#9:第7日 (9) VSC
階段の上からどよめきのような声が微かに降りて来た。レースが始まったのに違いない。カウンティング・チームの方も本格的に何かやって来そうだ。ディーラーが交代するとCSMを使うのでカウントがリセットされているだろうが、ブラックジャックは客側の選択を速くするとどんどん勝負が進むから、短い時間の間に何度も勝つチャンスが発生する。
ロキサーヌと別れ、賭場を見回るうちに、フィーからメッセージが入ってきた。
「個人が活動、声かけ開始」
囮だと思っていた、個人のカウンティングの連中が動き出したようだ。奴らが来たのはディーラーやサーヴェイランス・チームの注意を引きつけるためだけと思っていたのだが、違うのか?
声かけ? そうか、カウンティングしている奴は警備員に別室へ連れて行かれて注意されて……しかし、個人の連中は14人もいたんだから、そいつらがみんな同時にカウンティングをやり始めたら、警備員の手が足りなく……おいおいおい! まさかそれが目的か!?
アクセス・ポイントを大量に持ち込んだり、囮を大量に連れてきたりしたのは、物量作戦ってことかよ! 別室に連れて行かれた連中も、証拠を出せとか言っていろいろごねるだろうから、サーヴェイランス・チームだって手が足りなくなるぜ。
こうなったら、アクセス・ポイントを一つでも多く発見して、通信をやりにくくするくらいしか手がないぞ。それには“不正規隊”たちの捜索効率を上げる必要がある。今は適当にフロア内を歩いて“不審な”客に声かけをしているが、通信に適した場所というのは限られているはずで、そこを重点的に見張る方がいい。
彼女たちを探し――目立つ服装をしてくれているのが更にありがたいのだが――、怪しい客を発見した位置を聞いて、フロア略図の上にプロットしていく。が、五つや六つの点では傾向が現れてこない。
では、俺ならどこに配置するか? エドガー・アラン・ポーは『盗まれた手紙』の中で、そういう推理をする時は相手の知力に自分の知力を合致させると書いていた気がするが、何しろ相手はMITで、俺より遙かに知力のある連中だから、合致させるのは容易じゃない。
俺の論文に書かれた理論が応用できるのならありがたいのだが、タイトルを思い返してみても使えそうものがない。全くうまくできてないシナリオだな。フェイトン教授に意見を聞いてみたいところだが、彼は今、どこにいるんだろう。
またフィーからメッセージが来た。
「個人、2、3、4人目に声かけ」
まずいな、本格的にこちらの手を足りなくするつもりらしいぞ。またメッセージだ。今度はワテレ主任から。「人手不足につき不正規隊を呼び戻したし」。当然、そうなるか。しかし、不正規隊といっても彼女たちのやってることも大事なんだがな。呼び戻すのは昼勤の3人だけにして欲しいと返事し、これは了解してもらった。が、そのすぐ後でカロリーヌからメッセージが来た。
「断ってはいけないのですか? 私は不正規隊の仕事の方がやりたいです!」
しかし、あっちは主任で、こっちは臨時の副主任だぜ。命令系統の上位から来る指令なんだから仕方ないだろうよ。彼女も解ってるはずだろうに。
とにかく、ワテレ主任の指示に従うよう説得。カロリーヌ、アンヌ、エリザがいなくなって、残る不正規隊は4人になった。これでアクセス・ポイントを探すのはいかにも少なすぎる。しかも警備員の3人、ミレーヌ、ペリーヌ、ティファは本来なら寝ているはずの時間で、そろそろ眠気と疲労もピークだろう。
それでもようやく、他に3人だけは摘発した。3時前、3階の一角に不正規隊を集めたが、ミレーヌすら元気がない。
「相手も君たちのことに気付いて、先に逃げたりしているだろうから、今までと同じ方法ではもう見つけることができないと思う」
「では、どうやって……」
「まだ考えつかない。だから、しばらく休んでいてくれないか」
「そんな……」
ミレーヌがしょんぼりとうなだれる。全ては俺の知力不足のせいで、申し訳ないことだ。
メッセージが入った。フィーからだ。
「団体により多くのテーブルで被害が出た模様。規模不明」
やられたか。解ってるけど、止められないパターンにはまってるな。その前の報告では、個人の連中が次々に“声かけ”されていたとのことだった。こうなるとやはりカウンティングをしている首謀者を探し当てないといけないのだが、どこにいるんだ。
このまま放っておいたら、どれだけ被害が出るかわかったものじゃない。相手もロボットじゃないんで、今日のどこかの時点でやめることは解っているが、それがいつなのかすら解らないし。
「あっ……」
ロキサーヌが声を上げて階段の下を覗き込む。またカウボーイ・ハットの関係者を見かけたのだろう。俺の顔を見て、少し躊躇していたが、頷いてやると踊り場まで駆け下りていった。そこから手すり越しに下を覗き込む。だが、もうそれ以上追いかけようとはせず、立ち尽くしたままだった。
「さっきと同じ男か」
「はい……」
「逃げたのか」
「はい、私たちがここにいるのを見て、階段を上がってくるのをやめたように思います……」
何らかの用があって戻って来たのだろうし、ずっと戻らないわけにもいかないだろうから、このままここで待ち続けるという手はある。だが、誰に会いに来たのか?
キャバレーに、カウボーイ・ハットはいないはずだ。しかし、確かめたわけではないし、もちろん変装していれば入り込むことはできるだろう。だが、奴が中にいる理由がない。
レースが気になるのなら、コース脇にでも行けばいい。奴には金持ちのパトロンが付いてるんだから、チケットを入手して観客席に入り込むことだって可能だろう。じゃあ、誰がキャバレーにいるんだ? 奴の仲間……カウンティング関係者? あれ? ええ、おい!
「あの、アーティー
ミレーヌが声をかけてきた。俺が間抜け面をして階段の上を見ていたからだろう。間抜けだよ、本当に大間抜けだ。こんなに都合のいい場所を見逃してるなんて!
「やっぱり君たちは休んでいてくれ」
「どうしてです? アーティー
「俺はカウンティングの首謀者を探しに行く。きっとキャバレーにいるはずだ」
「私も行きます!」
4人を引き連れて階段を上がる。キャバレーの扉は閉まっていて、その前に係員が入る。出入りする人間のチケットを確かめているのだろう。そいつに事情を話し、中に入れてもらう。こういう時にコレットからもらった肩書きは便利だ。ただし、仮装した4人の美少女たちを見て、係員は愕然としていた。
中に入ると、大音響でエンジンの
左はどうやら放送用映像で、右はジャンヌだけを映しているようだ。下の文字ばかりの画面には、順位やらラップ・タイムやら、各車のスピードやらが並んでいる。心拍計まであるが、そんなものまでテレメトリーされているわけだ。
そしてジャンヌの現在の順位は、何と10位。予選よりも上げている。道理で会場内の熱気がすごいはずだ。
それはさておき係員に、会場にラップトップなどを持ち込んでいいのかを訊くと、「もちろんです」とのこと。前に表示されている情報だけでなく、レース主催者が配信している情報や、カジノで独自に編集している情報を見ながら楽しむことができるそうだ。
であれば、一見、レースに関係なさそうな映像や数字の羅列を見ていたって、誰も気付かないに違いない。カウンティングには最適の場所だ!
だが、ここには何百人も客がいるのだから、その中からカウンティングをやっている奴を探し出すのは至難の業だ。全ての客に対して、今見ているのは何の情報かを訊いて回るわけにはいかない。かといって、何もしないわけにもいかない。
とにかく、係員にも事情を話し、数人に手伝ってもらって客席の間を回る。が、何しろ広い。
だから、それがレースの映像か、はたまたカウンティングのための情報かが、一見しただけでは解らない。一見どころか、後ろに立って30秒眺めていても解らない有様だ。
しかも、ひとところにじっと立っていると邪魔者扱いされる――要するに、前の映像が見えないからどけと言われる――し、これほど手間取っていたら、レースが終わるまでかかっても全員を調べ尽くせない、ということになりそうだ。
突然、会場がどよめく。釣られて俺も前の映像を見る。放送用映像に、コース脇で止まっている車が映し出されている。2台あって、どちらもクラッシュしているようだ。接触したのかもしれない。「またVSCだ」という声が漏れ聞こえる。何のことかよく解らないのだが、映像の片隅で“VSC”の文字が点滅し、各車が減速走行を始めたように見える。
ジャンヌの順位が上がるかもしれない、と言う奴もいる。これも何のことか解らないのだが、そんなことに気を取られている場合じゃない。しかし、どういうわけかほとんどの人間が前の映像に見入っていて、手元のラップトップやタブレットを見ている奴は少ない。つまり、今、手元を覗き込んでいる連中は、レースと関係ない映像を見ている可能性が高い!
だからといって、この間に全員のチェックができるほど時間があるとも思えないのだが、とにかく次々に見て回る。ミレーヌたちも、手伝いの係員たちも、辺りを駆け回っている。後ろからロキサーヌに覗き込まれているのに気付いた客の、驚きの表情は見ものだったが、そんなのを楽しんでいる暇はない。
まだ全体の10分の1も見回っていないが、そろそろVSCが終わりそうだ、という声も聞こえる。順位表をちらりと見たところ、ジャンヌの順位は6位まで上がっていた。なぜそうなったのか、俺には解らない。
けれども、会場がスーパー・ボウルのスタジアムのように盛り上がっているのが感じられる。もちろんここにいる人数はスタジアムなんかよりずっと少ないが、その中の一人か二人の“犯人”を探し出さなければならないのだ。
「
突然、俺の後ろで誰かが叫んだ。ガシャンという音がしたので見ると、手に持っていたタブレットかポータブルのゲーム機を、テーブルに叩き付けたようだ。そして弾かれたように席を立ち、会場の後ろに向かって走って行く。小柄な女だ。
なぜか気になって、女を追う。そいつは会場を出ると、チェックの係員の制止を振り切り、階段へ向かって突っ走る。俺もその後を追う。一段飛ばしで階段を降りる女を、二段飛ばしで追いかけ、3階のフロアを駆け抜ける。
女はものすごい勢いで走っているが、誰にもぶつからない。逆に、こちらは数ヤード後ろを走っているだけなのに、何人もの客にぶつかりそうになる。
しかし、どうやら見失うことなく、一つのテーブルまで辿り着いた。女はそのテーブルの客の間に割り込み、バン!と音がするくらい両手で力いっぱいテーブルを叩きながら、ディーラーに向かって叫んだ。
「
女の剣幕に、ディーラーはすっかり怯えてしまい、しばらく身動きもできないでいたが、俺の顔をちらりと見て安心したのか、ようやく口を開いた。
「あの……何のことでしょうか?」
ディーラーはマーゴだった。
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