第49話
「それこそ薩摩藩を眼の敵としている。
南蛮に寝返るかもしれない外様は多い。
薩摩藩だけ処断されるの納得できません」
島津斉彬は珍しく怒りを露にした。
だが、それこそが、徳川慶恕を認め尊敬している証拠だった。
普段の島津斉彬は、対面相手を教え導く立場だった。
武家としての官位や役目が上の相手でも、人物は島津斉彬の方が格上だった。
だが徳川慶恕は違う。
島津斉彬の方が格下で、甘え弱い所を見せても許してもらえる相手だった。
徳川慶恕が、弟達どころか近習や小姓までも遠ざけ、本当の一対一の対談を用意してくれていたことが、島津斉彬に本音を吐かすことになった。
その本音には、宝暦治水事件の時の恨みもあれば、今回琉球を支配下から奪われる事もあれば、徳川慶恕のお陰で子供に恵まれた恩もあるという、ある意味支離滅裂な所もある本音の吐露であった。
「宝暦治水事件に関しては、その当時の老中に責任をとらせる。
墓石に縄をうち、閉門処分とする。
切腹した藩士が望むのなら、幕府でも尾張家でも実家の家格で分家を召し抱える」
「お手伝い普請で抱えた借財三十万両はどうなるのですか」
「お手伝い普請は多くの藩がやってきたことだ。
薩摩藩だけ費用を与える事はできない。
その代わりと言っては何だが、琉球の代わりに与える大陸開発に役料を与える」
「琉球の替地は大陸だというのですか。
また島津家の負担を強いるというのですか」
激高する島津斉彬に徳川慶恕は丁寧に説明した。
トウモロコシ、サトウダイコン、ヒマワリ、ジャガイモといった、新たな作物で十分耕作地として活用できること。
毎年検地や交易の計算を行い、太閤検地のような不公平は行わず、北黒竜江の土地が実高二十万石の領地に育つまでは、幕府と尾張徳川家が琉球分十二万石の玄米を新領地まで輸送するという事。
島津家が望むのなら、その玄米は薩摩や江戸に輸送してもいいという事。
最初は感情的になっていた島津斉彬だったが、徐々に冷静となった。
そして条件闘争をする覚悟を固めた。
島津斉彬は英邁な君主で、徳川慶恕の温情を拒否して徹底的に逆らえば、命を狙われることを理解していた。
長州藩の毛利敬親は暗愚だから生かされているだけで、英明な君主ならば殺されていると分かっていた。
激しく粘り強い攻防で、北黒竜江の旗地から二十万石の領地が開拓できるまで、二十万石分の年貢米(二十万俵)を島津家に支援する約束を取り付けた。
開発できた石高分は減らされるが、二十年間の支援を約束させた。
藩士の北黒竜江領と薩摩藩領の移動費も、幕府と尾張藩で負担することになった。
特に島津斉彬が粘り強く交渉したのが、宝暦治水事件で切腹したと言われる五十二名と病死したと言われる三十三名の事だった。
徳川慶恕も、彼らの殊遇と暗躍した幕府役人に対する処分は譲歩した。
八十五名の藩士分家を旗本大番格二百石として召し抱えることになった。
悪事に加担した幕府役人の家は罰として一旦改易し、子弟を尾張藩で新規召し抱える体裁を整えた。
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