#12:第4日 (3) 解錠訓練

 夏場に空調がないところで寝ると暑くて困る。窓を開けて寝ればよかった。

 7時か。眠い。4時間くらいしか寝ていない気がする。

 まだ誰も起きてないのか。耳を澄まして辺りの様子を窺う。足音はしない。しかし、寝ている間に、誰か俺の部屋に入ってきたことは確実。ドアの前に丸めて置いておいた靴下が動いている。俺が逃げてないか、確かめに来たのだろう。

 とにかくしばらく様子を見る。7時半頃になってようやく足音がし始めた。全て下の階の音。少なくとも置き去りにはされなかったようだ。いずれ誰かが声をかけに来るだろうからそれまで待つ。

 そっと立って、窓の外を眺める。木々の間から他の建物が見える。人里離れた山奥というわけではないらしい。目印になるような物は何もない。当たり前か。携帯端末ガジェットを持っていたら位置くらい判るのにな。

 7時45分になって、階段に足音がして、それからドアにノックがあった。ノックじゃないな、蹴ってるぞ。開けるとアルビナが笑顔で立っていた。コーヒー・カップと、ビスケットが載った皿を持っている。ノックできないわけだ。昨日同様に露出の多い服。

「朝食持ってきたわよ」

 ここで食べろということらしい。テーブルもないのに。

「ありがとう。ところで、電話をかけたいんだが」

「どこに?」

「昨日の夜の続きだ。君も知ってるだろ。今朝、8時までに電話すると約束したんだ」

「ああ、あれ。諦めてもらうしかないわね」

「そんなこと言わずに。君なら何とかしてくれると思って頼んでるんだ」

「私の電話は使えないわ。相手に私の番号知られたら困るもの」

「君じゃなくても、誰かがレンタル・モバイルフォンを持ってるんじゃないのか? それをほんの1分使わせてくれるだけでいい」

 何らかの犯罪行為をしようとしているのなら、レンタル・モバイルフォンは持っているに違いない。それに、彼らの方が俺を必要としているのであって、俺が協力しないと言ったら、困るのは彼らだ。本来なら、俺の方が立場が強い。

「じゃあ、ちょっと待って。あなたのお友達に相談してくるわ。彼女ならもっといい手を知ってるかもしれないから」

 そう言いつつ、コーヒー・カップとビスケットの皿を俺に押しつけ、階段を降りていった。階段を覗き込んだが、曲がっているので下の様子が全く判らない。

 部屋の中へ戻り、ビスケットの皿をソファー・ベッドの上に置く。コーヒー・カップは持っているしかない。1分ほどでアルビナが戻ってきた。

「こっちに来て。コーヒー・カップは置いて」

 ソファーの上に置くと倒れるかもしれないから、床に置くしかないのか。ソファーの足下に置き、アルビナに付いて行く。いや、前に立って階段を降りろと言われた。

「後ろから目を塞ぐから。あ、段数は教えてあげるから心配しないで」

 どうやら階下に見られてはいけないものがあるらしい。昨日の晩にはなかった物が置いてあるのか、それともいなかったメンバーがいるのか。

 冷たい両手で目を塞がれたまま、ゆっくりと階段を降りる。降りたら右とか左とか言われつつ廊下を進む。立ち止まって「左にノックして」と言われてノックすると、「どうぞエントリ・プーレ」と返事があった。マルーシャだ。

 この辺りか、と見当を付けてドア・ノブを捻り、中に入る。ようやく目隠しが外された。マルーシャが真新しい綺麗な椅子に座っている。その椅子と釣り合っていない粗末なデスクの上に、大きなディスプレイとキーボード。きっとコンピューターもあるだろうが、見えない。デスクの陰にでも置いてあるのだろう。

「彼女がかけてくれるわ。番号を伝えて」

 イタリアの電話事情はよく判ってないが、コンピューターから通常の電話回線に架けられるのか。それとも、不正に回線に侵入して架けるのか。まあ、どっちでもいい。

 財布の中から番号を書いたメモを取り出してマルーシャに渡す。マルーシャが番号を入力する。ヘッドセットを借りる。すぐに相手が出た。

「モーニン、エロイーズ、アーティーだ。昨夜はよく眠れたかい? 今日のことなんだが、ヴェスヴィオ山のガイド付きツアーに参加しようと思ってる。だから、残念ながら君たちとは一緒に行けない。友人とアマルフィ海岸を楽しんで来てくれ。明日はナポリに行こうと思うんだが、どう? 友人と相談しておいてくれると嬉しい。今夜また電話するよ。じゃあ、よい一日を」

 電話を架けている間、二人の女の視線が気になって仕方なかった。俺が何かまずいことを言い出さないか、監視していたのだろう。ヘッドセットを返しながら、マルーシャに言う。

「今夜も頼むかもな」

問題ないわノン・チェ・プロブレーマ

「じゃあ、部屋に戻ってね」

 戻る時もアルビナに目隠しをされたが、階段を上がったところで外された。2階の廊下は自由に歩いていいということだ。

 部屋に戻ってコーヒーを飲んだが、砂糖が大量にぶち込んであって甘すぎる。ビスケットも甘いので、舌が痺れそうだ。

 食べ終わった後、暇をもて余していたら、8時半になってアルビナが錠のサンプルを持ってきた。ダイヤル錠とシリンダー錠を一つずつ。あの“金庫”から外したのではなくて、別の錠のようだ。

「これで訓練しろと?」

「そういうこと。番号やピン配置を変えたかったら言ってね。私が調整するから」

「君も錠前に詳しいのか」

「メカニズムは好きよ。でも、開けるのは苦手。ごく簡単な南京錠くらいなら開けられるけど」

 そういう奴が少し興味を持って解錠に取り組んでるうちに、錠前破りになるんだよ。目の前にいる男がいい例だぜ。

 錠の機構メカニズムが見えているが、頭の中に入っているので見る必要はない。ただ、ダイヤル錠の番号がなぜあれほど入手しやすかったかについては興味がある。

 見ると、ディスクの切り欠きが揃ったことを検知するためのピンが付いている。ピンはごく弱いバネでディスクに押し当てられているのだが、注意していればこのピンが動いたかどうかがディスクを回す指に伝わってくるということだ。

 通常は切り欠きが揃ったときに後部フェンスが動く仕組みになっているのだが、金庫全体としては錠が開いた順序を管理する必要があるので、後部フェンスを動かす前に切り欠きが揃ったことを検知しなければならない。そのために付け加えられた機構だろうが、却って錠が開けやすくなってしまっている。

 トレード・オフだが、どちらが開けられにくいのかは俺の関知するところではない。ただ、そういう機構を知った上でディスクを回すと、番号がより入手しやすい。慣れたら1分くらいで開けられるかもしれない。

「君はどういう役割なんだ?」

 俺はソファーに腰掛けて錠をいじっているのだが、アルビナはソファーの上に寝転がって、足を肘掛けの上に投げ出し、頭を俺の方に向けて、俺の手元を笑顔で見ている。仰向けになっていても袖無しスリーヴレスシャツの胸は形良く盛り上がっている。北欧の地球儀を思い出す。

「あたしがうっかり口を滑らすと思う?」

「確率はゼロじゃないと思うね」

「いいわよ、核心のことじゃないし、教えてあげるわ。私は機械類を作ったり改造したりする工作屋アルティジャーナ。車の運転もするわよ。昨日の私のドライヴ、楽しんでくれたでしょ?」

「ああ、目隠しされてなければもっとよかった。ところで、ここはどこなんだ?」

「ソレントの近く。それ以上は教えてあげない」

「それでヴァローネ・デイ・ムリーニの近くにいたのか」

 あの時は何をしに来ていたのだろう。俺を見張っていたのか? しかし、なぜその時に声をかけず、夜になってからサレルノに来たんだ。

「そんなところね。あの時、食事に誘ってくれてたら、あなたに付いて行っちゃったかもしれないわ」

「そいつは惜しいことをした。錠を開けるのは得意でも、女の心を覗くのは苦手でね。これ、番号変えてくれ」

「道具を取ってくるわ」

 ソファーから起き上がって部屋を出て行ったが、すぐに工具袋を手に戻ってきた。そしてソファーに座って俺にもたれながら、工具でダイヤル錠をいじっている。いやに馴れ馴れしい。きっと女の魅力で俺を油断させようと思っているのに違いない。あるいは逃げ出さないように惹き付けておくとか。油断も逃げもしないが、魅力はありがたく満喫しておく。

 シリンダー錠は外された状態だととても開けにくい。ピックを使うには両手がいるので、錠自体はどこかに固定されていないといけないからだ。それをアルビナに言うと、「材料がないわ。後で町へ行ったときに買ってくる」だった。

「買い物に行くのか」

「食料の調達。昼に何か食べたいものある? アンナが作ってくれるんだけど、ものすごくおいしいの! あなた、彼女の手料理を食べたことは?」

 俺は彼女が料理を喰ってるところしか見たことがないな。しかし、彼女は万能人間ヴァーサタイラーに違いないから、料理だってできるだろう。

「俺はそれほど彼女と親しくないんだ。買い物には君と彼女が行くのか?」

「いいえ、私だけ。私が出て行ってる間は、彼女があなたの相手をしてくれると思うわ。彼女、指先が器用だから、錠前だっていじれるでしょ」

「ずいぶんと彼女を信用してるんだな」

「信用ってほどじゃないわ。でも、無口だけど物腰は柔らかいし、性格は悪くなさそうだし、何より“使えそう”って感じがするからよ」

 そうやって彼女を信用して、何人が裏切られたんだろうな。余計なことは言わないけどさ。

「俺のことはまだ信用してくれてないみたいだな」

「だって、あなた、まだ仲間じゃないもの。でも、あたしは個人的にあなたのこと気に入ってるわよ。特にあなたの身体。私、そういう使える筋肉が好きなの」

 こういうタイプの女は仮想世界にやけに多い気がする。現実にはさほど多くないので、そのギャップにうんざりしてきた。

「俺が四つの錠を3分以内に開けることができたら、仲間になるわけだ」

「それは重要な条件だけど、それだけじゃないわ。あなたの身元がよく判らないから、調査してるところよ」

「そういうのは本人に言うものなのかね」

「隠しても仕方ないでしょ。そういうの、やることは判りきってるんだから」

「そもそも、君たちは何をしようとしてるんだ?」

「仲間になったらもちろん教えるわ。そのためには解錠の訓練よ」

 それはだいぶ慣れてきた。話をしながらでも、指を動かすことはできる。解錠は指の感覚でやるものだからな。

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