第15話 久坂家の不幸

 その一方、久坂家では高杉家と違い不運に見舞われていた。

 秀三郎の母富子が原因不明の高熱に倒れたのだった。

 富子は昨日までこれといった病にかかることもなく元気そのものであったため、秀三郎や父良廸は驚くやら悲しむやらでどうしたらいいのか分からないといった様子であった。

「しっかりしてください! 母上ッ」

 秀三郎は布団の上に寝かされ高熱で苦しむ母の側で、今にも泣きそうになりながら必死に母に語りかけた。秀三郎の胸の内は悲しみや不安でいっぱいになっていた。

「なぜ左様な事に……昨日まではあんなに元気じゃったのに……」

 昨日から徹夜でずっと看病をしていたせいか、やつれ果てた表情で良廸が言った。

「医者でありながらこねーな時に何もしてやれぬのは口惜しいことじゃ」

 良廸は悔しさを滲ませながらつぶやいた。

「そういえば兄上は一体どこにおられるのですか? こねーな時に!」

 秀三郎はこの場にいない玄機の事を思い出し憤慨した。彼の心の中の悲しみや不安は怒りにかわりつつあった。

「玄機なら今自分の部屋におるはずじゃ。確か江戸におる御殿様に海防の意見書を具申するとかゆうちょったからの」

 良廸がそう言うと秀三郎は飛び上がるようにして立ち上がり、怒りにまかせて玄機の部屋へ一直線にかけていった。

「兄上!」

 秀三郎は玄機の部屋の障子を勢いよく開けると兄に対して怒鳴った。

「何じゃ? 儂に何か用でもあるんか?」

 意見書の作成に追われていた玄機は怪訝そうに答えた。

「こねーな時に何をしちょるのですか? 母上が病で苦しんじょるこねーな時に!」

 秀三郎は玄機に怒りを爆発させた。

「何って……海防の意見書の作成をしちょるに決まっとろう。江戸におる御殿様に具申するよう命じられちょるからの……」 

 玄機は淡々とした感じで答えようと努めたが動揺を隠しきれていなかった。

「母上が病じゃとゆうのに、兄上は何とも思われないのですか!?」

 玄機の言い分を聞き秀三郎の怒気はますます激しくなった。

「思わぬわけがなかろう! 儂の心は心配の余り今にも張り裂けそうじゃ!」

 悲しみと怒りを抑えきれなくなった玄機は思わず叫んでしまった。よく見ると意見書の下書きの所々に涙の跡が滲んでいた。

「じゃが儂にはやらねばならんことがある! 長州が、いや日本が海から迫りくる異国船に太刀打ちできるかどうかは儂がお殿様に具申する海防の意見書にかかっちょるとゆうても過言ではないんじゃ! 例え母上が病に倒れようとも儂には立ち止まっちょる暇などないんじゃ!」

 玄機はそう言うとまるで悲しみを殺すかのようにわき目もふらず、一心不乱に意見書の作成を続けた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る