#13:第7日 (11) ダブル・オプション

 劇場の前でタクシーを拾い、ホテルに戻った。フロントレセプションの前を通るときに、モトローナが声をかけてきた。君、まさか色欲ラストを我慢してないよな。

ミスパンナ・イサクが、お部屋にお越し願いたいと……」

 おお、コニーが戻ってたのか。呼ばれたということは、脈ありなのか?

「今すぐ行くと伝えてくれ」

かしこまりましたズヴィチャイノ!」

 このままの服装でもいいと思うので、エレヴェーターに乗ってエグゼクティヴ・スイートのフロアへ向かう。ドアをノックすると、待ち構えていたかのようにすぐ開いた。コニーは笑顔だが、少し冴えない感じ。呼んだけどやっぱり断るわ、という流れか?

「どうぞ、入って」

 部屋に通された。中はパノラミック・スイートとさほど変わらない広さだが、内装が幾分豪華に見える。その至る所にドレスが広げて置いてある。今から着ていく服を選ぶところ、といった雰囲気だが、当のコニーはバス・ローブを着ている。シャワーを浴びたところか、こんな時間から。

「5時と5時半に電話したんだが、いないと言われてね」

「ええ、6時前に戻ってきたの。電話に出られなくて申し訳なかったわ」

「気にしなくていいよ。はっきり断られるよりはダメージが少ない」

「そのことなんだけど、まだ迷ってるのよ」

 迷ってるのに、どうして俺を部屋に通すんだ。それとも、この後、もう一人が部屋に来て、直接対決でもさせようと?

「何か選択オプションの手伝いができる?」

「無欲なのね、あなた。迷ってるなら自分と行こうって誘ったりしないのかしら」

「強引なのは苦手でね。それに、選択オプションをするときには相手の動きを読んでからっていう癖が付いてるのさ」

 フットボールでの話だけどな。

「強引に誘われるのが嬉しいときもあるのよ」

「じゃあ、もう一人からは強引に誘われてないのか」

「ええ、あなたみたいに控えめで。でも、とてもいい人なの」

「君を誘う男に悪い奴はいないと思うよ」

「いるわよ、少なからず」

おやおやディア・ミー。悪い奴を見抜くコツでもあるのかな」

「私を甘やかそうとする男」

「度量が広くておおらかな男にも思えるがね」

「何かあったときに、私の代わりに責任を取ってくれるならいいけど、『気にしないでいいよ』って言うだけじゃ困るわ」

「俺も時々そう言う場合があるよ。ところで、これらの服はなぜ展示ディスプレイされてるんだ。デートの服を選んでるんだろうが、俺と一緒に買った服を選んだら俺が相手で、その他ならもう一人の男ってこと?」

「ええ、そう」

「そうすると、俺が相手になる倍率は低そうだな。10対1くらい?」

「いいえ、置いてあるだけで、今日はその気分じゃないっていう服もあるから、4対1くらい」

 じゃあ、残りの6着をさっさと片付けりゃいいのに。

「決めきれないのなら、コイン・トスにする? 一番公平だ」

「あなたはそれでもいいの?」

「構わないよ。早く決める方がいい。もう一人の奴に断るなら、早くしてやらないと困るだろう」

「何のこと?」

「君に振られたときに誘う相手を考えているかもしれない。決定が遅れると、その相手との交渉時間がなくなる」

「あなたにも次の候補があるの?」

「ないよ。そんな相手を決めておくのは君に失礼だからね」

「もう一人だって、同じ考えかもしれないわ」

「ただしそいつは君が迷ってるかどうかを、知らないんだぜ。じゃあ、別の提案をするが、その中から選びたいという5着に、順位は付けられないのか?」

「付けられるわ」

「じゃあ、その中の1位にすればいい」

「あなたと買った服よ。とても気に入ってるの。ぜひ着たいのよ」

「どうして」

「私のお金で買ったから」

 ほう、そうすると、他の服は全部もう一人の男に買ってもらったのか。しかし、10着以上も、一度の買い物で? 二度と着ない服が、何着くらいあるんだろう。

「それなのにどうして迷ってるんだ?」

「今日の最後がどうなるか見えてこないから」

「今日の最後?」

 何のことだ。バレエを見に行ってその後は……たぶん、遅い夕食を摂りに行くか、バーへ行って酒でも飲むかってところだろ。その間に痣を確かめられるかどうかは、かなり怪しい気がするけど。

「あの服を着ると、あなたの言うことに素直に従ってしまいそうな気がするの」

「別に無理なことを言うつもりはないよ」

「それも解ってるわ」

 コニーは寝室へ行き、服を持って戻って来た。俺と一緒に買ったものだった。靴と下着も買ったはずだが、それはどこにあるか判らない。

「これを買うときだって、そうだったわ。普段は思いのままに服を買っていたのに、あの時は結局、あなたの考えたとおりに買ってしまった。だからこの服を着たら、あなたにわがままが言えなくなる気がするの」

「そんなことはないと思うなあ。買うときには色々言ったけど、買った後のことに口出しすつるもりはないよ」

「でも、ずっと着ていて欲しい服って言ったわ。着替えられないじゃないの」

「あれは言葉の綾フィギュア・オヴ・スピーチだよ。それに、バレエを見に行くつもりで買ったんだろう? その後はどうしたっていいじゃないか」

「その時には私のわがままも聞いてくれたりするのかしら?」

 たいがい聞いてたと思うんだけど。

「俺にできることならね」

 コニーは笑顔を見せるでもなく、しばらく考えている素振りだったが、服を持ったままおもむろに壁際のカウンターの方へ行き、電話の受話器を取り上げ、ダイヤルした。

こんにちはドーブロホ・ドニャー、コニー・イサクよ。7時の約束のことだけど、やっぱり別の用件を優先することになって……ええ、本当に申し訳ないわ。またいつか、お会いしたときには、ぜひ……あなたのご幸運をヤ・バジャユ・ヴァム・ウダーチさようならド・ポバチェンニャ

 電話を切った後で、コニーはようやくはっきりした笑顔になった。断るかもしれないってのを、相手にも言ってあったのかよ。完全な両天秤だな。

「着替えるから外で待っていて」

「その前に一つ訊かせてくれ」

「何?」

「本当にその服を一番着たかったのか?」

「それもあるけど、もう一つ理由が」

「ぜひ聞かせてほしい」

「あなたが私に、一番楽しい買い物のやり方を気付かせてくれたから。たっぷり時間をかけて、1着だけ選んで、それを自分のお金で買うのが、一番贅沢で楽しい買い物だって」

 贅沢な買い物か。金じゃない、時間の使い方のね。俺は特に意識したわけじゃなかったんだがな。

 とにかく、コニーはやっぱり強欲グリードのキー・パーソンだったってことだ。後で痣も確認できそうだし……でも、本当に確認が必要なのか?


 コニーが着替えている間に、俺も自分の部屋へ戻って、フォーマルに着替える。オペラ鑑賞なんてフォーマル中のフォーマルなので、もしかしたらこのスーツ――帝国騎士の礼服――だと他の男に見劣りするかもしれない。金モールもぶら下げておこうか。

 ロビーで待っていると、フロントレセプションからモトローナが笑顔で俺のことを見ていた。俺が着飾っているのが面白いのだろう。彼女に何も報いてやれなくて残念だ。

 しばらくしてコニーが降りてきた。ディープ・パープルのベア・ショルダーのロング・ドレス。引きずるような長さではなく、スカートの前の裾が少し開いていて足首とゴールドのハイヒールが見えている。シルバーの小さなハンド・バッグもおしゃれだ。

 似合いすぎていて、やっぱり脱がせたいと思わない。俺のそばへ来たが、妖しい笑みを浮かべている。服を品評されている気がする。

「金モールは外した方がいいわ」

「装飾が少なすぎて寂しいかと思ったんだがな」

 言われたとおりにモールを外し、スラックスのポケットに入れる。コニーがバッグからスカーレットのハンカチを出してきて、それを俺のジャケットの胸ポケットに突っ込んだ。無造作に入れたように見えたのに、フラワー・アレンジメントのように綺麗な形になっている。

「これでいいわ。行きましょう」

 もちろん、タクシーはもう呼んであるので、それに乗り込む。

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