#10:第1日 (2) 遭難したクルーザー
クルーザーに背を向けて砂浜を50ヤードほど戻り、ここからも登れそうと目を付けていた茂みの合間から、急斜面を登り始める。先ほどとは違って全く“道”らしきものはないが、岩の出っ張りや、木の根元を足がかりにして何とか登っていける。逆に降りるときは苦労しそうだが、それは考えないでおく。
右へ右へと、クルーザーから離れる方向にしか登れないが、少し勾配が緩やかになったところまで来ると方向転換して、そこから山の稜線まではすぐに登れた。
振り返って、クルーザーを見る。まばらに木が生えた岩場の絶壁にもたれかかるようにして泊まっている。ぴったりくっついているのではなく、1、2ヤードほど離れているようだが、やはり崖の上からなら飛び込めそうだ。
山は、稜線が少しくびれながら細い帯のように続いて、そのまま海へと落ち込んでいるのが判る。稜にはさほど木が生えていないので、クルーザーまでの足場はありそうだ。ただし、道のようなものは見えないので、本当にたどり着けるのかどうか。
木々の隙間を縫うようにして100ヤードほど歩く。そのうちに木が減って、山肌から岩がかなり露出してきたな、と思ったら、いきなり高さ10フィートほどの崖があった。
これくらいの高さを飛び降りるのはわけないが、いったん降りてしまうと戻れなくなりそう。とはいえ、そうなっても最悪は砂浜か海へ飛び降りればいいだけだから、気にしないでおく。
ただ、本当に飛び降りると、下が凸凹な岩場だけに、着地で足をくじく可能性もある。なるべく飛び降りずに済ませたい。そこで、後ろ向きになって壁にしがみつきながら、少しずつ降りる。それでも最後の3フィートほどは足をかけるところがなくなって、飛び降りざるを得なかった。
そこからは楽なもので、まばらな木々の間にだらだらと続く岩の坂を下りると、崖の下にクルーザーが見えるところまで来た。
崖といってもすぐ縁まで木が生えているから、下を覗くにも怖くはなく、高さも40フィートほどだ。しかし、岩に捕まりながらあと20フィートほどは降りられるにしても、そこからクルーザーまではやはり飛び降りなければならないだろう。
そして、いったんクルーザーに飛び移ってしまうと、もう崖上には戻れないに違いない。だとしても、クルーザーの中には救命ボートなんかもあるだろうし、それを使えば砂浜へ戻れるだろう、と期待する。遭難者が救命ボートを使ってしまっていても、浮き輪かその代わりになる物さえあれば大丈夫だ。
岩に掴まりながら崖を降り、
着地の衝撃でクルーザーが傾いたらという心配がないでもなかったが、特に何ということもなかった。むしろ揺れることすらなく、“しっかりと”座礁してくれていたのがよかったのだろう。
さて、クルーザーの中の探索。とりあえずフロント・グラス越しに
クルーザーはなかなか豪華な仕様で、床は木張り、
だが残念なことに、色艶のいい木張りの
乗っていた奴らは結局どうなったんだろう。島にはいないと思うが。
……いや、待てよ、もしかしてこのクルーザーの持ち主は俺で、遭難したのは俺って設定になってるのか? だとしたら、どうしてステージ開始時に、いつもの鞄だけ持って砂浜に立ってたんだ? だいたい、俺がいくら金持ちになったって、こんなクルーザーなんか買うもんか。泳げもしないのに。
それはさておき、非常食探しだな。キッチン周りの戸棚の他に、シートやベッドの下の、収納スペースとして使えそうなところを探し回る。缶詰やレトルト食品、それに水のタンクが大量に出て来た。それから、通常の食事用に用意されたのであろうパンやハム、酒類にジュース類、それに少々の菓子とフルーツ。1週間、俺一人では消費しきれないほどだな。
このクルーザーの持ち主は感心なことに、遭難したときのことをちゃんと想定していたらしい。俺ならせいぜい3日分くらいしか用意してなかっただろう。
さて、これを勝手に持って行くと窃盗行為なのだが、非常食だし、今は俺にとっては非常事態なので、必要なだけ分けてもらうぶんには問題ないと考える。無断で、というのが心苦しいが、書き置きをしようにも紙もペンもないし、持ち主が戻ってきたら事後承諾で許してもらおうか。
このクルーザーを寝泊まりするところにしてしまえば持ち出さなくていいのだが、船内は見たまんまの散らかり様だし、何かの弾みで転覆するかもしれない。幸い、
持って行く物資は、7日分の食糧に水だ。水は1日に半ガロンは必要といわれるが、ここは暑いから1日1ガロンと見ておいた方がいいだろう。だから5ガロンのタンクを二つ。
ただ、注意しなければならないのは、後からキー・パーソンが現れるかもしれない、ということだ。そいつが船に乗って現れるとは限らない。即ち俺のように“遭難状態で”現れるかもしれないので、その分を予備として確保しておく必要がある。
何人現れるか判らないのが難点だが、とりあえず他に二人分を確保することにしよう。それ以上現れたら、またここに取りに来ればいい。で、その他に……
待てよ、この非常食といい、水のタンクといい、どうもすんなり中身が判ると思ったら、英語が書いてあるじゃないか。おまけに、"made in USA"だと! じゃあ、ここは合衆国の近くなのか? マイアミの沖か、メキシコ湾か。
いずれにせよ、こんな絶海の孤島が合衆国の領海にあるとは思えない。その近辺、例えばバハマとかキューバとかじゃないのか。ただ、それが判ったところで、この島から脱出する方法がなきゃあ意味がないし、合衆国に帰れたからどうなるってものでもないんだが。
気を取り直して、糧食以外の装備品の確保だ。ロープ、ライト、双眼鏡、コンパス、バケツ。タオルと、濡れていない予備のブランケットも見つけた。工具類も一応持って行くか。
だけど、どうして地図や海図がないんだよ、
ついでに通信機も調べてみたが、バッテリーが上がってしまっている。探せば予備のバッテリーがあるかもしれないが、俺はこの世界で通信機を使うことができないという仕様の人間なので、きっと無駄に終わるだろう。
それから……釣り用品はないのかよ。別に釣りをしたいわけじゃないが、
さて、
装備品でないものはせいぜい着替えくらい。他に暇つぶしの道具はおろか、本一冊、メモ一枚すらない。座礁してここから退去したときに、服以外の私物はみんな持って行ったのだろうか。
持ち主の素性を示すような痕跡すらなく、判っているのは、男と女が一人ずつ乗っていた、ということくらいだ。残された服から見て、男は俺より背が高くて脚も長く、女は背が低いわりに胸が大きいのだが、それはまあどうでもいいとして。
恋人か夫婦ならキャビンに写真の一枚も飾っているだろうに、それすらない。壁に掛かっていたであろう額が床に落ちていたが、入っていた絵はアンドリュー・ワイエスの『クリスティーナの世界』の模写だった。裏を外したら秘密の手紙か宝の地図でも入っているかと思ったが、それもない。
二人はこんな辺境の孤島まで何をしに来たのだろう。ヴァケイションかねえ。しかし、本当に何もないな。カレンダーくらい置いといてくれればいいのに。今が何年何月かということすら判らないとは。
まあ、誰もいないところで文句を言っても仕方ない。そろそろ物資を浜へ運ぶか。おっと、もう昼だから、ここで食事をしていこう。持って行くのを忘れているものが思い付くかもしれないし。
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