四年に一度の下校先輩
神納木 ミナミ
第1話 四年に一度の下校先輩
冬季オリンピックで世間が盛り上がっている頃、彼女を初めて見た。
枯れ木のように華奢な体が、ブレザーの制服を着ていても見ればわかった。
はめた腕時計がぶかぶかで歩く度に少しづつ、手首を回っていくのが綺麗な長い髪を揺らして歩く姿や、当時165㎝あった僕の身長より高い事よりも気になった。
卒業式を迎えた頃、それまで話した事もないが、たまたま目が合ったので笑ってお辞儀をすると、微笑み返してくれたのが印象に残っている。顔立ちの良い、儚いよりは、幸が薄い美人といった感じ。
雨でぐしょぐしょの桃色の桜の花道を一人、傘をさして下校した、そんなイメージだった。卒業式を終えた翌日にも登校するんじゃないか? と思うほど普通に帰っていった。その時から彼女の事を「下校先輩」と思うようにした。口には出さない。
夏、ワールドカップで人気外国人選手の髪型を真似た男を見かけない日がない季節。
下校して以来、登校しない印象の先輩と再会する。
本屋にセーラー服姿で一人、参考書のコーナーを物色していた。
初めて会話をしたが、話慣れない様子だった。
何を話したかは覚えていないが
「生徒会においで」
この一言は覚えている。
彼女が去っていったあとでやってきた、顔も知らない数人のグループの言葉も。
「男ばかりにいい顔をしている」
「営業」
「中学生相手に『おいで』って。聞いた? 見境ないよね」
話しかけた事を後悔した事も覚えている。
翌年、先輩と同じ学校へ進学する。
生徒会へ入るには全校生徒の投票で勝ち残る必要があったが、書記はほぼボランティアに近く、卒業年のメンバーが推薦した者が参加できる。
途中編入だった、それはラグビーワールドカップでテレビが「ワンチーム」と言い出した頃なのでよく覚えている。「四年に一度」は僕の中で何かを思い出す際のシンボルになっている。
久しぶりに見た下校先輩は見た目にも頑強になっていた、精神的にも。
生徒会の「ワンチーム」は人を強くする、そんな場所だった。
下校先輩の目は常に会長に向いていて、媚びを売るわけではないが、意識が向いているのがわかる。彼は男女分け隔てなく態度を変えない、爽やかな先輩で、頼れる男だった。
下校先輩は日に日に強くなっていった。
靴が無くなった時、シャープペンの替え芯が滅茶苦茶に折られていて筆箱に散乱していた時、中庭から見える二階の教室の窓から一人で掃除をしていた時も強かった。
その全てに出くわしていた僕は間が悪いのか、良いのかフォローに入る事ができた。その時に口早に何かをまくしたてたが、内容を覚えていない。
これは先生に相談したほうが良いのではないか、とかそんな感じだ。
後日、「ワンチーム」のボスが珍しくキレているのを教室移動の際に見た。
下校先輩は困っていたが、一緒に歩く距離が徐々になくなり、最後にはくっついていた。
僕には資格がないのは先に述べた通り、覚悟の違いだ。
そうして、僕の眼に見える範囲では平和になっていた。
全てがそうだとは言えない。あなたは言いきれるだろうか、「この学校は清廉で模範的な素晴らしい場所です」と。
多分、ニュースキャスターなら言える。そういうお仕事だから。
2年目、下校先輩は会長になっていた。夏季オリンピックも中盤になり、金メダルの数が過去最高だとテレビが連日放送している。
夏休み、書記ノートが必要になったので取りに行った際、誰もいない校舎にグラウンドで汗を流す連中の声より、近い距離で鼻をすする音がする。それは体育館裏まで続いていて、そこに下校先輩が三角座りで膝の中に顔を埋めていた。
背が高く、最初に見たより強くなったはずの先輩が、初めて見た時よりも小さく見えた。
僕は何も言えずに去ろうとしたが、つまずいた際に音がなり、顔を上げた赤く濡れた目の先輩と目が合った。無言で足早に逃げた。
僕には資格がなかったから。
新学期に入り、生徒会の「ワンチーム」と再会する。
下校先輩とは夏休みの事は話さなかったが、下校先輩は元の強さを取り戻していた。OBとしてやってきた爽やか先輩会長との距離は開いていた。普通に話はするけど見えない距離と見える距離が皆に告げる
「終わったのだ」
終わったが、下校先輩はより強くなっていった。
彼女の周りには既に何人もの人間が集まり、支えあっていた。
友達が僕に、「会長と仲良くて羨ましい」と度々こぼすようになっていた。
僕は誇らしい気持ちになった。
そうして、最初に出会ってから四年に一度の最後の高校登校を迎える。
下校先輩の卒業式は晴天で、卒業証書を持った彼女へ生徒会一同からお祝いの言葉を述べた。両親に囲まれる生徒が多い中、彼女は一人だった。
だが、初めて見た時の幸薄い印象が消えていた。
太陽のようで、たった一人、輝いて見えた。
生徒会が解散した後、後ろから渡り廊下を元気にかけてくる足音に振り返ると、下校先輩が目の前にいた。
「元気でね。色々、ありがとう」
頭を掴まれ、くしゃくしゃにかき回されると、いたずらっぽく笑って去って行った。青空を桜色が埋める道の中を、走り去る彼女は花びらを散らして艶やかに友達の輪の中に溶けていった。
逆風の中、なお我を保つ彼女の笑顔はとても力強く、しなやかで、出会った中でもかなり強い女性だった。
彼女が医者になった事を知ったのはずっと後の事だった。
久しぶりに会った時には「そういえば、どうして携帯番号を交換しなかったんだろうね?」という話になった。彼女の携帯電話は紛失したのだが、その時にも彼女は強かった、強かったとしか言えない。ただ、そんな事も笑い話にできるほど、彼女はさらに強くなっていた。
そして、最後まで僕に資格はなく
お互い、別々の伴侶を得て収まる所に収まった。
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