#11:第4日 (5) 行き当たりばったり

 部屋を出て、受付へ行く。さっき俺を冷たくあしらった男のスタッフが、チェックアウトする客の相手をしている。その合間を見つけて声をかける。

「はい、何でしょう?」

 笑顔が硬い。もしかしたら、俺のことでエリンに何か注意されたのかもしれない。ビスモという町について知りたいと言ってみる。

「ビスモですか。ああ、ここの北にある。小さな町でして、その割に大きな工場があるのですが……」

 そう言いながら、あたふたと何かを探している。山小屋ではないのに、何か資料があるのだろうか。と思っていると、薄っぺらいリーフレットを出してきた。

「町の人口は少ないのですが、宿泊場所は多いです。山小屋ヒッタ形式のホテルが三つと、オート・キャンプ場があります。スカウトがキャンプによく利用するのですよ。他には、国際規格の陸上競技場と、スイミング・プールがあります。スポーツのトレーニング・キャンプにも使われているようです。観光名所は、あー……ムースの墓」

 男はそう言って曖昧な表情で笑った。質問されたから答えたけれども、そんなところに何の用があるんだと思っているのかもしれない。俺だってそこでいいのかどうか判らない。

「ここからの距離は?」

「距離? あー、ちょっと待って下さい」

 そう言ってタブレットで調べ始めた。携帯端末ガジェットが使えれば自分で調べるんだがね。今は紙の地図しか持たされてないからな。ただ、ざっと見たところ30マイル以上はあると思ってるんだが。

「62キロメートルくらいですね」

 40マイル近くあるじゃないか。とても歩けねえよ。

「ここからですと、9時半のバスに乗って、途中のロムで降りて、そこからタクシーを使えば、昼前には着きますよ」

 そうか、ここは道路が通じてるから、バスと車が使えるんだった。しかし、考える時間が少なすぎる。

「9時半の次は……」

「ありません。1日1本です。逃したら、フォスベルゴムからタクシーを呼ぶしかありませんね。あるいは、これから車で帰る人に乗せてもらうか」

 とりあえず、バスのチケットを購入する。季節外れオフ・シーズンなので予約なしでも乗れるくらいですよ、と言われた。9時半に出て、10時35分に着く。

 ちなみにロムというバス停はフォスベルゴムにあるらしい。フォスベルゴムも小さい町だが、教会や美術館があるそうだ。たぶん、行かないと思うが。

 時計を見る。もう9時前じゃないか。こんなことで小一時間も使ったのか。9時半までに、バスに乗るかどうかを決めなければいけない。とどめになるヒントがあればいいんだが。

 レストランへ行く。客は結構多い。おそらく、バスの時間待ちに、飲み食いしているのだろう。朝からビールを飲んでいる連中もいる。俺にはとても真似できない。

 念のために、グリーグの本を探す。ただし、そこにあると言われた本棚だけ。しかし、やはりなかった。

 談話室へ行く。飲み食いしない連中がいる。TVが点いているが、そこにヒントがあるとは思えない。図書室は人影もまばら。3人しかいない。いずれも女。しかも若そうな女ばかり。今さら声をかける気にはならない。向こうからぶつかってくれば別だが。

失礼ウンシル・マイ、そこをどいて下さらない?」

 後ろから女の声がかかった。ぶつかるのを回避されてしまったようだ。そういうつもりで通路を塞いでいたわけではないのだが。

「やあ、すまないマイ・バッド

 振り返ると、アッシュ・ブロンドのボブ・カットに、ウェリントン型の眼鏡の女が、知的な笑みを浮かべながら立っていた。早くそこをどけ、という感じで、何となく小馬鹿にされているような気もするが、たぶん俺の気にしすぎだろう。なかなか均整の取れた身体付きだ。何となく、力強そう。

 避けると「ありがとうタック」と軽く言い、空いている席に座って本を読み始めた。ぶつかっていても、仲良くなれそうにないタイプだ。

 そしてこんなことをしているからどんどん時間が過ぎ去る。受付に戻ると大混雑だった。バスに乗る客がチェックアウトをしているからだろう。山カードで全部精算できるはずなのに、どうしてこんなに混雑するのか判らない。でも、俺もチェックアウトしておいた方がいいかな。

 部屋に戻ってリュックサックを取ってくる。受付の後ろの方で機会をうかがっていると、「おはようございますグ・モーン、ヘル・ナイト」と声をかけられた。ここにいるとたびたびエリンに見つかるが、俺のことを見張ってるんじゃあるまいな。

「チェックアウトですか? でしたら、手続きは不要ですわ。私が憶えておきますから」

 不当な請求をされても誰も困らないから、それでいいか。

「そうか、それは助かる」

「これからどちらへ?」

「フォスベルゴムだ。町が恋しくなってね。フォスヘイムにでも泊まろうと思う」

 ビスモへ行くというと余計なことを詮索されそうなので、ごまかしておく。

「あら、そうでしたか。バスをご利用ですか? チケットは?」

「もう購入したよ」

「次にいらっしゃるときは長期間の滞在を予定して下さると嬉しいですわ」

「考えておくよ」

 握手をして別れを告げる。ここでの登場人物は全てあっさりしていたので本当に助かった。痴女もいなかったし。

 外へ出ると、大型バスが停まっていた。行き先を見ると"Beitostølen"となっている。どこへ行くのか判らないが、来るバスは一日一本だから、これでいいのだろう。

 乗ると、後ろの方にカーリたちがいる。ニーナとヘイディが並んで座り、カーリは少し離れて一人で座っている。ヘイディが俺に気付いて声をかけてきた。

「あら、アーティー! キルキャ山に登るって言ってなかった?」

「ちょっと気が変わった。いつもこんな感じで行き当たりばったりハップハザードに移動してるんだ」

 ニーナたちは湖を一周すると言っていたが、先に乗っていたということは俺より先にチェックアウトしたということになる。いつしたんだろう。朝食の前だとすると、カーリだけはそんな時間はなかったはずだから、後でチェックアウトして、席が離れてしまったんだろう。早めの朝食に誘ったのは悪いことをしたかもしれない。

「カーリ、隣、いいか?」

 そのカーリに声をかける。「ひうっ」という音がして、怯えたような、それでいてうっとりとしたような視線で俺を見てから、小さい声で「どうぞ」と言った。

 座ると、半フィートどころか半インチまで距離が縮まった。この近さとこの角度で見ると、カーリは最初の印象を遙かに上回る美形だということが判った。

 眼鏡だけが惜しい。もっと似合う形のにしてくれないものか。いや、今さら変えても遅すぎるし、変えたからどうするというわけでもないけれども。

「どこまで乗るんだ?」

「終点までです……そこで乗り換えて、ファゲルネスでもう一度乗り換えて……」

「バスに長時間乗るのは平気か?」

「寝ようと思ってましたが……」

「そうか、寝不足だからな。寝るなら、俺にもたれてくれても構わないぞ」

「ひうっ……あの、ヘル・ナイト、あなたははどこまで……」

「アーティーと呼んでくれたら答えるよ」

「では、あの……アーティー、あなたははどこまで乗るのですか?」

「ロムだ。だから1時間後に降りる」

「そうなのですか……」

 しょんぼりしているが、これは消極的なキー・パーソンに特有の反応だな。積極的なキー・パーソンは自分の行くところへ誘おうとする。

 バスが出発し、山小屋前の狭い広場で転回したので、遠心力でカーリが俺の方へもたれかかってきた。胸の膨らみによる圧迫が半端ない。髪からはミント系の香りが立ち上ってくる。

「あの、失礼しました、ヘル・ナイト……」

「アーティーだ」

 バスが北へ向けて走り始めたら、ビスモの町を知っているか、カーリに訊いてみた。

「聞いたことがありません……そこへ行かれるのですか?」

「そうしようと思っている」

「何があるのですか?」

「何もなさそうだから行ってみようと思って」

「はあ……」

 カーリは呆れるかと思ったら、さっきの続きでうっとりした目をしている。

「羨ましいです……私も、そんな旅行を……」

 俺も好きでやっているわけではないが、そういう目をされると付いて来るかと言いたくなる。しかし、女に付いて行かない俺が女を誘うというのもおかしな話なので、言わない。そうすると、ビスモのこともしゃべれない。自然と、カーリの趣味の、音楽の話になる。

 いろんな国の歌を聴いていると、少しだけだが外国語が憶えられて楽しいと言う。ヨーロッパは違う言語の国がたくさん隣接しているから、自然と外国語に興味を持つんだろう。

 そうして話しているうちに、カーリの表情が生き生きとしてくる。眼鏡の野暮ったさが本当に惜しくて、外して素顔を見せてくれないかと頼みたくなった。

 1時間経って、俺がバスを降りるときにさよならを言うと、カーリは本当に寂しそうにしていた。ニーナとヘイディはもちろん笑顔。「来年も同じ時期に来る?」などと言っていた。

 ロムでバスを降りたのは意外と多くて、十数名。彼らがどこへ行こうとしているのかは判らない。もしかしたら、フォスヘイムへ行くのかもしれない。俺はもちろん、ビスモへ向かう。

 タクシーを探してもいいが、たかだか10マイルほどだし、まだ10時半なので、歩こうと思う。その前にこの町で早めの昼食を摂った方がいいだろう。ビッティーを呼び出して聞きたいが、町なので人目がありすぎる。どこか隠れるところはないだろうか。

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