#14:第4日 (2) マルシェの食事

 ショッピング・センターの脇を通り抜け――メグの服を買うならここだろうという気がする――クランク状に曲がりながらオルフェリナ湾を望む。昼になるとボートがたくさん浮かぶらしい。

 ここからは道沿いに立派な遊歩道が現れる。道路との間には椰子の並木。作ったかのようなリゾート地らしい雰囲気だが、これはこれでいいと思う。

 大きなラウンドアバウトを過ぎると、道の名前がジェネラル・ド・ゴール通りに変わる。こんなところにド・ゴールか。凱旋門でも建っているのかと勘違いするだろう。

 海岸沿いから離れ、ド・ゴール通りから斜めに分かれるアドミラル・ハルゼイ通りへ。なぜかこんなところに合衆国の海軍元帥の名前。たぶん、世界大戦で南太平洋方面の司令官でも務めていたのだろう。

 ただ、大事なのは通りの名前ではなくて、この先の地形だ。通りは北へ向かうが、その先の交差点で一本西の道に入る。ジョルジュ・クレマンソー通り。初日にマルシェのあたりをうろついた時に見かけた、きつい坂がそこにある!

 この通りの途中だけが少し盛り上がっているのだが、バスのルートにすらならない急坂だ。メグにはハルゼイ通りを走ってもいいと言ってあるのだが、「嫌です」とわがままを言って、けなげにも付いてこようとする。しかし、自転車に乗ったままこの坂を登ることは、彼女には絶対に不可能だと思う。

 もちろん、走って登るのだってきつい。ペースが半分に落ちる。しかし、自転車はもっときついだろう。案の定、メグは3分の1くらいでへこたれた。自転車を降りて、押して登ってくるようだ。

 いったん上まで一人で登り切る。ローラー・コースターのような下り坂が待っていて、ずっと先にココティエ広場が見えている。マルシェは左手の海側にあるはずだが、あいにく建物に遮られていて見えない。

 坂を戻って、メグを迎えに行く。笑顔で自転車を押しながら登ってくるが、歩くだけでも大変に違いない。自転車が重荷になっているはず。

 自転車を後ろから押してやりながら、メグの尻をじっくりと眺める。サドルの当たっていたところが汗で湿っていて……いやいや、この眺めはちょっと官能的すぎる。この後、マルシェを見て歩く時に、この尻をどうやって隠そうかと思う。パレオでも買わせて、それを腰に巻き付けるのがいいかもしれない。

 ようやく登り切って、メグを少し休憩させてから、坂を下りる。しかし、普通に走って降りると膝を痛めるので、普通でないことをする。特に難しいことはなくて、後ろ向きに歩くだけ。メグが一緒にいて、前を見てくれるからこういうことができる。腓腹筋が伸びて気持ちいい。

 メグは自転車を押しながら――というよりは走って行かないように引き留めながら――歩いている。もちろん、ブレーキが利かなかったら大変なことになるからだ。

「この坂は日本人観光客には有名で、名前が付いているそうです」

 トモヨ坂というらしい。映画の撮影で使われて、トモヨというのは主演女優の名前だそうだ。もっとも、かなり昔の映画なので、最近の日本人は知らないようなのだが、それをどうしてメグが知っているのかが不思議だ。

 何にせよ、坂には名前が付いていると判りやすい。“クレマンソー通りのあの坂”よりもいいだろう。

 坂を下りきって、メグは自転車に乗り、俺は再び走り始める。しかし、ほんの200ヤードほどでマルシェに着く。

 メグが自転車を停めている時に、ショーツの尻のことをそっと忠告する。メグは得意顔でバックパックを降ろし、中から黄色いパレオを取り出してきて、腰に巻いた。何という用意のよさ。さすが俺のメグ。歩く時にパレオの合わせ目から覗く素足がセクシーだが、それはどうしようもないか。

 マルシェの六角形の建物に入る。六角形は四つつながっていて、売っているのは野菜、果物、海産物、肉類、菓子類、雑貨といったところ。

 どこもだいたい量り売り。買ったばかりの果物を食べるのもいいらしい。オレンジを搾ってジュースにしてくれるのなら、と思ったが、それはカフェで飲めるようだ。が、開いている店は意外に少ない。8時頃になってようやく開く店も多いとのこと。朝市なのに、朝が遅いとは何ごとか。

 海産物では、ニュー・カレドニア特産の青海老クルヴェット・ブルーが名物。パラダイス・プラウンとも呼ばれるらしい。フランス本国ではオブシブルーの名前で販売されているとか。買ってもいいが、どこで調理しようか。生でも食べられる? 醤油ソイ・ソースもくれる? きっと日本人が喜んで食べるんだろうなあ。

「ここで朝食はいかがですか?」

 海老を食べるの? 違うか、カフェへ行くのか。それとも、クロワッサンやドーナッツやタルトを買って食べる?

 どれでもいいな。しかし、ホテルで食べるよりも安いだろう。それに、メグが一緒に食べてくれるという嬉しいおまけ付きだ。

 カフェに行き、メグのお勧めに従って――いつの間にそんなものを調べたのだろう――クロック・マダムとオレンジ・ジュースを注文する。クロック・マダムはクロック・ムッシュー、つまりトーストにハムを挟んで上からチーズをかけたものに、さらに卵を載せてたものらしい。

 ただし卵の載せ方にはヴァリエーションがあり、トーストの上に目玉焼きを載せるものと、トーストする前に生卵を載せて一緒に焼くもの。ここでは前者だった。

「君は両方食べたことがあるのか」

「ええ、パリで。ル・メリディアンのレストランでも、頼めばどちらでもしてくれると思います」

「俺は君が作ってくれたクロック・マダムを食べたいな」

「では、明日の朝はそのようにいたしましょうか? ホテルの厨房を借りて、私が作ります」

 解っていなさそうで、実はちゃんと解っているんだろうなあと思う。

「明日の気分がどうなるかは、今はまだよく解らない。今夜考えよう」

「かしこまりました」

 朝食が済んだら港の方を少し見て、いったんホテルへ戻ることにする。帰りは俺が自転車に乗り、メグはバスに乗る。メグは自転車で走る俺の雄姿を見たそうにしていたが、今回は我慢させる。

 しかし、帰りにあの“トモヨ坂”を登るのはいくら俺でも無謀なので、おとなしくアドミラル・ハルゼイ通りを走る。

 その他は、来た時と同じルートを通り、20分ほどでホテルに着いた。メグの方が先に着いていて、ホテルの前で出迎えてくれた。

 自転車を返却する手続きを任せたが、「部屋で一緒にシャワーを浴びようか?」と言うと「もう浴びてしまいました」と返ってきた。彼女がバスに乗るより先に出発していたら、俺の方が早く着いていただろう。実に惜しいことをした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る