#17:第5日 (5) リンドスのアクロポリス

 遺跡に入場して、まず振り返る。小さな湾とビーチが見える。海の青と、その向こうの岩山の砂色が絶妙の対比。少し登っただけなのに、いい景色だ。夏場であれば、湾に観光船やヨットが浮かぶらしい。……って、マリッサ、なぜそんなことを知っている?

「だってガイド・ブックに書いてあるんだもの。会議が夏に開催されたらよかったのに」

「ハイ・シーズンなんかにやるかよ。開催する方も来る方も金がかかって仕方ない」

「そうねえ、私も補助があったから来られたけど、自前で倍額出せって言われてたら無理だったかも」

 学生が世界会議へ参加するのに補助なんか出るのか。知らなかったぞ。

 遺跡の方へ向き直って見上げる。城のような建物がそびえているが、もちろん古代遺跡ではない。明らかに中世。騎士団が作った要塞の廃墟だ。つまりは古代からここが要害の地であるということがよく解る。

 そこまで階段を登るのだが、技術テクニカルツアー以外の観光客がたくさんいる。観光シーズンの終わり頃でもこれだ。ハイ・シーズンにはどれほどの人出になることだろうか。

 登り切ると、石の門を入って要塞の中へ。しかしそのまま通路を通り抜けて、外に出たと思ったら、目の前に遺跡、その向こうに海が広がった。マリッサが「ワォ!」と喜ぶ。どうしてそんな単純な喜び方しかできないんだ。何か言葉で言え。

「見晴らしがいいわね!」

 アクロポリスなんだ。当然だろ。それに高いんだから見晴らしがいいのは解りきってるじゃないか。語彙が少なすぎるぞ。

 遺跡は3階層になっていて、今いるところは“下の階層”。まだ修復中であるらしく、重機が置いてあったり、ところどころに石が積んであったり。しかし列柱がたくさん並んでいて、いかにも古代ギリシャらしい雰囲気。

 班の行き先はここで別れた。一つはまず今の階層を端まで歩いて、修復の様子を見たり、海を眺めたり。もう一つは階段を登って“上の階層”へ行き、アテナの神殿など、ここのメインの遺物を見る。

 俺はどっちでもよくて、我が妻メグが行く方に付いて行くだけだ。まず下層を見るようなので、そうするとアリストテレスと中折れ帽ブリム・ハット野郎・ガイたちは上へ行くことになる。野郎の動向が気にならなくもないが、それよりは我が妻メグに対する心配の方が優先する。

 ソクラテスはアリストテレスほど我が妻メグをじろじろ見ないんだけど、逆に紳士らしい態度が我が妻メグを油断させると思うんだなあ。それとも下衆の勘ぐりペティー・マインデッド・サスピションなんだろうか。

 まず壁伝いに歩く。この壁は、明らかに中世のもの。要塞の一部だろう。通路は確保されているが、右手には古代遺跡のものと思われる石があちこちに転がっている。

 この岩をどこから切り出したのかもよく解らないが――なぜその解説がないんだ――これだけの数をこんな岩山の上まで運び上げてくるのは、かなりの労力が必要だったろう。中世ならともかく、古代にそれほどの作業員がいたというのがすごい。つまり大都市だったということだ。

 もちろん、要人だけが高台に住み、下級層は今の町があるところに住んでいたのかもしれないけれど。

 壁が尽きると崖っぷち。さっき振り返ったところの、倍くらいの高さから海を眺める。これが高いのなんの。もちろん景色がいいが、崖っぷちだからといって手すりがあるわけでもなく、危険度も高い。高所恐怖症なら足がすくむだろう。しかし、膝よりも低い石段の上に立って、海をバックに自撮りセルフィーをしている奴もいる。

 我が妻メグはもちろん高所恐怖症ではないから平気。マリッサはまた「ワォ!」と言って、楽しそうに崖下を覗き見る。君は俺と同類だな。

 その先に再び立ちはだかる壁沿いに、また歩く。壁の古び方は、廃墟の趣。どこから持ち上げたのか解らない巨大なクレーンが置いてある。草むした中に、綺麗な直方体の石がそこかしこに放置してある様は、石切り場に来たかのようだ。

 その草の中の砂利道を歩き、上の層へ至る階段を登る。登りきったところで、1ダースの列柱がお出迎え。ロドス近郊で見たようなしょぼいものではなく、柱の模様――浅い溝――が綺麗に残っている、立派なものだ。上の方が細くなっているが、これはエンタシスという。四角い柱頭が載っているので、ドーリア式。その向こうに大階段があって、見栄えがする。やはり自撮りセルフィーをしている人がたくさんいる。

 今いる“中の階層”は、横長の広場になっている。幅10ヤードに対して長さが60ヤードほどもあり、真っ平らなので、短めの競技場だったのではないかと思うほどだ。

 しかし1ダースの列柱から少し離れたところにも柱が立っていたり、その間に柱の基礎のような丸い跡があったりする。

 説明を聞くと“プロピュライア”という、アクロポリスへの入り口、即ち門であったらしい。往時は柱の上に立派な屋根が載っていたはずなのだ。

 そしてこの造形は、国会議事堂や美術館の入り口のデザインとしてよく用いられる、あの“ギリシャ風の列柱”の基になっているという。アテネのアクロポリスに行けば、もう少し復元が進んだ状態のものを見られる。今まで神殿風と表現してきたが、これからはプロピュライア風と言わなければいけないわけだ。

 門だけでこれほど壮大なら、その向こうに建てられていた神殿などは、どれほど豪壮な建物なのかと思う。騎士団長の館よりも――高さは負けるだろうが――立派だったのではないか。しかし、ターゲットのヒントとしては方向性がずれている気がする。関係があるのは迷宮だ。ここにその要素はない。

 大階段を上がる前に、“中の階層”を少し見て回る。

 まず大階段に向かって右手。陸側だ。要塞に接するようにして、教会堂のような建物の残骸がある。石の積み方から見て、古代のものではなく中世。三つのアーチ屋根が残っている。さらに端まで行くと、低い壁越しに、下の階層が覗ける。石がゴロゴロと転がり、さながら工事現場。

 続いて大階段に向かって左手。プロピュライアの一番端の列柱が、6本ほど復元されている。その向こうに海が見える。下の階層より高さが増したが、海しかないだけに、特に見栄えがよくなったわけではない。しかし水平線までの距離は伸びているはず。

 いよいよ上の階層へ、大階段を登る。そういえば先に上へ行った連中はどうしたのか。と思っていたら、登りきったところでばったり遭遇した。しかし、アリストテレスと中折れ帽ブリム・ハット野郎・ガイがいない気が。一団がある方向を向いているので、俺もその方を見ると、二人ともう一人、女がいて、何か話し合っているようだ。

 女は見たことがない顔。東洋系オリエンタルか。真っ白の、足首まである長いドレスを着ている。ゆったりしていて、まるでカーテンかシーツを羽織っているよう。それがエーゲ海の風に靡いてはためき、今にも鳥のごとく飛び立ちそうだ。

「何をやっているんだ……」

 ソクラテスが機嫌悪そうに呟きながら、そちらへ向かう。昨日はプラトンもトラブルに巻き込まれて、今日もかと思っているのに違いない。いろいろと弱みの多い兄弟だな。ソクラテスに弱みはないのか。テオには?

 話し合いにソクラテスが参加したが、すぐには終わりそうに思えない。その間に我が妻メグにちょっと様子を聞いてみよう。こら、マリッサ、手を放せ。

「ソクラテスたちは何を話し合ってるんだ?」

「私にも判らないわ。でも、誰かの名前を呟いていたようだから、あの女性を知っているのかしら」

 もちろん、知っているだろう。そしておそらくはアルキメデスの関係者だ。しかし、そこに中折れ帽ブリム・ハット野郎・ガイが絡んでるのが、いかがわしいんだよ。奴もあの女を知ってるんじゃないのか。あるいは、奴が彼女をここで待ち伏せさせたとか。

 このステージではクロニス兄弟の弱みを握って情報を引き出すのがいいのか? よく判らん。俺はテオの弱みなんか知りたくないぞ。奴が勝手に見せてくるのかもしれないけど。

 15分ほど待っていたら、ようやく話し合いが終わったようだ。が、中折れ帽ブリム・ハット野郎・ガイだけがこちらに戻ってきて、元々奴が率いていた班を連れて、下へ降りていった。ずいぶん待たせただろうに、奴があまりにも愛想がいいせいか、文句も出ていないようで、不思議だ。人心操縦術を心得ている。

 で、ソクラテスたちもこちらへ戻ってくるのかと思ったら、アルキメデスが来て、「すいません、続きを案内します」と言って我が妻メグと相談を始めている。なぜ相談が必要なんだよ。見るところなんて一つしかないのに。

 その間にソクラテスを見ると、女を連れて海の方、つまり崖の方へ向かっている。話し合いの続きか。崖から突き落とすなよ。

 結局、ソクラテスと女を残して、向こうに見えているアテナの神殿へ。この層で復元されているのは、それだけなのだ。足元は細かい砂利だが、ところどころに四角い石が埋まっていて、区画を作っている。それに沿って建物の跡があったに違いないが、どのようなものか全く解らないので復元できない、ということだろう。

 4本の列柱の前に立つ。デザインはプロピュライアと同じ。ずっと奥にも、同様の列柱が立っている。そこまで20ヤードほどか。プロピュライアに比べたら小さな建物だ。

 海側に、壁の一部が復元されている。崖っぷちに立っているので、作業員は高所恐怖症では務まらなかったろうと思える。

 紀元前300年頃に建設され、内部には捧げ物を置くテーブルとアテナの像があった。元々別の神殿があり、紀元前340年頃に焼失したので、その置き換えとして建てられた。アレクサンダー大王が戦いの前にここへ捧げ物をし、勝利の後、武器を奉納したこともあるという、由緒正しい神殿であるらしい。

 なぜアテナなのかというと、ここがアテナ生誕の伝説に関わっているからだそうだ。曰く「アテナがゼウスの頭より生まれたる時、島に金色の雨降りたり」。ストラボンの『地理誌』にある記述で、その島がロドス島だとされる。

 ……と、我が妻メグが得々と解説してくれて、皆がそれに聞き入っている。我が妻メグもガイド役がすっかり板に付いてきたゲット・グッドようだ。

「早く向こうの崖の端に見に行きたいわ。下の町がどんなに小さく見えるでしょうね!」

 こら、マリッサ、先走らないで、我が妻メグの素晴らしい説明をちゃんと聞け。

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