第3話 吉松塾の悪餓鬼

 晋作は当時藩の規定に従って藩校の明倫館小学舎に隔日で通い、孝経・四書五経の素読や講談を受けていたが他方で吉松塾の様な私塾にも通っていた。

 吉松塾は萩の平安古にあった吉松淳蔵の私塾であり、晋作だけでなく後に防長第一流の人物と称された久坂玄瑞もこの塾に通って学問に励んでいた。 

「子曰く、学びて時に之を習う。亦説ばしからずや」

 晋作や久坂を含む少年たちが『論語』の一節を素読しており、塾主の吉松淳蔵は仏頂面で子供たちの素読を聴いていた。

「朋有り、遠方より来たる。亦楽しからずや」

 少年たちは淡々と『論語』の素読を続け、淳蔵も相変わらず仏頂面のまま素読を聴いていた。辺りはもう夕暮れ時になっており、塾の障子からは夕陽が差し込んでいた。

「本日はここまでとする。家に帰宅したあとも各々精進するように」

 淳蔵がそう言うと少年たちはぞろぞろと塾をあとにした。


「久坂! 今日の夜、法光院に忍び込んで肝試しをせんか?」

 塾からの帰り道、晋作は隣を歩いている少年にそう声をかけた。

「法光院? 例の天狗の面があるん寺のことか? あそこは確か昼でも皆天狗の面を気味悪がって誰も近づかぬぞ。それに夜になるとその面が不気味に笑うと塾の間でも噂になっちょるみたいじゃし……本当に大丈夫なんか?」

 晋作の突拍子のない提案に対して久坂は怪訝そうに答えた。

 久坂玄瑞は寺社組の藩医久坂良廸の三男として生まれ、このころはまだ幼名の秀三郎を名乗っていた。

「大丈夫じゃ! わしは昔からよく母上に連れられて天狗の面を見ちょるけぇ、一度たりとも怖いと思うたことはないっちゃ! それにもし噂が本当ならば、ぜひ一度不気味に笑う天狗の面とやらを拝んでみたいものじゃ!」

 晋作はすっかりその気になって息巻いており、何を言っても彼を止めることができないであろうことを悟った秀三郎は、

「仕方ない! そしたらわしも同行しようかのう。待ち合わせは戌の正刻に法光院の門前でええか?」

 と提案した。この時刻なら皆寝静まっており、忍び込んだとしてもばれないだろうと秀三郎は考えていたからだ。

「構わぬ! では戌の正刻にまた会おう!」

 晋作は意気揚々とそう言うと秀三郎と別れ帰路についた。

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