第2話幕末歴史年表

1809年

4月28日:島津斉彬、誕生

1811年

3月1日 :黒田長溥、誕生(島津斉彬の大叔父で黒田家に養嗣子)

1815年

10月29日 :井伊直弼、誕生

11月16日:長野主膳、誕生

1818年

    :伊達宗城、大身旗本・山口直勝の次男として誕生

1819年

12月3日 :阿部正弘誕生

1824年

5月6日 :徳川家定、誕生

4月14日 :徳川慶勝、誕生

1825年

8月16日 :松平武成、誕生

1827年

4月   :伊達宗城、宇和島藩主・伊達宗紀の仮養子となる

1828年

10月10日:松平春嶽、誕生

10月  :伊達宗城、宇和島藩家臣・伊達寿光(伊達村候の孫)の養子となる

1829年

4月11日 :伊達宗城、宇和島藩主・伊達宗紀の養子となる。

1831年

9月15日 :鷹司任子(天親院)徳川家定に輿入れ

     :徳川茂徳、誕生

1833年

    :松平某、誕生

1836年

2月19日 :松平容保、誕生

12月25日:阿部正弘、兄の隠居で福山藩第7代藩主就任

1837年

9月1日 :阿部正弘、奏者番就任

1838年

10月20日:松平春嶽、越前国福井藩16代藩主となる。

1840年

5月19日 :阿部正弘、寺社奉行見習

11月  :阿部正弘、寺社奉行に

    :アヘン戦争で清国が英国に敗れ南京条約を締結

1841年

2月24日 :徳川慶勝、従四位下に叙し侍従に任官。中務大輔を兼任。

1842年

1月2日 :鷹司任子(天親院)と徳川家定の婚儀が正式に整う。

9月2日 :松平武成、浜田藩2代藩主となる。

11月20日:井伊直弼と長野主膳が出会う

1843年

    :松平武成、倹約令を出す

閏9月11日:阿部正弘、25歳で老中就任

1844年

5月   :江戸城本丸焼失事件

   :水野忠邦が老中首座に復帰する

1845年

9月 :阿部正弘、老中首座の水野忠邦を追う

1846年

4月27日 :松平容保、父の弟にあたる会津藩第8代藩主・容敬の養子

   :松平武成、産業を奨励し藩政再建

    :井伊直弼、兄直亮の養子という形で彦根藩の後継者になる

1847年

1月18日:松平定敬誕生

9月1日:徳川慶喜、一橋家を相続

   :松平勝善、讃岐国高松藩主・松平頼恕の六男・増之助を婿養子とする。

1848年

11月 :黒田長溥、藤堂高猷の三男を養嗣子に

1849年

    :松平鐡丸誕生

閏4月 :徳川 慶勝、掃部頭を兼任。中務大輔の任替。侍従如元。

7月23日:徳川 慶勝、尾張14代藩主となる。

8月16日:徳川茂徳、松平義建の嫡子となる。

8月26日 :徳川 慶勝、従三位に昇叙し参議に補任。左近衛権中将を兼帯。

11月1日 :徳川茂徳、13代将軍徳川家定に御目見する。

12月16日 :徳川茂徳、従五位下弾正大弼に叙任、従四位下侍従に昇進する。

1850年

10月16日:徳川茂徳、高須藩第11代藩主に就任し松平義比を名乗る

11月21日:井伊直弼、兄直亮の死去で彦根藩15代藩主となる。

12月16日:徳川茂徳、左近衛権少将に任官する。

1851年

1月16日 :徳川 慶勝、権中納言に転任。

2月   :島津斉彬、島津11代藩主となる。

1852年

2月15日:松平容保、義父の容敬が死去、会津藩9代藩主・肥後守となる

    :阿部正弘、江戸城西の丸造営を指揮した功により1万石加増

12月  :黒田長溥は幕府に強硬な建白書を奏上

1853年

4月   :松平容保、安房と上総の警備地を巡視し、士卒の操練や船の運用を見る

6月3日  :ペリー率いるアメリカ東インド艦隊浦賀沖に到着

6月22日 :12代将軍徳川家慶61歳で死去。

6月26日 :阿部正弘、アメリカ合衆国の国書の写しを溜詰溜詰格の大名に示す。

     :アメリカの要求に対する対策を諮問

8月10日 :井伊直弼、鎖国の継続を主張

8月29日 :井伊直弼、海軍力を整備するまで積極的な交易と開国を主張

     :阿部正弘、幕政を譜代大名中心から雄藩藩主の連携方式に移行

10月  :松平容保、品川第二砲台管守を命じられる

1854年

10月3日 :松平容保、将軍の命令で老中・若年寄に藩士1000余人の教練を見せる

1855年

10月2日 :大地震により和田倉邸・芝邸が焼失。

1857年

6月17日 :阿部正弘死去

1858年

     :井伊直弼がアメリカ合衆国と日米修好通商条約

     :徳川 慶勝、井伊直弼に抗議し不時登城する。

     :井伊直弼が安政の大獄をはじめる

     :徳川 慶勝、尾張藩主を隠居させられる。

7月5日  :徳川茂徳、徳川家茂より偏諱を受け尾張15代藩主となる。

     :徳川茂徳の松平義端、生後2カ月で高須藩第12代藩主に就任

1859年

     :松平義勇誕生

     :松平定敬、桑名藩初姫の婿養子として久松松平家13代藩主となる

9月    :松平容保、品川の守備を解かれ、蝦夷地の守備を命じられ

1860年

3月24日  :井伊直弼、桜田門外の変で暗殺される

5月18日  :松平義端3歳で死去

     :アロー戦争で清国が英国仏国連合国に敗れ北京条約を締結

1862年

     :徳川 慶勝、従二位に昇叙し権大納言に転任。

:徳川 慶勝、将軍徳川家茂の補佐を命じられる

5月3日  :松平容保、幕政参与

1863年

     :徳川茂徳、尾張藩主を隠居。

     :徳川義宜(徳川 慶勝の子)、尾張16代藩主となる。

     :徳川 慶勝、徳川義宜の後見人となる。

     :会津藩と薩摩藩が協力して八月十八日の政変

     :長州藩及び尊攘派の公卿ら(七卿落ち)が追放された

1864年

     :徳川 慶勝、参預会議への参加を命じられるが辞退

6月5日  :池田屋事件

8月20日  :禁門の変

     :正二位に叙される。

     :長州征討軍総督となる。

1868年

1月3日  :維新政府の議定に就任。

6月11日 :議定を辞任


「紀伊藩主・徳川慶福を推したのが南紀派」

彦根藩主:井伊直弼

会津藩主:松平容保

高松藩主:松平頼胤

などの溜間詰の大名

老中:松平忠固

紀州徳川家付家老:水野忠央

御側御用取次:平岡道弘と薬師寺元真

大奥


「一橋徳川家の当主・徳川慶喜を推したのが一橋派」

前水戸藩主:徳川斉昭

水戸藩主:徳川慶篤

越前藩主:松平慶永

尾張藩主:徳川慶勝

などの親藩大名

薩摩藩主:島津斉彬

宇和島藩主:伊達宗城

土佐藩主:山内豊信

などの開明的な外様大名

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