#16:第1日 (3) アスタ・マニャーナ
歩くこと20分で、マリオットに到着。もちろん、道路を渡る。ちなみに、マイアミ・ビーチはこんな配置ではない。ビーチに面してホテルが建っていて、車道はビーチから見えないところに通っている。ただし、マイアミ・ビーチは計画的に作ったからそうなっているのであって、西海岸はロス・アンジェルスのサンタ・モニカ・ビーチなら、ビーチ、車道、ホテルという並びのはず。
ところで、俺の自宅ってどこなんだろう? それだけが、なぜか思い出せない。
とりあえず気にしないことにして、ホテルの
「
俺は
「部屋にはまだ入らない。この鞄を預かってくれるだけでいいよ。周辺の観光案内リーフレットをくれ」
「すぐにコンシエルジュに用意させます。ラウンジでご覧になってはどうでしょうか? ウェルカム・ドリンクをお出ししますから」
それを忘れてオレンジ・ジュースを飲んできたよ。暑さで喉が渇くだろうから、もう一杯飲むか。
窓際のラウンジに案内されて、ソファーに座って待っていると、オレンジ・ジュースが出て来て、その後で美人がやって来た。コンシエルジュかな。これもまた混血。オリーヴ色の肌に濃い金髪だけど、ベースはドイツ系に見えるなあ。名前はアイリス。
白のVネック・インナーに、黒いジャケットと黒いタイト・スカート。そして媚びるような笑み。ごめん、高級娼婦に見えるわ。ブラジルがそういう国だと思ってるわけじゃあ、決してないんだけどね
「周辺の観光地を案内いたします」
アイリスが横のソファーに座る。タイト・スカートが短いので、太腿が半分以上見えている。というか、見せてるんだろうな。しかしそこは鑑賞せずに、地図を見る。
ポン・ヂ・アスーカルは北東に3マイル、コルコバード山は北西に2マイル半。とりあえず、これらは登ろう。他にも岩山はたくさんあるが、別に山登りに来たわけではないのでパス。
ビーチで有名なのはコパカバーナの他、イパネマ、アポアドール、ボタフォゴ。イパネマ。
アポアドールはコパカバーナの西、ボタフォゴは北に2マイルほどのところにある小さな湾奥のビーチで、ポン・ヂ・アスーカルが臨めるらしい。しかし、ビーチばかり回っても仕方ないので、時間があれば少し覗くだけ、ということにしよう。
町の中の見どころは、セラロン階段。チリ人アーティストのセラロン氏が描いたタイルで装飾された階段だそうだ。今回、芸術はあまり関係なさそうだが、何かしらヒントがあったり、キー・パーソンがいたりするかもしれないので、憶えておく。
施設では、リオ・デ・ジャネイロ植物園、国立歴史博物館、ニテロイ現代美術館。一応憶えておく。
リオ・デ・ジャネイロ市立劇場。パリのオペラ座をモデルに折衷様式でデザインされており、一見の価値があるとのこと。財団の肩書きを使えば中を見学できたりするのだろう。するかどうかはまだ決めない。
サンボードロモ。サンバ・ドームの意味で、サンバ
「今週金曜日から始まりますから、ぜひ見にいらしては……」
あれ、今週からリオ・カーニヴァルが始まるんだったか? そうか、だからメグが行きたいとごねてたんだ。じゃあ、金曜日の夜に来なよ、と言ってみてもいいかもしれないなあ。
「しかし、もう席は埋まってるんだろう?」
「あら、プロフェソールのお席くらい、こちらで何とかできますわ。それにもしドロモにお席が取れなくても、あちこちの道路で
ブロッコという地域ごとの祭があるらしい。街中が無法地帯のようになるに違いない。その盛り上がり始めた土曜日に俺は退出するんだが、交通渋滞に巻き込まれないことを望む。だって、夜中がメインなんだろ。
「カルナヴァルを最後までご覧いただけないなんて、本当に惜しいことですわ。水曜日まで滞在を延ばされたらよろしいのに」
アイリスが笑顔で言うが、惜しがっているようには見えない。まあ、他人事だし。
「仕方ないな。休暇じゃなく、仕事で来てるんだから。ところで、君、仕事のこともサポートしてくれるのか」
「あら? そうでしたかしら。そういえば、朝の迎えが来る時間を一覧にしたような気がしますわ。今夜、お休みになるまでに探しておきます」
何か、頼りないな。今まで、頼んでもないのに秘書の役割をしてくれたコンシエルジュは多いが、誰も彼も過剰と思えるほどに行き届いてたぞ。しかし、これがブラジルのお国柄というのなら仕方ない。そもそも、世話が細かすぎると鬱陶しいし。
「そうそう、お休みといえば、今夜一緒にお休みになる方は、もう見つけられましたか?」
笑顔で何言ってんの、君。スリーピング・ディクショナリーってやつのことだろうけど、妻帯者である俺が、そんなことするわけないだろ。それとも、このホテルではそういうのを斡旋してるのか。
「必要ないよ。休暇じゃなく、仕事で来てるんでね」
「あらでも、お仕事が朝に始まる時間は遅いですし、午後は3時頃で終わってしまうはずですし、お時間ならいっぱいあると思いますけれど」
何だ、それは。これもお国柄? みんな真面目に働く気がないのかよ。とはいえ俺も、働いてるふりをして、情報を集めてるだけだけどさ。
「俺の空き時間が多いと、君の仕事時間が長くなって大変だろう」
「そうでもありませんわ。朝は8時に仕事を始めますが、昼の12時から夕方5時までお休みをいただきますし、夜も9時以降はお呼び出しがあった時だけ対応するくらいですから」
それで一応8時間働いてるつもりだろうけど、俺がいない間は何してるんだよ。まあいいや。たまにはこういう緩い世話係がいたって悪くはない。
とりあえず、午後からの観光コースを考えてもらう。まずホテルの近くの
2本のロープウェイを乗り継いで、ポン・ヂ・アスーカルに登頂。降りてきて、またタクシーで、今度はコルコバード登山鉄道のコスメ・ベリョ駅へ。
列車は定員が少なく、今日は日曜日で混雑しているだろうが、一人なら何とでもなるはずで、一応4時の便を予約してくれるとのこと。帰りは、コパカバーナ方面行きの路線バスに乗る。普通、行きと帰りは同じ交通手段にするものだが、まあいいか。
バスの終点はホテルから4分の3マイルほど東のリド広場。そこならホテルまで歩いて戻って来られるだろうと。
コルコバード山の上で1時間ほど過ごせば、ホテルに着くのが6時頃。日の入りは7時半頃? じゃあ、山に登る前に別のところへ寄って、山の上で夕日を見てから降りてくるのがいいんじゃないの。
「そうなさいますか? それなら登山電車は6時の便を予約しますけれど」
「それまで2時間ばかり、何を見ればいいかな」
「では、セラロン階段と、その近くにあるカリオカ
水道橋と大聖堂はさっき言わなかったじゃないか。まあいいか。タクシーも予約してくれるんだな。運転手は待ち時間が多くて退屈だろうけど、気にしなくていいって?
「それでは、観光をごゆっくりお楽しみ下さい。他にご用はございますでしょうか。昼食をご相伴いたしましょうか?」
「いや、それは必要ないから、人捜しを頼みたい。オペラ歌手のマルーシャが、リオ・デ・ジャネイロに来ているはずなんだ。彼女の泊まっているホテルが判るか?」
「まあ、セニョリータ・マルーシャが! プロフェソールのご友人でらっしゃったんですか。ええ、調べられると思いますが、夕方までかかるかと。では、今夜は彼女のホテルにお泊まりになる? それとも、こちらへお呼びになるのかしら」
嬉しそうな顔で言うんじゃない。ウクライナの歌手が、スリーピング・ディクショナリーになるかよ!
「ホテルに来る前に見かけたんだ。一瞬だったから見失った。友人として挨拶したいだけだよ。夕食くらいは一緒に摂るかもしれないが、部屋に泊まったりはしない」
「さようですか。では、私の休みが明ける5時までに調べておいてもらいますから」
自分で調べないのか。別にいいけど。アイリスは穏やかな笑顔を残して去っていった。尻の振り方がラテンのリズムだ。
それにしても、のんびりしてるな、ここは。ラテン・アメリカには「アスタ・マニャーナ」という言葉があって――スペイン語だったかな。ポルトガル語では何て言うんだ――「今日できなかったけど、明日でいいよね」という感じで使われるらしい。期日に間に合わそうという考えに欠けてるってことだ。だからなかなか発展しないんだろう。
しかしそれを、仮想世界の中で再現する必要はないと思うんだがなあ。
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