#12:第5日 (5) 君が居眠りしたら

 さて、まだ隣に座っている淑女レディーに訊く。夜中の2時も近いのに、美しさが全く衰えてないなあ。

「何の話があるんだ?」

「あなたが解錠に5分以上かかっても、警備システムがインセキュアな状態を続けていられるから、安心して」

「全体の制限時間の話はどうなるんだ」

「引き延ばし策は教授が考えるし、私も考えるわ」

「勝手な作戦を考えたら教授が怒るんじゃないのか」

「教授が予想しないようなことが起こらないと、私たちがターゲットを掠取できない」

「それはそうだ。じゃあ、それについては君に任せよう」

「それから、ヘル・マクシミリアンが、明日あなたに依頼することについて」

「どうして君が知ってるんだ?」

「ごく簡単な推論。彼はあなたに、ダイヴィングはできるかと質問して、できなければ訓練しろと言うつもり」

「島にある屋敷へ忍び込むにはダイヴィングが必須で、俺は金庫を開ける担当だから、必ず潜らされるってことか」

 それは確かにそうだ。まさか、堂々と船で乗り付けるわけにはいかないし、空からパラシュートで降り立つというのも難しいだろう。

 島には見張りがいるに違いないし、どちらの方法でも簡単に見つかるに決まっている。となると、ダイヴィングしかない。ハリウッド映画じゃあるまいし、島まで海底トンネルを掘るわけがない。

「俺が泳げないと言ったら、マクシミリアン氏は飛び上がるかな?」

「泳げなくても問題ないわ。どうせ、移動には水中スクーターを使うに決まっているもの。スクーバの使い方と、水中での合図を憶えればいいだけ」

「ヴァケイション・ステージで海に行ったから、習っておけば良かった。君はスクーバをやったことは?」

「少し」

 やはり何でもできるんだな。その胸は、あの窮屈なウェット・スーツに入りきらない気がするけれども。

「事前に教えてくれてありがとう。覚悟しておこう。他には?」

「金庫の錠は替わらないはずだから、安心して」

「理由は?」

「これから数日の間に、今よりセキュアな錠を選択するのは難しいから。警備会社とのやりとりを傍受したけれど、コンビネーションの数字を変えてはどうかという提案があったくらい」

「今だって番号は解らないんだから、変えても同じだ。他には?」

「錠を開ける順序について」

「それは、隠しカメラか何かで得た確実な情報?」

「いいえ、推論した結果」

「それなら俺も推論した。Nか、その逆順かの、どちらかだろう」

 四つの錠の順列は24通り。それに二つの条件を加味して得られる、“心理的に最もランダムに見える順序”が、その二通りだ。ただし、文字を縦書きする国の人間には当てはまらないに違いない。

「あなたは期待していたとおり、有能だわ」

「君の期待に添えるなんて、俺も進歩したものだ」

「言い方が悪かったわ。取り下げさせて。あなたを見くびったりしていない。いつも脅威を感じているのに」

 言葉では謝ってるのに、表情が全然済まなそうじゃないな。

「俺は君が油断してくれる方がありがたい。しかし、全く期待しないけどな。他には?」

「訓練には錠の番号やピン配置の変更が必要だから、朝まで付き合うわ」

「君は期待していたとおり、親切だよ。ついでに、コーヒーの淹れ方を教えてくれ」

「いいえ、万が一、あなたが指に火傷したり怪我したりしたら、解錠ができなくなる。だから、あなたに料理当番はさせないことになってるの。コーヒーが飲みたければ、私が淹れるわ」

「それはありがたい。じゃあ、淹れてくれ。君の分も淹れた方がいいだろう。それから、あと一つ」

「何?」

「君が居眠りしたら襲うかもしれないから、注意していてくれ」

「了解。期待しているわ」

 ジョークだと解ってるのなら、表情を変えながら言ってくれるかな。それとも、今の俺の発言を取り下げた方がいいのか?


 あくびが止まらない。もう5時か。窓の外が明るくなってきた。

 コーヒーは何杯飲んだか判らない。錠は何回開けたか判らない。アンナに訊いたら憶えているかもしれない。憶えているに違いない。

 彼女はずっと起きていた。俺は何度か意識を失いかけたことがあったが、復活してそのたびに彼女の方を見たら、彼女は常にラップトップで何かの作業をしていた。俺の方は一度も見ていなかった、と思う。

 錠の番号やピン配置を変えてくれと頼んだら、すぐに無言で応じてくれた。コーヒーは本当に何杯飲んだんだろうな。途中で彼女は夜食代わりの菓子を出してくれたはずだが、何を食べたか憶えてない。

 ただ、彼女が一つしか食べなかったことだけは憶えている。彼女が少食だと、印象に残りやすい。

「変えてくれ」

 俺がまた頼むと、アンナはラップトップをテーブルに置き、金庫の錠をいじる。いちいち立たなくてもいいよう、金庫は俺と彼女の間に置いてある。扉を開けたまま、俺の方に錠を、彼女の方に裏側を向けて。

 だから、錠から少し目を上げると彼女の顔が見える。彼女はラップトップを見るために、ずっとうつむいていた。

 また解錠を始める。二つ開けたところで、疲れたのでソファーに背をもたせかけ、少しだけ目を閉じる。次に目を開けて、時計を見たら5時半になっていた。なぜだ。

 アンナの姿もない。横から音もなく手が伸びてきて、コーヒー・カップを金庫の上に置いた。その手の主を見ると、当然のように彼女だった。

 前屈みになっているので、胸の大きさが強調されている。彼女は俺がこうやって胸をちらちらと見ていることに、気付いているに違いない。しかし、そんなことでは彼女は何も言わない。おそらく、じっくりと観察されてすら、無反応に違いない。

 彼女は、自分の身体がそういうことをされる対象だと、割り切っている。むしろ利用することもあるだろう。ただ、触られることについてはどうだろうか。そこはよく解らない。別に俺も、今触りたいわけではない。

 眠たくて頭の中がはっきりしないせいか、余計なことばかり考えてしまう。指はほぼ自動的に動いて、錠を開けていく。錠を見なくても開けられるのだが、目を閉じると寝てしまうので、開けたまま、錠の辺りをぼんやりと見るようにしている。

 時々、アンナの様子が目に入る。そっちは見なくていい。見なくてもいいんだって。

 シリンダー錠は約40秒、ダイヤル錠は約1分15秒で開けられるようになってきた。恒常的に、四つで4分を切るようになった。

 正確な時間は、たぶんアンナがこっそりと記録しているだろう。俺の方を見ていないふりをして、しっかりと見ているに違いない。徹夜を始める前にあんなことを言ったから。いや、ジョークだと解ってくれていると思うけれども。

「少し、仮眠を取ろうと思う」

「了解」

「君も、自分の部屋に戻って仮眠を取るといい」

「そうするわ」

 そう言いながらも、アンナがラップトップを叩く手は止まらない。たぶん、切りのいいところまで続けようとしているのだろうが、何をしているのだろうか。

「君は計算機室で寝るんだっけ」

「ええ」

「入るには許可が要るみたいだな」

「あなたは要らないわ」

 寝てるときも?

「それは解っているが、誰が許可するんだ」

「私とヘル・マクシミリアン」

「マクシミリアン氏も許可はいらない?」

「私が断ることもできるけれど、断ったことはないわ」

 要するに、アンナが一番強い立場というわけだ。

「勝手に入れないよう、ドアに錠が付いてる?」

「ええ」

「何の錠」

「車のドア錠。中古車のを取り外して、セニョリータ・ゴディアが取り付けてくれたの」

「セニョリータ……アルビナか。つまり、君がエントリー・キーを持っていて、それでリモートで開け閉めしてるわけだ」

「ええ」

「外から鍵で開けられないんじゃ、俺の楽しみはないな」

「ノックをすれば、いつでも入れてあげる」

「ノックをしているのが俺だと判る?」

「ドアの前に来る足音で」

「耳がいいな」

「あなただって得意のはずだけれど」

 その特技を彼女に披露したことはないのに、どうして知ってるのかな。当てずっぽうか? まあ、どうでもいいことか。

 アンナがラップトップを閉じた。他に何か?とでも促すように、俺の方を見ている。もちろん、言うべきことはあと一つだけある。

「ラップトップを閉じた後で申し訳ないが、調べて欲しいことがある」

「何?」

「ナポリでもソレントでもいいが、モトを借りられるところを探して欲しい。エンジンはガソリンでも水素でも、とにかく大排気量、高加速で、君が運転してくれたあのランボルギーニに追いつけるようなマシーンが希望だ。借りられないのなら買ってもいいが、即納が条件。できれば店に置いてあるのを、そのまま乗って帰るのがいい。俺が午後に出掛けるまでに、できるだろうか」

「了解」

「ただし、他のみんなには言わないでくれ。出掛けるときは君に送ってもらうふりをする。ソレントのどこかの駐車場に置いておくから、そこまで送ってもらうだけでいい」

「了解」

「理由は言わなくていいか?」

「いいえ、たぶん、私の期待どおりだと思うから」

「ありがとう。それじゃあ、お休み」

お休みなさいブォナ・エ・ドルチェ・ノッテ

 アンナが静かな足音を残して、去っていった。

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