかな赤系の色などは見られなくなる。
官服の基本の色は紺や焦茶である。警察局は深緑、軍服も複雑な、だが暗い調子の色である。
天幕や、その下のテーブル、その日の記念品贈呈用の道具の用意にしても、そんな細々とした用事をするのは、内務庁の文官か、駅の職員ばかりだった。
ふと、周囲がざわざわとし始めたのに二人は気付いた。その様子がそれまでの忙しさに追われるものとは違っていることは一目瞭然だった。
「お二人とも、先刻指示した所へ移動して下さい」
式を取り仕切る内務庁の初老の役人が、やや緊張した面もちで二人に叫んだ。
「どうしたんですか?」
カエンも負けず劣らずの声で訊ねる。困ったな、という顔で彼は近付いてくると、声を落とす。
「そろそろ陛下があらせられるのだよ」
「!」
それだけ言うと、役人はさっさと自分の仕事へ戻って行った。さすがに二人の顔にも緊張が走った。
遠くから馬車が近付く音が聞こえてくる。
二人は黙ってうなづき合うと、指定された場所に移動した。
大きな天幕の下に、赤いびろうどが張られた椅子がちょこんと二脚用意されていた。色味が少ない中、その椅子はひどく目に鮮やかだった。
馬車が止まると、その場所に即座に、長い厚手の短毛のジュータンが転がされた。そのジュータンの赤い道は、まっすぐアーランやカエンの座る席の前あたりまで伸ばされた。何て長さ、とカエンはつぶやく。
出席者である高官達も席に付きはじめていた。アーランはさっと視線を巡らす。簡略形の官服だ、とカエンはその視線に気付いて囁いた。普段の官服よりはやや長めで、重そうな印象を受ける。
武官の地位が少しでもある者は、上着の上に革製で袖の無いベストを付ける。その腕回りには、毛皮の縫い取りがされるのが普通だが、季節によっては外されることもある。従ってそれはその時にはまちまちであった。
ベストの肩には位に合わせた飾りが付けられる。階級はそれで一目で判断できる。分かりやすく言えば、高級士官になればなるほど肩が派手になっていくということだ。
文官に比べ、武官の上着は短い。そしてズボンにもたっぷりとした緩みがある。外見より実用を重視する必要がある。ぴったりとしたズボンでは馬にも乗れない。裾は長靴に入れられるか、さもなければ膝下を布で巻くことで邪魔にならない様にする。
結果として、文官と武官は、基本となる服の構成は同じにも関わらず、そのシルエットは遠目でも判る程違うものになる。
その文官武官が一斉に立ち上がった。慌ててアーランとカエンも立ち上がる。
馬車から皇帝と皇后が降りてきたのだ。
アーランは息を呑んだ。彼女の目はいい。そして小声で隣の友人に囁く。
「絵姿と同じだわ」
一般に流布している皇帝の絵姿は、即位して何十年も経つというのに、まるで二十代半ばに見えた。
それが写真であったなら、教科書の記述も信じられるだろうな、と彼女は思っていた。絵姿であることで、彼女はそれが嘘だろうと疑っていた類である。
ところが、だ。
全身黒の軍服に身を包んだ皇帝は、その絵姿通りの若者に見えた。飛び抜けて背が高いという訳ではないが、充分平均以上ではあった。
顔立ちは悪くない。遠目で見ても、濃い眉がくっきりと際だつ、ある意味で端正が顔立ちの青年に見えたのだ。
だが面食らったのはその恰好だった。黒い髪がやや長めに伸ばされているが、それは整えられるでも編まれるでもなく、ただ無造作に後ろで一つに結ばれているだけである。
よく見ると、無造作なのは髪だけではなかった。武官特有の、前開きのベストは、他には見られない黒いものではあったが、これでもかとばかりにボタンが外されている。ベストの下の上着にしても、一番上は外されていた。
だが妙に違和感がなかった。びっくりはしたが、彼の持つ、下手すると傲慢にまで見えかねない歩き方立ち方、そして視線の回し方を全部加味すると、その恰好がひどく当然に見えてくるのだ。
そしてこころもち後ろに居る女性。それが皇后陛下なのだろう、とアーランは気付いた。今度は別の違和感があった。
皇后の着用している紺の服は決して流行の型ではなかった。
スカートこそ最近の、くるぶしよりはやや上、という長さであったが、そこに流行のひだはついてなかった。すとん、と真っ直ぐ落ちる、この国に昔からある形のものだった。
上着は上着で、袖を膨らませもしていない。袖口の刺繍はさすがに豪華なもので美しいが、いつの時代のものだ、と言いたくなるようなものだった。
だがその上着には、きらびやかな金糸銀糸、鮮やかな色糸を使ったとりどりの細かな刺繍が美しい。
そしてヴェール。頭に乗せられた金の輪の下から薄い紗のヴェールがかかっていて、顔は見えない。口元だけがかろうじて見える程度だ。
結い上げられている栗色の髪も、これでもかとばかりに差し込まれている簪の一つ一つまで判る。だが肝心の目元が全く見えない。
アーランは緊張していた。皇帝皇后のそれだけの容姿を一気に観察するだけの余裕があったにも関わらず、だ。
たとえその存在に実感がなかろうと、何はともあれアーランはただの臣民の一人だった。目の前にこの帝国全土を治める皇帝と、その唯一の配偶者が目の前に居るといえば緊張するのも当然である。
二人は並べられた席の、一番上座に座った。そしてそれを合図のように、「ちょっとした式」が始まった。
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