ポストシーズン:プレゲーム・ショー
現実への帰還 (It's time to get back to reality.)
階段を上がる足音が聞こえてきた。ドアを合い鍵で開ける音。そしてドアが開いた。警備員が2、3人。階段の灯りが逆光になって顔は見えない。だが、向こうからは俺がソファーに座っているのが見えていることだろう。俺は椅子に座ったまま両手を挙げた。が、「動くな!」の声もなく、いきなり銃声が聞こえた。そして灯りが消えた。
……どこも痛くはない。弾は当たらなかったようだ。目が闇に慣れていなくて何も見えないが、ドアの辺りにまだ人がいるのは解る。火薬の匂いも漂ってくる。そして「なぜ灯りを消した!」と怒鳴る声。おそらくは、階段の下に向かって訊いているのだろう。
「
なぜ灯りを、と言ったのとは違う男の声。こちらの方はしゃがれていてドスが利いている。もちろん俺に言ったのだと思うが、今さらだよなあ。余計なことを言うと「
「灯りはまだか……」
呟き声が聞こえるが、先の二人とは違う若い声。やはり3人いた。光の輪が見えて、それがこちらを照らしてくる。ようやく
「もう一人を見つけた。どうする?」
これは最初の男の声。誰に訊いているのかと思うが、おそらくは
「IDを見せろ」
近付いてきた男が、俺を見下ろしながら言った。さっき「灯りはまだか」と呟いた奴だな。パンツの尻のポケットから財布を取り出し、モトの
「合衆国市民か」
「そうだ」
「ここで何をしていた」
「友達の付き合いで家具を見に来て、座って待っていたら眠り込んだようだ」
「
軽い調子で、ヒスパニック特有の訛りのある英語だった。
「トレヴァー、もういい。そいつは下の二人とは関係ない。前科もない」
しゃがれた声の男が言うと、トレヴァーと呼ばれた若い方は振り返って「身柄を拘束します?」。
「必要ない。そいつに構っている暇はない。放り出す。他のところにも盗みに入られて、すぐ応援に行かなきゃならんのだ。全く、なんて夜だ」
「
「解らん。とにかく、もう行くぞ」
「
トレヴァーが偉そうに言う。しかし無罪放免されるようだから、文句を言うこともないだろう。礼を言う必要もないが。
部屋を出て、三人の男たちに前後を挟まれながら階段を下りる。まだ灯りは点かない。
外へ出るとしゃがれた声の男から「お前のID番号は記録した」と警告を受けた。が、どうやって建物内に入ったかは、なぜか訊かれなかった。すぐ「応援」に行かないといけないからか。
俺より前に捕まったであろう泥棒デュオは、車の中に拘束されている。
さて、撃たれたと思ったのに命が助かったばかりか、逮捕もされなかったので、まずは幸運を祝わなくてはいけない。とはいえ、奴らが防犯カメラの映像を見返したら、泥棒デュオより俺が先に貸金業者のところへ入ったのが判ってしまうだろう。あいつらはきっと、俺が後から入り込んだと勘違いしたんだ。被害がなかったからといって見逃してくれるはずもない。困ったが、とにかくいったん
2マイルほどの距離を15分で駆け、
遠征にいつも持っていく旅行鞄を棚から出して、そこへ着替え等を詰めながら、ディーンに電話を架ける。明日はゲームがないが、来週末のゲームがあるニュー・オーリンズへ行ってしばらく潜伏しよう、などと考えつつ。意外にも、ディーンはすぐに出た。
「
「アーティー! こんな時間まで何をしていた」
「もちろん、副業だよ。知ってるだろ、スーパー・マーケットの……」
「なぜ
「仕事中は使用禁止だからだよ。言ってあるだろ。それに夜の往来を歩いていて『ホールド・アップ』で盗られると困るからな」
「そんなことはどうでもいいんだ。大変なことがあった」
どうでもいいならさっさと本題に入れよ。で、大変なことって何だ? まさかさっきの不法侵入の件のことじゃあるまい。俺のID番号が知れてたって、ディーンにまで連絡が行くはずはないからな。
「何だよ。来季の契約は更改なしか? 元々覚悟はしてるよ」
「来季じゃない、今季の話だ。いいか、よく聞け」
「来週のゲームからもう出なくていいって? それは困る」
警備会社から逃げられないじゃないか。
「いいから聞け! 今季の契約は、明日、いや今日の状況次第なんだ。お前に新しいオファーがあった。ジャガーズからだ」
「ジャガーズ……ああ、バトン・ルージュか、ルイジアナ州の。ニュー・オーリンズの近くだな。俺もちょうど行きたかったところで……」
「違う! ジャクソンヴィルだ」
何をそんなに興奮している。息遣いが荒いぞ。
「そんなところにアリーナのチームなんてあったっけ」
「アリーナじゃない、ナショナル・フットボール・リーグだよ!」
ナショナル・フットボール・リーグのジャクソンヴィル・ジャガーズのことか? そりゃ、大いに知ってるけどさ。
「なんでそんなところからオファーが。スカウティング・スタッフか?」
「プレイヤーだよ! ジャガーズの
「ああ、もちろん。この前のロンドン・ゲームではスタンリー・プラマーとブライアン・リーフが倒されて、確か
「それだ。だからジャガーズは
「それで俺にオファーが? なんで?」
「
「だからってどうして俺が」
「理由はジャクソンヴィルに来てから訊けよ。オファーを受けるよな?」
「ああ、もちろん」
フォート・ローダーデイルを離れられるのなら、理由は何だっていい。ただ、転居届は出さないでおこう。そうすれば警備会社はこっちで俺のことを探し続けるだろう。まさかジャクソンヴィルへ行ったとは思うまい。
「では、朝9時までにジャクソンヴィルへ来い。契約をする」
「相変わらず冗談がきついな、ディーン。そっちまで300マイル? 400マイル? 今からすぐモトに乗れってのか」
「そういうことだ。オファーをフイにしたくなければな」
ベッドサイドに掛けてある時計を見る。3時前だった。6時間ある。何だ、余裕じゃないか。途中で2回充電しても大丈夫だろう。電話を切って、荷物詰めを続ける。そんなにたくさん要らない。契約を済ませたら向こうで住むことになるし、足りないものは買えばいいんだから。契約できなければ、そのままニュー・オーリンズへ向かえばいいだけだ……
鞄の中を2日分の着替えと日用品で満たし、
3時間走って、デイトナ・ビーチの辺りを過ぎる頃、2回目の充電。残量にはまだ余裕があったが、念のためだ。これでジャクソンヴィルまで行けるだろう。再び走り出す頃には東の空が赤くなり始め、昇る朝日を横目に眺めながら北へとひた走る。そしてすっかり明るくなった8時過ぎ、ジャクソンヴィル・ミューニシパル・スタディアムに到着した。
都市名を出して「来い」と言われたら、スタディアムへ行くというのはフットボーラーにとってのお約束。さて契約のためにはここからどこへ行けばいいのか。それは電話を架けるしかない。ディーンを呼び出す。
「ヘイ、ディーン、一晩中、モトで
「今、どこにいる?」
未明のピリピリした声ではなく、緊張している感じだった。どうした、契約するのはお前じゃなく、俺だ。
「スタディアムの前だ」
「では、モトを駐車場に停めてそこで待っていろ。8時45分にそこへ行く」
「駐車場は広いぜ。どこで待っていればいい?」
「北西のゲートだ」
ちょうどそこにいたのでラッキーだった。ダウンタウンの方から来るとここへ自動的に着いてしまうんだ。
さて、まだ時間があるので朝食を摂りに行くことにする。契約は30分や1時間で終わるものではないし、途中で腹が減るに決まっている。
小柄で、5フィート3、4インチほど。
「エクスキューズ・ミー、マァム。怪しい者じゃないんだ。9時にここで待ち合わせをしてるんだが……」
「
透き通った美しい響きの声。しかし、なぜ俺の名前を知っている?
「えーと、契約のことで来たんだが……もしかして君は法務部門の担当か何か?」
「いいえ、広報です。ただ、通達が回っておりましたので」
何だよ、通達って。契約前の男のことなんか、内部で通達が回るのか? そもそもディーンに話が来たのは昨夜遅く、俺がパート・タイムに出た後のはずで、そんな時間に通達があっても職員が見てるわけないだろ。とすると、広報はいろいろな連絡先を知っている部署だから、ジョーの指示で事前に俺のことを調べる手伝いをしたとか……
「何かお尋ねになりたいことでも?」
考え込んでいたら、先回りされてしまった。それにしてもなんて綺麗な目をしているんだ。無表情なのに。吸い込まれそう。
「朝食にいいレストランを教えてもらおうと思って」
「軽食でよろしければ、東のタレイランド
「デリでいいよ。ありがとう。えーと、君、名前は?」
「マーガレット・ハドスンです」
「ありがとう、ミズ・マーガレット・ハドスン」
ぜひ憶えておくことにしよう。こういう“愛想はないけど有能そうな人物”を味方に付けると、いろいろとやりやすくなるのは知ってるんだ。
もちろんそれだけではなく、彼女自身にも少しばかり興味が湧いたということもある。
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