12話目 どうやらさらわれたらしい。

「ぶ!」


 強い臭いに鼻が痛んだ。思わずアーランは飛び起きる。頭がくらり、とする。


「まだじっとしてて!」


 カラシュの声が耳に入る。だが周囲がかなり暗く、何処にいるのか判らない。

 そうっとアーランは手を伸ばした。

 腕を伸ばしきらない程度の距離に、カラシュの肩があった。

 触れられたのに気付くと、カラシュはアーランの手を取った。握られた手の温みに妙にアーランは安心する自分に気付いた。


「眠り玉がはじけたのよ」

「眠り玉? ここは」


 そしてその時アーランはやっと、そこが真っ暗だ、ということの意味が判ったのだ。


「ここは何処!?」


 しっ、と軽く声が聞こえる。手を握る力が少し強くなる。


「静かにして。何が出てくるか判らないわ。カエンも起こさなくちゃ」


 何やらごそごそと取り出す気配がする。

 次第に目が慣れてくる。

 全くの真っ暗闇という訳ではないようだ。次第にぼんやりと、物の輪郭が見えてくる。

 光だ。

 何処かから光が入っている、とアーランは気付く。

 天井の明かり取りの窓から、月の光が入ってくる。色の無い光が、ぼんやりと漂っている。


「……天井裏?」


 低いカエンの声が耳に飛び込んできた。目を覚ましたらしい。ゆっくりとこちらへ近付いてくる気配がする。


「何でワタシ達、こんなところに居るんだ?」

「少なくとも夢遊病ではないでしょうよ」


 だんだん目が慣れてきたのか、立ち上がって天窓を見上げるカラシュの姿が映る。月が大きな夜ではないらしい。窓ごしに星が所々に瞬いている。


「自分で来たんじゃないなら、誰かが連れてきたということしかないわ」

「まさかそれが『反対派』の行動だっていうのか?」


 カエンは明らかに不快そうだった。


「まあそれは考えられるわね。さほど遠くまで連れて来られてはいないようだけど」

「どうして判るの?」

「私達が一昼夜眠っている訳じゃなければね」


 カラシュは天窓を指す。


「話していた時、もう夜だったでしょ? 今の時期なら、月はあの時間にはまだ中天に達してなかったはずよ。まあやや昇ってはいたけれど」


 そういえば、とアーランは天窓を見上げる。

 光はまっすぐ天井裏の、この部屋の中に届いている。

 つつ、とカラシュは天に向けた指を動かす。微かな光が、彼女の指の動きにつれて残像を残した。


「せいぜいがところ、二時間ってところよね」

「二時間、じゃそう遠くまでは確かに来られないな。それじゃ松芽枝の中ということになるな」

「そうね。それに松芽枝の中でも、天窓のある天井裏のあるような屋敷はそう多くはないと思うわ」


 確かにそうだった。そもそも天井裏がある三角屋根を持つような建築物は、ごくごく最近のものである。

 帝都の近いこの地方は季節の変化はそれなりにあるが、強い雨も風も雪も無い。

 そのせいか、屋根には厳しい気候気象を避けるための傾斜をつけてはいない。わざわざ屋根裏に人が住める程の空間ができるほど傾斜が急な屋根は、穏やかなこの地方にはもともと無かったものなのだ。

 むしろそれは、西南の枝垂桜シダレザクラ市あたりのものによく見られるものだった。確か地理の時間に習ったな、とアーランは思い出す。

 最後に併合された藩国「桜」は、文化が魅力的だったのか、併合後もしばらく帝都周辺の文化に影響を与えた。「枝垂桜」式と、併合後の都市名を付けられたその様式は、副帝都でずいぶん流行したという。

 とは言え、すぐに模倣できるのは、やはり服装や、一般に流布できる本とか、そんな程度である。建築に関しては、ずいぶんその価値を評価されるのが遅れたらしい。

 実際、地元の職人でないと判らない所が多く、結局「枝垂桜」様式を使って屋敷を建てることができる者など滅多にいないのだ。

 端的に言えば、この松芽枝ではとても珍しいところだ、ということである。


「とすると、誰の屋敷か、というのは結構限定できるな」

「カエン知ってるの?」

「三つあったな。まあその一つは別宅だが」

「別宅」

「聞いたことないか?帝 都に住む高官の本宅は副帝都にあるが、別宅は松芽枝にあることが多いって」


 ああ、とアーランはうなづいた。


「別宅ね。もしそれがここだとしたら、ここは保存庁長官の家だわ」


 カラシュも言った。


「なるほど、それならありえそうだな」  

「何が?」

「他の屋敷と言えば、ここいらの大店の持ち主がほとんどだろう? そういった連中よりは保存庁長官、の方が『反対派』の現実味帯びないか?」

「何故?」


 アーランはやや眉を寄せる。そんな微妙な表情の変化は、声にも影を落としたらしい。ん、とカエンは軽く反応すると、


「今の保存庁長官って言えば、それこそ『保存庁』そのものの人だってのは、昔から言われているじゃないか? 若くしてその地位についたにも関わらず、古き良き伝統を盲目的に良しとし、新しいものを取り入れることから目を背けていると」


 カエンの声がややアーランとカラシュの間を動く。だがカラシュはそれには答えない。


「違わないか?」


 今度は明らかにカラシュに向けたものだった。カラシュは腕組みをして近くの柱にもたれていた。


「残念ながら、それは違うでしょうね」

「何故だ?」


 さっきアーランがした質問を、今度はカエンが発した。


「あまりにも、当然すぎるでしょう? そんな単純に物事は運ばないと思わない? それに今あたし達が考えなくちゃならないのは別のことじゃなくて?」

「別のこと」

「何?」


 アーランとカエンの声がだぶった。


「もちろんここから逃げ出すことよ」


 カラシュは有無を言わせぬ口調で断言した。


「でもまあ、それにもタイミングという奴が要るから、少しここで休みましょ」


 アーランは顔をしかめて小さくうめいた。

 暗がりの中でも、その時のカラシュの顔は実に見事なまでの笑顔だったのだ。

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