#12:第6日 (5) お願いがあと一つ
マリーナに近付くと、デメトリアが真剣な表情になって言った。
「アーティー、今日は楽しい時間をありがとう。あなたのこと、大好きになったけど、あなたはもうすぐ合衆国に帰らなきゃならないし、婚約者がいることも知ってるわ。でも、あなたは私のために誠意を尽くして楽しませてくれようとしたのが判って、とても嬉しかった。それに、あなたに不運な出来事が訪れなくてよかった。私、それがずっと怖かったの。だから男の人から優しくされても、つい反発したりして。でも、これからは褒められたら素直な気持ちで聞くことにするわ。そして、あなたよりも好きな人ができたら、デートしようと思う」
「こちらこそ、ダイヴィングを楽しませてくれてありがとう。君はきっと魅力的な男に出会うことができるよ。ところで、クラウディアはどうして君の心配ばかりして、自分は男を捜そうとしないんだろう」
「あら、だって、彼女は結婚しているもの。担当航路の都合で、今月はサレルノがベースで、だから私の家に寝泊まりしているだけ」
そういうことか。俺を相手にして遊んでたんだな。航路の都合で夫と離ればなれになるということは、休みの日が合わなかったりするんだろうな。
あれ、もしかして、今日の休みを代わってもらった相手ってのは、彼女の夫かもしれないぞ?
「アーティー、あと一つだけ、お願いがあるの」
マリーナに到着して、桟橋に降りながらデメトリアが言った。
「何でもどうぞ」
「明日もまだサレルノにいる? もう一度だけ、デートに誘ってほしいの。今日は、私自身のせいで、最初から楽しい気持ちでいられなかった。だから明日は、最初から楽しい気持ちでデートがしてみたいの」
明日は未明に、島へ盗みに入らなければならない。その前に寝られるかどうかが判らなくて、もしかしたら今日以上に寝不足な状態になる可能性がある。
「もちろん、いいとも。ただ、明日は何時からデートができるか、まだ判らない。今夜も他に用があって、君の
「解った。あなたに夕食を食べてもらえないのは残念だけど、明日はもっとおいしい料理を作ってくるわ」
「楽しみにしてるよ。そうだ、クラウディアに一つ質問があるんだった」
桟橋からクラウディアに声をかける。キャビンからデッキに出て来た。
「どうしましたか?」
「君の船は何て名前?」
「イッポリータです。私が子供の頃に飼っていた犬の名前から付けたのですよ」
「それは女の名前?」
「そうです」
「イタリアでも船には女の名前を付けるものなんだ」
「そうとは限りませんけど、多いのは女性の名前でしょうね」
「解った、ありがとう」
別れの挨拶に二人にキスをし、モトを駆ってホテルへ戻った。
ロビーに入ると、ベアトリーチェがいた。昨日の深夜にいて、今朝早くにいて、今もまたいる。彼女はいつ寝ているのだろう。
ダイヴィング用具の返却手続きをすると、ベアトリーチェが便箋を差し出してきた。
「メッセージが入っています!」
便箋は四つ折りになっていた。またアンナからだろうか。開く。違った。見たことがない筆跡で"Rientro in villa entro mezzogiorno."とある。
読めないので、ベアトリーチェに頼む。「正午までに別荘へ戻れ」だと。
今、11時。道が混んでなければ間に合うだろう。ひとまず、アンナに電話で連絡しよう。
「お友達とお約束ですか?」
ベアトリーチェが笑顔で訊いてくる。
「そうだよ。でも、恋人と会うんじゃない。勘違いしないでくれ」
「夜にお連れになるのは……」
「あれが友達。泊まらせたことはないだろう?」
「そうでしたね。もし、恋人がいらっしゃらないんだったら、私もあなたとデートしてみたいです!」
余計なこと言わないでくれ。本気にしそうになる。部屋へ戻って、アンナに電話して、シャワーを浴びてから、モトに飛び乗った。
A3は混んでいたが、モトの性能を活かして路側からがんがん追い抜く。それは気持ちいいくらいに速く進む。
11時50分、ソレントの駐車場へ着いた。さて、ここからどうやって別荘に戻るか。アンナに電話したので、迎えに来てくれているのではとも思う。しかし、駐車場にはそれらしい車がなかった。
プラザ・ホテルの方へ行くと、そこに白のランボルギーニが停まっていた。サングラスをかけた女が運転席に乗っている。見かけはアンナだが。
「わざわざ迎えに来てくれたのか。ありがとう」
「シニョール・マクシミリアンはかなり機嫌が悪くなっているわ」
まあ、そうだろうな。俺が一人で勝手に抜け出したことになってるから。助手席に乗り込むと、すぐに車が走り出した。
「デートの相手とは会えた?」
「デートじゃない、ダイヴィングの練習をしてたんだ。自主的にね」
本当はもちろんデートなのだが、ダイヴィングの練習をしたというのも嘘ではない。しかも楽しく練習したので、泳ぎもうまくなったはずだ。
「戻ったら解錠の訓練に専念してほしいものね」
「するよ、もちろん。ところで、
「あなたが戻ってきてからになったわ」
「それは申し訳なかった。で、説明が終わった後、夜中まで何をするんだ?」
「色々と事前準備があるわ。アントニーは船の用意、アルビナは
「君は何をするんだ?」
「言ったでしょう、クラッキングのテスト」
「アンナじゃなくて、君のことだよ、アメリア」
「気付いていたの?」
「何となくだから、
顔の造形と胸の大きさは見事に再現されていたが、いつも彼女の隣にいると感じる、圧倒的なオーラがなかった。その他にも、名前の呼び方とか。
「彼女とは少ししか話をしていないから、うまく真似できなかったわ」
「よく似ていたよ。最初は全然気付かなかった。そういえば、俺は君とほとんど話をしたことがない」
「あんたの仕事と私の仕事は、最もかけ離れてるからよ」
言葉遣いが急に悪くなった。しかし、デメトリアも最初はこんな感じで、それが今日のデートではあの変わり様だったから、アメリアとも時間をかければいい関係になれるかもしれない。もっとも、その時間はもうなさそうだ。
「そうは言うが、君が得た情報で、教授が作戦を立てて、俺のやることが決まるんだろう? フットボールでもスカウティング・チームが相手の動きを調べて、それをコーチが分析して、俺たちプレイヤーに作戦を伝える。それと同じだ。だから俺がプレイヤーだった頃は、スカウティング・チームの連中にしょっちゅう奢ってた」
「解ってるわよ。ただ、あんたが新入りで、私の知らない間に色々決まったから、ついて行けなくて拗ねてるんだと思ってくれればいいわ」
まあ、そうかな。島へ盗みに入るときでも、彼女は間接的にしか関係しないだろうし。仲良くなったせいでアルビナのように痴女化されても困るんで、このままでいいだろう。
「本物のアンナは何をしてる?」
「昼食作ってる。だから私が代わりに迎えに来たの」
「変装したのはマクシミリアン氏の指示?」
「偵察の都合とか、色々な理由よ」
そうかなあ。アンナに変装したら目立つし、俺と彼女が車の中で秘密の会話をしているか聞き出そうとしたんじゃないかと思うけど。余計なことは話さなかったから、信じておくことにするか。
別荘に着くと、金庫を置いた部屋に全員が集まっていた。いや、アンナがいないか。マクシミリアン氏の指示で、アルビナがアンナをキッチンへ呼びに行った。
アンナが来たのでアメリアの変装と見比べる。やはりよく似ている。少し離れていたら判らない。しかし、2ヤード以内に近付くと確実に判る。それは俺だけかもしれない。
アメリアが銀髪のウィッグを取ったら、容易に見分けが付くようになった。当たり前か。
「勝手に抜け出しては困るな。こちらの予定が狂う」
マクシミリアン氏にまた叱責された。
「今日も出掛けると言ってあったはずだよ」
「それは憶えているが、だからこそ勝手に出て行かないで欲しいという意味だ。午後は出て行かないでくれたまえ」
「了解した。出て行く予定はない」
「モトをどこからか入手したようだな」
「移動に便利だからね。いつも送り迎えしてもらうわけにはいかないし」
「もう移動の必要はないだろうから、処分したまえ」
「元々、そうするつもりだった」
「では、今夜の
フットボールのミーティングとは違って、プレイ・ブックもなく、全て口頭で説明するようだ。
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