7



 いつのまにか失神していたらしい。


 再び目を覚ますと、また場所が移動していた。ただ、今度ばかりは勝手が違っている。



「なに、これ……」



 寝かされていた寝台の敷布などこそ新しい物に変えられてこそいるが、見覚えのある調度品達。それならば、と、床を見ると。


 ――あった。


 探しているものが。月日が経った故に色こそせているが、間違いない。間違えようがない。



「……ここって、まさか」



 ――パタリ



 両開きの扉が開かれる音が、続き部屋の方から聞こえてくる。慌てて寝台の上で横になり、寝たフリを決め込んだ。



「紅華。あ、いや、今は凛莉だったね。起きてるんでしょ? たぬき寝入りなんかしてるとまた襲われちゃうよ?」



 僕はそのままでいてくれても一向に構わないけど、と不穏なことを寝台の端に腰かけて呟かれれば観念せざるを得ない。

 ゆっくりと。けれど、少しずつ彼がいる方から離れつつ、身体をそっと起こした。



「おはよう」



 今まで着ていた質素な衣服とは違い、上質な衣服を身にまとった月新が笑っている。きっと、腕の良い職人が質の良い生地で丹精込めて織り込んだのだろう。そんな衣服に着られている感どころか、寸分の違和感すら感じさせないほど着こなしている。


 ここまでくると、月新というのも偽名に違いない。こちらは名前どころか住む場所すらも知られているというのに、随分な扱いだ。


 けれど、凛莉も諦めてはいなかった。



「……誘拐犯と口をきくつもりはないです。家に帰して」

「帰してって……帰ってきたじゃないか」



 強めの口調で睨みつけると、月新は肩をすくめた。まるでワガママを言う子供のように扱われ、凛莉の眉間がぎゅっと寄る。


 確かに、彼の言い分に黙って耳を貸すとそうなるのかもしれない。この部屋は昔、凛莉が、否、紅華が使っていた部屋だ。毒を盛られ、血を吐いた跡もご丁寧に残されている。


 ただ、その言葉に納得して流されるわけにもいかなかった。



「帰りたいの。家族が待ってる家に」

「……相変わらずだね。君ってば、家族のことばっかり。寝ても覚めても、帰りたい、帰して、帰せ。それしか言えないのかなって心配になるくらいだったよ」

「……何のこと? 貴方、私を紅華って人と間違ってるんじゃない? 人違いなの。だから」

「だから帰して?」

「そうよ」

「それは無理」

「どうして!」



 激昂げきこうする凛莉に、月新はさらに笑みを深めた。



「たとえ紅華じゃないとしても、僕、が作ってくれる料理が気に入っちゃったんだ。一人占めしたくなるくらい。だから、どっちにしろ君は帰れないし、帰さない」

「なんでそうなるのよ……」

「あ、でも、安心してよ。僕も前回のことがあってから反省したんだ。だから、君の父親はちゃんと家に帰すよ」

「お父さん、無事なの!?」

「まぁ、ね。言ったでしょ? 反省したんだって。きっと今頃家に着いてる頃じゃないかな?」

「よ、良かったぁー」



 父親から連れていかれた料理人は生きて戻ってはこられないらしいという話を聞いていたし、ましてや相手は十中八九、前世で自分の家族を殺めた皇太子。もしかしてという疑惑が頭をちらついていただけに、凛莉は心底ほっとして胸をで下ろした。



「……で、さ。紅華。あぁ、凛莉だっけ。君ばっかり満足できる結果になるのは不公平だとは思わない?」

「全然! むしろ、こうなったのは貴方が原因でもあるじゃない!」

「そんな昔のことは忘れたよ。で、僕のお願いなんだけど、君を僕の専属料理人としてやといたいんだ」

「専属料理人?」

「そう。君にとっても悪い話じゃないと思うんだよね。なんてったって、珍しくてなかなか手に入らない食材なんかもすぐに手に入るんだよ? 君が作りたいけど、材料がなくて諦めたものも、もしかすると作れるかもしれない」

「……」


(駄目だ、駄目だ)



 忘れてはならない。目の前にいる人物は前世の両親を殺した。



「あぁ、言っておくけど、紅華の両親を殺したのは僕じゃないよ。君は最期まで誤解してたみたいだし、僕も好かれないくらいなら憎まれたままでいようと思って今まで黙ってたけど」

「……え?」


(嘘だ。だって、あの時、あの人が持っていた剣には……)



 凛莉が考えていることなんてお見通しだというのか、月新は言葉を続けた。



「あの時の剣についていた血は君の家を襲撃したぞくを討伐した時のものだよ。僕のちょうが他へ移ったと思って、今が絶好の機会だとでも考えたんだろうね。再び権勢をぶり返さないうちにと頭の悪い虫共が始末しようとしたみたい」

「それじゃあ、殿下は……」

「あ、やっぱり君、紅華だったんだ」



 はかられたと気づいた時にはもう遅い。凛莉の口から漏れ出た言葉に、月新は笑みを深めた。


 確信まではなかったのか、決定打が本人の口から欲しかったのか。恐らくは後者だろうけれど、頭の良い彼のことだ。確信を持たれたからにはもはや言い逃れはできない。


 凛莉は寝台から降りてそのまま床に足をつき、拝謁はいえつの姿勢をとった。



「……両親のかたきを討っていただき、ありがとうございました」



 寝台を間に置いたため、月新が回り込んで目の前に立ったのが分かる。頭を下げている凛莉の目に、月新の履いている靴の爪先が見えた。


 人差し指でついっとあごを上向けられ、凛莉と月新の視線が合う。


 月新はますます笑みを深め、口を開く。

 決して獲物を逃さない肉食獣が、獲物を見つけ、捕えた瞬間だった。


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