二、村民と鯨

 その村の浜辺には、ときどき巨大なくじらが打ち上げられた。口承が曖昧あいまいだった時代は、打ち上げられるたびに村民が恐怖におののいていた。大きすぎる魚の出現は、家屋ほどの大きさの犬が突然現れたようなもので、異常事態以外の何物でもなかった。

 恐ろしがって近付かないでいると、数日後には村民が跳び上がるほどの爆発音を立てて破裂した。現場は五臓六腑が散らばって悪臭が漂い、地獄絵図そのものだった。だがそれも嵐と鳥と海がさらっていった。それらの出来事によって、と、それをもたらし片付けた自然への畏敬と恐怖はさらに深まった。


 そこから時代を経て、村の思慮深い者たちが、後世の村民の恐怖をやわらげるために、〈そういうことが起こる〉ということを語り継がせることにした。やがて、鯨は海の神の化身であり海からの恵みでもあるとされ、敬遠しすぎていると怒りにふれ、あのように爆発するのだと解釈された。

 それからは、鯨が打ち上がると村民協働で爆発する前に即座に解体し、肉も筋も、およそ食せるところはすべてなくなるまで数日間にわたって食し、穫れた米からつくった酒をあおって踊り、神への感謝を表明した。その慣習が始まって二度目には、頭蓋骨を祀ろうという話になった。

 三度目以降、鯨が打ち上げられると村民はそれを食して祝祭をし、頭蓋骨は社に運ばれ、それまで納められていた先代の頭蓋骨と入れ替えられた。不要になった頭蓋骨ははらいを受け、砕かれ、砂浜や田畑にまかれた。大きめの欠片は各家内で祀られたりした。


 二十五代目の頭蓋骨が祀られていたころ、村の中の利発な若者、二平にへいが、村の守護神である神魚くじらについてのそれまでの口承を、統計的に整理した。すると、鯨はの頻度で打ち上げられていることがわかった。二年連続になるときもあるが、そのような場合、前後に三年以上の間隔があった。四年区切りで、そのいずれかの日に突然打ち上げられるのだ。これまでの百七年間で二十五の頭蓋骨、つまり、遅くとも来年には次の鯨が打ち上げられる――。

 二平はこの発見に驚喜し、跳ね上がって親しい村人たちに報告しに行った。村の長もそれを耳にし、二平を呼んで直接説明をさせた。その晩、二平は村民を前に世紀の大発見を雄弁に語り、多くの者の感心と敬服を勝ち取った。

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