ステージ#10:第2日

#10:第2日 (1) 美しい遭難者

  第2日


 前夜、7時なんていう早い時間に寝たものだから、最初に目が覚めたのは夜中の2時だった。腕時計を照らす懐中電灯フラッシュ・ライトの明かりが眩し過ぎた。

 耳を澄ますと、外の風の音が聞こえる。時間的に考えて、嵐が治まりかけているのだと思うが、よく判らない。

 もう一度寝て、次に起きたら5時だった。砂の上で寝るのは、学生時代の放浪旅行で野宿して以来だが、意外と気持ちいいものだ。砂の質がいいせいかもしれない。しかし、こんな状況に慣れるのはあまり嬉しくない。ステージ終了までに、普通のベッドで寝られるようになることを望む。絶対この島から抜け出すシナリオがあるはずだからな。

 クルーザーから持ち出してきたカップと水のボトルを持って、洞窟の外に出る。東の水平線の果てが、ほんの僅か明るくなり始めている。浜辺で夜明けのコーヒーを、と行きたいところだが、あいにく湯を沸かす用意がない。ライターは持っているが、昨日は枯れ木を集めるようなことはしなかったし、何よりポットやかんケトルもない。

 足下が見えるほど明るくなるのを待ってから、砂浜に降りる。ポート・ダグラスの海でも朝焼けを見た気がするが、やはり朝の浜辺というのは気持ちいい。まだ少し風があるようだが、そのせいで波の音が大きいのがまたいい。デッキ・チェアーにでも座って、寄せては返す波をしばらく眺めていたいくらいだね。隣に恋人がいればなおいい。

 水を一口飲んでから、砂浜の端に向かってゆっくりと歩き出す。昨夜の嵐で、クルーザーがどうなったのか気になる。波にさらわれて、転覆していなければいいが。

 端まで来て、クルーザーがあった辺りに目をやる。黒い崖にもたれかかっているはずの白い船体が、見えない。まさか。

 東の空が赤く染まってきて、崖の輪郭までよく見えるようになったが、やはりクルーザーはなかった。波に持って行かれたのか?

 沖の方に目を移す。昨日まで岩がなかったはずのところに、大きな岩が転がっている。いや、岩じゃない、横倒しになったクルーザーだって! なんてこったいイッツ・サン・オヴ・ア・ガン、これでもう、あそこから物を持ち出すことはできなくなった。

 それでも、必要な物資はたいがい持ち出したはずだから、不幸中の幸いだ。もし今日でもいいやと考えていたら、飢え死にするところだった。あの状態でも無理すれば、非常食の持ち出しくらいはできるだろうけどさ。

 しかし、座礁していたクルーザーが転覆するほどの嵐だったというのに、島の方は何も被害がないのかねえ。木の葉が砂浜にも大量に散乱していたのは見えてるけど。何か他の物が流れ着いているかもしれないな。もう少し明るくなってから探索するか。

 木にくくりつけておいたボートが風で吹っ飛ばされてないことを確認し、洞窟に戻って、缶詰フルーツの朝食を摂る。

 陽が昇りきるのを待ってから、ロープとショヴェルを持って、また砂浜に出る。もし漂着物があれば、これらが役に立ちそうだ。

 明るくなった空の下で、もう一度クルーザーの状況を確認する。昨日、座礁していた位置からは200ヤードほども離れた沖の方で、こちらに船底を向けるようにして横たわっている。半分以上水没しているが、今がだいたい引き潮の時間帯のはずだから、満潮になればほぼ全部水没するだろうと思われる。

 夜の間はずっと水没していただろうから、もう絶対に使い物にならないな。俺のじゃないからどうでもいいことだが。

 砂浜を北へ向かって歩く。クルーザーからの漂着物はなさそう。流木すらない。そもそも、流木は他の陸地に近いから漂着するのであって、こんな絶海の孤島に流れ着くことは少ないのだろう。

 途中で、昨日見つけた山の登り口の状況を確かめる。手前の、階段状になった方は何も問題なし。もう一方の、北の端に近い方も問題なし。

 朝焼けが消えて日の光がすっかり白くなったが、島の西側に回ると、まだ山の陰になっていて暗い。しかし、漂着物を発見。白い砂浜に、オレンジの……いや、あれ、救命胴衣ライフ・ジャケットだろ。人だぜ、人! 女! 髪が黒くて長い、大人の女!

 どっから流れ着いたんだよ、また船でも座礁したのか? とりあえず、駆け寄って身体に触る。濡れて冷たいが、たぶんまだ生きているだろう。

 仰向けにする。うん、息はあるし、脈もある。肌が浅黒くて、顔の血色がいいのか悪いのかがよく判らないけれども。それにしても美形だな。ラテン系? 気絶してるのにこれだけ美形ってどういうことだよ。いや、人を助けるのに、美形かそうでないかなんて全く関係ないんだけど。

おいヘイ大丈夫かアー・ユー・オーケイ! おいヘイ!」

 息があるということは水をそれほど飲んではいないはずで、人工呼吸は必要ない。マウス・トゥ・マウスの人工呼吸を実践してみたかったという気はするけれども。

 とにかく、意識を取り戻すには、ひたすら呼びかけたり身体に刺激を与えたりすることが必要だ。しかし顔をひっぱたくのはどうにも憚られるので、救命胴衣ライフ・ジャケットの前を開けて、いや、開けたのはまずかった、服が白くて全部透けてるよ。何てすごい曲線。

 それはさておき、とにかく大丈夫かアー・ユー・オーケイ大丈夫かアー・ユー・オーケイと声をかけながら、鎖骨の辺りを拳で軽く叩き続ける。美人の表情が少し歪んだ。うん、気が付いたな。

 声かけと叩くのをやめて、顔を覗き込む。眉根を寄せた苦しげな表情が、少しずつ穏やかになってきて、やがてうっすらと目を開けた。

おいヘイ大丈夫かアー・ユー・オーケイしっかりしろキープ・ユア・センス

「あ……」

 美人はまだ意識朦朧という感じで、細目で俺の方を見ていたが、急に目を見開くと、俺のことを突き飛ばして、悶え始めた。いや、後ずさりしようとしてるのかな。

「ノ・ベンガス! ノ・ベンガス!」

 どこの国の言葉か判らないが、自動翻訳されない。どうやらステージの既定の言語ではないらしい。スペイン語っぽく聞こえるんだがなあ。

 しかし、せっかく助けてやったのに抵抗されたのでは引き下がるしかない。悶える美人から10ヤードほど遠ざかって、砂の上に座り込む。美人は横たわったまま、驚きの表情で俺のことを見ている。せっかくお望みどおり離れたのに、そんな表情しなくても。

 美人はゆるゆると起き上がると、砂の上に座り込み、辺りを何度か見回してから、小さな声で言った。

「あの、申し訳ありません……ここは、どこですか?」

 またそんな、答えにくい質問をする。俺が訊きたいくらいだっての。いや待てよ、英語を喋ってるぞ。少し訛りはあるが、英国式ブリティッシュの発音だ。じゃあ、さっきの言葉は何だったんだろう。

「残念だが、知らないんだ。俺も昨日、ここに漂着してね。君はどうしたんだ。船にでも乗っていて遭難したのか?」

「私は……いいえ、飛行機で……」

 美人はそう言いかけたが、はっとした表情になって、腰を浮かせかけた。が、脚に力が入らないのか、立ち上がることができない。まさか、脚を怪我してるんじゃないだろうな。救急箱ファースト・エイド・キットは一応船から持ち出してきたが、骨折だの捻挫だのは治療できないぞ。

「どうした?」

お嬢様マイ・レディー! お嬢様マイ・レディーはどこです!?」

「俺が最初に見つけたのは君で、この砂浜の向こうの方は、まだ探してないが……」

お嬢様マイ・レディー!」

 美人はようやく立ち上がると、脚をもつれさせながら砂浜を駆け出した。長いスカートが、濡れて長い脚にまとわりついて、走りにくそうだ。俺も追いかけながら砂浜を見渡すが、人が打ち上げられている様子はない。砂浜の端までは見えないが。

お嬢様マイ・レディー! お嬢様マイ・レディー!」

 もちろん、海の方も見る。目の前の美人は運良く砂浜に打ち上げられていたが、まだ波打ち際に転がってたり、沖の方に浮いてたりするかもしれない。目印はオレンジ色の救命胴衣ライフ・ジャケットだ。美人があれを着てるんだから、もう一人だって着てるだろう。

 しかし、見つからないまま、砂浜の端に来てしまった。あっちの岩場の方に浮いているかもしれない。運が悪ければ怪我をしてるだろう。それ以上に悪いことはあまり考えたくないが。

お嬢様マイ・レディー……」

「その、お嬢様マイ・レディーってのは少女ガール? 成人女性ウーマン? もっと年上?」

 別に、年齢によって一生懸命探したり、やる気をなくしたりするわけじゃないが、見つけるときの目安にはなる。

少女ガール……17歳です」

「あれは?」

 沖の、海から突き出した岩を指差す。美人がそちらを振り向く。岩の上に、オレンジ色の救命胴衣ライフ・ジャケットをまとわりつかせた、それらしい物体がへばりついている。いや、物体は失礼か。

 しかし、身体のうちの半分くらいしか見えていないから、子供なのかどうかすらよく判らない。それにしても、よくもまあ、あんなところにうまく打ち上げられたものだ。さすがは架空世界のシナリオ。

お嬢様マイ・レディー!」

 美人がそちらの方へ向かって走り出す。濡れるのも構わず海に駆け込むが、いや、はなから全身びしょ濡れだからどうだっていいのだろうが、荒い波に足を取られて転んでしまった。

お嬢様マイ・レディー!」

 転んでもまだ叫んでる。忠義なものだ。さて、どうするかな。いやまあ、助けるんだけどね。考えてるのは、ボートを持って来た方がいいかどうか。でも、この荒い波じゃあ、ボートが流された弾みで俺も海に落ちたりするよなあ。やっぱり歩いて行くか。

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