ステージ#15:第3日
#15:第3日 (1) 接触禁止命令
第3日-2039年8月16日(火)
「ヘイ、ビッティー!」
腕時計に呼びかける。周りに黒幕が降りてきたが、そこへ車が通りがかったときに、面白いことが起こった。ヘッド・ライトが俺の身体を照らさずに、通り抜けたのだ。つまり、俺は外から見えなくなっているということだ。
ただ、バックステージの中にいる間は外の時間は経過しないはずなのに、黒幕が上下している間は経過するのか。何か不合理なものを感じる。
「ステージを中断します。
ビッティーの声を持つメグが現れる。こうして見ていると、
質問のために口を開きかけたら、おとなしいはずのビッティーが先にしゃべった。
「1回目の警告がありますが、お聞きになりますか。それとも質問が先でしょうか」
何か警告を受けるようなことをしただろうか。今回はまだ誰にも手を出してないぞ。それともジゼルと仲良くしすぎたか。
「警告ってのを聞こうか。言っとくけど、俺は心当たりがない」
「競合
ちゃんとチェックされてるのな。だったら、俺と彼女の出現場所をもっと離してくれよ。余計な考えを起こさせないようにさ。
「ついさっき、もう会うのはやめようって彼女と話してきたところだ。ただ細かいことだがいくつか質問していいか」
「どうぞ」
「街中で偶然会うのは問題ないよな。その際は会話しなければいい」
「会話に限らず、情報交換をしないでください」
「メモも
「そのとおりです」
「気付かれないように尾行するとか盗聴するとかは?」
「問題ありません」
俺はしないけど、彼女はしそうだなあ。
「探偵を雇って調べさせるのは」
「先と同様、相手に対する一方的な情報の取得は問題ありません」
問題は探偵がこの仮想世界にいるかどうかだよな。
「ターゲットを獲得する、あるいは相手が確保しているターゲットを奪う場合に、期せずして二人きりになることがあると思うんだが、それを回避する必要はあるか」
「ターゲットの開放以降は、ステージ終了後の審議対象となり、その場での警告は行いません」
ターゲットの開放なる言葉が出て来たが、俺の頭の中にある情報によると、要するに全てのヒントを集め終えて、ターゲットを獲得することができるようになった状態、ということだ。たぶん、金曜日辺りにそうなるのだろう。
「他の
「ヴァケイション中の
「今回の警告の対象外だと思っていいんだな」
「はい」
「この警告は、もちろんマルーシャにもされてるんだよな」
「はい」
「警告の内容は理解したが、何か宣誓する必要はある?」
「ありません」
「じゃあ、そろそろ別の質問をさせてもらおうか」
「どうぞ」
「ハンガリー科学アカデミーについて教えてくれ」
一応、俺の頭の中には概略の情報があるのは判っていて、資料もあるんだけれども、ビッティーに説明してもらう方がより理解しやすい。
「ハンガリー科学アカデミーは、同国で最も権威のある学術団体です。1825年、セーチェーニ・イシュトヴァーン伯爵が地方議会において学会を開催する目的で、1年分の収入を提供し、他の議員がそれにならって資金提供したのが設立の由来です。ハンガリー語の発達と、ハンガリーの科学と芸術の研究および普及を任務としています。科学アカデミーの名称を使用したのは1845年からです。現在は11の部門に分かれて研究を行っています」
その11の部門のうち、明日の午後は6部門も回ることになっている。数理科学、工学、物理学、生物学、地球科学、経済学&法学、だったかな。法学はともかく、経済学はもはや数学や工学に近いから、俺の専門と関係あると判断されたんだろう。
「ポール・エルデシュもアカデミーに所属していた?」
「はい」
他に有名な学者を思い付かないな。ノイマンやカルマンは別格として。ここで列挙してもらうよりは、アネータに調べてもらうか。
そういえば、マルーシャも一度財団所属だったことがあるな。彼女もエルデシュ数を持ってるんだろうか。このステージでもう訊く機会はないのか。
「場所は……やっぱりリッツ・カールトンに近いんだっけ」
「ドナウ川東岸、セーチェーニ広場の北です」
要するにフォー・シーズンズ・ホテルのすぐ近くだろ。さっきのナイト・クルーズでも見えたんじゃないか。ライト・アップしてなかったかもしれないけど。というか、ここに来るときに自転車で前を通ったし。帰りにも見ていくか。
「ハンガリーの世界遺産を教えてくれ」
「文化遺産が7件、自然遺産が1件あります。全て列挙しますか?」
「頼む」
「文化遺産は、ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り、ホッローケーの古い集落とその周辺、パンノンハルマの千年の歴史を持つベネディクト会大修道院とその自然環境、ホルトバージ国立公園、ペーチの初期キリスト教墓所、フェルテー湖の文化的景観、トカイ・ワイン産地の歴史的文化的景観。自然遺産は、アグテレク・カルストの洞窟群です。このうち、フェルテー湖の文化的景観はオーストリアと共同登録、アグテレク・カルストの洞窟群はスロバキアと共同登録しています」
一つ一つを詳しく解説してもらうのはやめよう。さすがに聞いてられない。ジゼルはホッローケーへ行くと言ってたが、古い集落というのは容易に想像が付くから聞いてもさほど意味がない。
「各地の地図を表示できる?」
「表示します」
例によって床が地図に変わる。俺の足元がちょうどブダペストの辺りだ。ご丁寧に各地に赤い丸を打って、吹き出し付きで表示してくれている。ハンガリーは東西に長い国だが、おおむねその北部に偏っている。とはいえ、北部も西から東まで幅広く分布しているな。
ブダペストを中心として、東に4件、西に2件、南に1件か。ホッローケーはブダペストから一番近いが、他を全部回るとなると3日は要るだろう。ジゼルは全部行くつもりだろうか。
「ブダペスト以外で、君ならどこへ行きたい?」
「一番のお薦めという意味でしょうか?」
あれ、こういう答え方をするんだっけ? お答えできません、の方がいいんだけど。せっかく心の準備をしたのに。
「メグならどこを選ぶか予想してみてくれ」
「おそらく、トカイのワイン産地の歴史的文化的景観です」
解る。メグは牧歌的自然景観を喜ぶだろう。その次は、
「地図を消してくれ。いや、ブダペストの地図にしてくれ。警察署がいくつかあると思うが、表示できるか」
「表示します」
この2日くらいで見慣れたブダペストの地図。俺の立っているところを、ちょうどマルギット島の北端にしてくれているのが心憎い。全部で23も警察がある。中心部の辺りにやけに固まってる。吹き出しにローマ数字が?
「ビッティー、この数字の意味は何だ」
「ブダペストの区の番号です」
「つまり、各区に
「そのとおりです」
「各区に色を付けて表示できるか。4色問題をちゃんと解決するんだぜ」
「表示します」
ちゃんと隣り合う区が異なる色になるよう表示された。さすがビッティー。ブダにあるのは第1、第2、第3、第6、第7、第22区。その他は一つを除いてペスト。除いた一つ、第21区だけが、ドナウ川の巨大な中州であるチェペル島にある。
マルギット島はどこの区にも属してないんだ。面白いな。ホテルのある辺りは第5区で……
「大学は? ……それも第5区か」
街中にあるじゃないか。しかも緑地がほとんどなし。息抜きが難しそうだな。ブダ城の辺りは? 第1区のようだ。
つまり国立美術館で何かあったら、第1区警察署が警備や捜査をすると。そこに一人くらい顔見知りを作っておいた方がいいな。夕方に会った警察官の誰かに聞いておけばよかった。次にそっちへ行くのは
「よし、今日は終わりだ。おやすみ、ビッティー」
「ステージを再開します。おやすみなさい、アーティー」
幕が上がっても道路の向こうのマルーシャは見ず、自転車に乗ってホテルへ戻った。部屋から愛する
「こんな遅い時間まで起きていたら、明日に差し支えるわ! すぐに寝てください!」
昨夜に続いてまた怒られてしまった。しかし、怒り声なのに笑顔が想像できるのがいいなあ。
「君の声を聞くまでは寝られないんだよ」
「だったら、もっと早く電話を……」
「早く電話したら、まだ時間があると思って長く話したくなるだろ」
「それはそうだけど……」
否定しないんだ。さすが
「またモーニング・コールをくれるんだろうけど、その後で君はちゃんと二度寝するんだぜ」
「あなたがお仕事をしているのに、私だけ寝ていられないわ」
「ちゃんと君の夢の中で会うから」
「あなたこそ、お仕事中に居眠りしないでね?」
学生の時だって、授業中に居眠りしたことないよ、俺は。
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