#13:第6日 (7) 罪の意識

 ケイティーが目を見開き、息を呑んだのが判った。

「いいえ、私は嘘をつきたいのではありません! 私はただ……」

「もうすぐ君の練習が再開する時間だと思うが……」

 ケイティーは肩をびくりと震わせた。俺が見たわけでもないのに、振り返って廊下の奥を見る。もちろん、そこには誰もいない。しばらくしてこちらへ向き直ったが、しょんぼりとうつむいている。

「もう少し話をしたいと思ってるかい?」

「いいえ、私は練習に戻らなければいけません。私はそうしなければ……」

「神が見ているから?」

 ケイティーは答えなかったが、身動きもしなかった。心と身体の不一致が起こっている。

「俺が見るところ、君は少し体調が悪そうだ。ちょっと休んで、遅れて練習に行く方がいいんじゃないかな」

「いいえ、違います。私はすぐに練習に行かなければならないんです」

「神がそう言ったのか」

「いいえ、私がそう思っているんです」

「神は何と言ってるんだ?」

「私が練習をするところを、神はご覧になっています」

「神は何も言っていないんだな?」

「でも、練習を休むのはいけないことなんです……」

 罪の意識か。怠惰スロスはよくないと。そうして義務感だけで練習してるから、動きに切れがないんだな。

 どうして追い込まれてるんだろう。両親か、指導者か、ライヴァルか。まあ、神って言ってるんだから自分の中の神、つまり自分自身だろう。

 だとすると、相談に乗るのも一苦労だぞ。自分が間違っているかもしれないと思いつつ、それでも自分の考えを誰かに肯定して欲しいという、矛盾した気持ちを持っているわけだから。

 これに比べると、シモナは単純で扱いやすかったなあ。やりたいことがはっきりしていて、ちょっと諭すだけで……いや、ちょっと待て、シモナは羨望エンヴィーだったよな。怠惰スロス羨望エンヴィー? それって何だっけ、“七つの罪源セヴン・デッドリー・シンズ”?

 他に憤怒ラス強欲グリードと、後は何だったか忘れたけど……憤怒ラスはユーリヤ? 強欲グリードは誰だか判らんが、もしかしてここでは、それを解決していかなきゃならないってこと?

 でも、シモナの羨望エンヴィーは叶えちまったぜ。ユーリヤにも憤怒ラスはぶちまけていいって言っちまったし。それでよかったような気がするんだけど、まずかったのか? あるいは逆に、罪を犯させることがミッションだってのか? 7人の女に!

 しかし、その7人をどうやって特定すりゃいいんだろう。何か共通点があるんだよな。シモナとユーリヤは確定、そして目の前にいるケイティーもきっとそうなんだろう。

 だが、共通点は後で考えるとして、ケイティーに怠惰スロスをさせなければならないとしたら。つまり、練習をサボらせるとしたら! どうすればいい?

 強引にサボらせようとしたら、きっと意地を張って練習しようとするだろう。今だって、自分から相談しに来たくせに、俺の説得に全く応じようとしないもんな。もう1時を回ったから練習は始まってると思うけど。さあさあさあ、どうする。

 振付師と主宰を説得して、ケイティーを休ませる……だが、それだと怠惰スロスではない。ケイティー自身が怠惰スロスなことをしていると思わないとダメだ。嘘をついてでも。誰が嘘をつく? 俺しかいねえじゃねえかよ。

「君は、神が練習を見ていると言ったが、見せるに値する演技ができていると思うかい?」

 ケイティーは答えなかった。この場合の沈黙は、「ノー」を意味するだろう。

「神に見られていない時間が欲しいと思ったことはあるかい?」

 ケイティーの最初の質問の意図は、神に見られることを前提としない行動なんてあるのか、ということだから、敷衍すると、「そういうことをする人がいてもいいのか」になる。

 つまり、彼女は神に見られていない瞬間が欲しいと思っている。答えはないけれど、そう思ってるに決まってる。

「“嘘も方便”という言葉を教えたが、例えば一見して神の意に沿わない言動であっても、後で良い結果を生むのであれば、君の神はそれを認めて下さると思うんだが、どうだ?」

 まだ答えはない。しかし、反駁しようとしないということは、俺の言うことを認めてくれているという意味でもあるだろう。

「君の神も、君に同じようにすることがあるだろう。神は君に試練を与える。遠回りの道を選ばせる。しかし、実はそれは成功の道であったと後に判る。君は神に感謝する。であれば、君が自ら遠回りするのを選ぶことの、何がいけないんだ? 神は、遠回りするのが正しいと君が気付くのを、見守ってくれてるかもしれないんだぜ?」

 この場合の遠回りは、このまま苦しい練習を続けることではなく、その苦しさを一時的に回避する“戦略的撤退”を意味するのだが、解ってくれるかどうか。十分な考慮時間を与えた後で、もう一度声をかける。

「さて、君から質問がないとしたら、俺の話もこれで終わりだ。リハーサル室へ行こうか。この後、君がどうすればいいか。俺と君と、バレエ団の責任者とで相談したいと思う。君は十分に考えた上で、君の意見を述べてくれ」

 ケイティーがまた身体を震わせる。俺が歩き始めると、重い足取りで付いて来た。

 リハーサル室へ入ると、既に音楽が流れていて、バレリーナたちが踊っていた。振付師と主宰が俺に、いや、ケイティーに気付いた。こいつら、あくまでも俺を無視しやがるんだな。

「ケテヴァン、どこへ行っていたんだね。練習はもう始まっているよ。さあ、早く参加して」

 振付師が表向き優しげな笑顔でケイティーに練習を促す。ケイティーは「はいディアフ振付師コレオグラビ」と言ったが、身体は動かない。

 ところで、振付師はウクライナ語ではない言葉でしゃべっているのだが、どうしてそれが俺の頭の中で適切に翻訳されているのだろうか。このステージは複数言語マルチ・ランゲージ対応だったのか?

「実はケテヴァンのことについて相談があるんだが」

「誰です、あなた?」

 振付師が見るからに不快そうな顔で俺を睨んだ。無視するはずだよ、全く憶えてないみたいだな。「財団のドクター・ナイト」とこの時ばかりは肩書きを振りかざす。そうでもしないと話すら聞いてくれないだろうから仕方ない。それでも振付師はあからさまに嫌そうな顔をする。

「データ取得やフィードバックはもう終わったと聞いていますが?」

「彼女から取ったデータに、非常に興味深い点があるので、追加で調べさせてもらいたい」

 まず、ここで嘘をついた。もちろん、ケイティーには解っているだろう。

「そんな時間はありません。本番はもう明日なんですよ! 午後からの練習で、プリマ・ドンナの序列を決めることになっているんです」

「それならもう序列は決まっているだろう。彼女は2位セカンドで、もう一人が1位ファーストだ」

「なぜそう思うんです?」

「ここ数日の彼女のパフォーマンスを見てそう思わないのか?」

 振付師はむっとした顔をする。しかし、ケイティーの演技が上々だとは思っていないはずだから、素人に図星を突かれて機嫌を損ねたというところだろう。

「彼女自身がどう思っているか、訊いたんですか?」

「訊いたところで、決めるのは君だろう? あるいは主宰と相談するのかもしれないが、彼女やラヤーの意見も尊重するつもりなのかね」

「いずれにしろ、あなたには関係ないことです」

「だったら、君から彼女に訊いてみれば?」

 言いながら、ケイティーの方を振り返る。振付師と主宰もケイティーを見る。ケイティーはうつむいて誰とも目を合わさない。振付師がまた表向き優しげな声で言った。

「ケテヴァン、君はプリマ・ドンナの序列を勝ち取りたいと思っているんだろう? それなら、早く練習に参加しないといけないよ。それとも、財団へ協力しに行くのか? 貴重な練習時間を割いて」

 追い込んでるなあ。それがいい効果を生むかどうかは相手の性格によるんだが、考慮してるのか?

「私は……」

「ケテヴァン、財団へ協力するのもいいけれど、戻ってきたときにはプリマ・ドンナの座はなくなっているかもしれないわよ」

 主宰まで。このバレエ団はそういう方針でやってるんだな。ケイティーの性格とは合わないだろう。練習に戻っても潰されるのがオチだぜ。

 さあ、どうする、ケイティー、破滅の道を選ぶのか? それとも、遠回りを選ぶのか?

「私は……今の私は……プリマ・ドンナを務める実力が、ありません……」

 神に見せるに値する演技ができていないことを認めた。それは練習に戻らないことを意味し、遠回りの道を選ぶことになるわけだ。こんなにうまくいくとは思わなかったが、振付師と主宰が追い込んだのが効いたかなあ。

「諦めるのかね、ケテヴァン。よろしい、君の好きにしたまえ」

 振付師は強い口調で言ったが、顔は動揺していた。おそらく、ケイティーが自分の言うことに従うと思っていたのだろう。

 予想外の返事で困っているのは主宰も同じじゃないかな。いくらケイティーがプリマ・ドンナを辞退しても、ラヤー一人に任せることは想定してなかったに違いない。二人で競わせて実力を高めるのが目的だろうし、ダブル・キャストも公演の売りの一つだったろうから。

 後でナターシャに頼んで「ケイティーにもう一度チャンスを与えてあげて」とでも言わせればうまく行くだろう。

「では、彼女の身柄は財団が5時まで預かる」

「ああ、お好きなように」

 気のないふりの演技で精一杯の振付師と主宰を尻目に、ケイティーを促してリハーサル室を出た。

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