#9:第5日 (12) 高みへの挑戦

 オペラの件は遊園地で遊んでいる間に考えておくということにして、逃げるようにタクシーに乗り込んだ。何だ、やっぱりジャンヌと一緒なら乗れるんじゃないか。

 しかし問題は橋で、コスモ橋は今日から渡れなくなっていたが、こちらの橋は……無事渡ることができた。あっけない。やはりキー・パーソンを連れていることが条件なのかな。今さらだが、ここがイル橋だということを知った。

 ループ状になったランプを降り、サンテレーヌ島を南から北まで走り抜けて、遊園地には8分ほどで着いた。“パスポート”は隠しておいて、一日券を2枚買って入場する。ジャンヌはまたサングラスをかけ、赤い髪を帽子で隠しているので、周りからは全く気付かれない。金曜日の夕方だからか、客が多い。若い男女も多い。

「さて、何に乗るんだ。バンパー・カー?」

「まさか。ぶつけられるのは昔も今も好きじゃないのよ」

 言いながらジャンヌはどんどん奥へ歩いて行き、高い塔を指して、「まずは、あれ」と言う。スピラルだ。

「高いところは嫌いなんじゃなかったのか?」

「あなたと一緒なら我慢できるか、試してみようと思って」

「大人しくカルーセルにも乗ってりゃいいのに」

「これも挑戦よ」

 その程度が挑戦かよ。とにかく列に並ぶ。長さはさほどでもない。他のアトラクションよりは短いくらいだ。動きが少ないからだろう。しかも、かなり古めかしい。リーフレットを見ると、1967年の開園当時からある、数少ないアトラクションの一つだとある。

「そうよ、父さんも子供の頃に乗ったことがあるって言ってたわ」

「君の父さんよりもずっと年上だろ」

「そうね。10歳以上。もしかしたら、お祖父さんも子供の頃に乗ってるかも。博覧会EXPOにも行ったことあるらしいから」

 ゴンドラが降りてきたが、並んでいる全員は乗り切れず、俺たちは次の回になった。オレンジのゴンドラが周りながら、ゆっくりと昇っていく。降りてくるまで、所要時間は3分ほどだろう。

「あなたが子供の頃に行った遊園地にも、こんな乗り物ライドあった?」

「あったよ。家から10マイルくらい北にあるグレート・アメリカって遊園地で、スカイ・トレック・タワーって乗り物ライドだったな。これよりもっと支柱が太くて、ゴンドラももっと大きくて、客がたくさん乗れるようになってた」

「こういうファミリー・ライドと、スリル・ライドと、どっちの方が好きだった?」

「さあね、何も考えてなかったから、乗れれば何でもよかったんだよ。速かろうが遅かろうが、高かろうが水をかぶろうが、何でも平気だったし。君は速いのは平気だろうけど、高いのが苦手だから、乗り物ライドの選択には苦労したろう」

「ええ、少しでも宙に浮くのは苦手だったから、観覧車フェリス・ホイールやミニ・レイルも真ん中の席に座って、ずっと遠くだけ見てたわ。好きだったのはバンパー・カーの他はカルーセルとティー・カップと……」

 それなのに、地平を走る乗り物なら時速200マイル出ていても平気ってのは、おかしな話だ。さっき昇ったゴンドラが、ゆっくりと降りてきている。しばらく話をしながら待っていると、ゴンドラが到着して、前の客が出て行き、列が前に進み始める。

 ゴンドラに乗って、狭い通路を進んでいく。椅子はなく、立って乗る形式だ。一応、窓際に手すりはある。窓の方を向いて立つと、ジャンヌが軽く咳払いをした。さりげなく辺りを見回しているが、目が落ち着かない。早くも緊張しているらしい。手に触れてやると、素知らぬ顔で俺の手を掴んできた。

 ドアが閉まって、ゴンドラが上がり始める。ジャンヌが息を呑む。最初は回転せず真っ直ぐ上がり、10フィートほど浮いたところでゆっくりと回転を始めた。

 園の中央にある池が見えて、その端にあるエドノールの高さを越えて、北にあるマリーナが見えて……ジャンヌは平静を装った表情をしながらも、俺の手としっかりと握っている。下の景色は全く見ていない。

 眼下には木造コースターのモンスターがある。その横を通り過ぎていくミニ・レイルも見える。川に船が浮いている。俺が渡れない橋も、その上を走る車も。視線を遠くに移せばノートル・ダム島が見える。モントリオール中心部の高層建築群まで見渡せる。それらがジャンヌの目に映っているのかは判らない。

 もう1回転して、頂上に着いた。高さは240フィート。ゆっくりと降りていく。ジャンヌはさっきから一言もしゃべらない。汗ばむほどに俺の手を握り続けている。もし今、ここで手を振りほどいてやったら、悲鳴を上げてしゃがみ込むのではないかという気がする。もちろん、そんな意地悪なことはしない。

 半分ほど降りて、あと1回転で地上に着く、という時になって、ジャンヌがようやく口を開いた。

「ずいぶん遠くまで見えるのね」

 そういうのは上がる途中で言うものだ。しかも声が震えている。一応、気付かないふりをしてやることにする。

「そうだな。島には高い建物がないし、周りは川だから見晴らしがいいよ。この塔のてっぺんは高さ300フィートで、そこまで上がればもっといい景色だろうな」

「オー・モン・デュー!」

 ジャンヌが眉根を寄せながら呟く。高さの話をするだけでも怖いのかよ。それっきり地上に着くまではしゃべらず、ゴンドラが止まってドアが開いた途端、俺の手を掴んだまま一目散に降りようとする。

 降りた後も俺の手を離さない。そして近くにあったベンチに座り込むと、大きくため息を吐きながら言った。

「何とか我慢できたわ。ありがとう」

 今のが我慢の限界って感じだな。あと40フィート高かったら、途中で気絶してたんじゃないか。で、手はいつになったら離してくれるんだ。

「さて、次は何に乗るんだ。モンスター?」

「ダメ! それだけは絶対ダメ!」

「君が運転する車よりずっと遅いだろうに」

「速さが問題じゃないんだってば。とにかく、少し休憩させて」

「飲み物でも買ってこようか?」

「ええ、お願いするわ。ソーダ・ポップを」

「じゃあ、手を離してくれよ」

「え?」

 俯いていたジャンヌが顔を上げ、それから手を見た。握ったままだったのに、今まで気付かなかったのか。

「あ……じゃあ、私も一緒に買いに行くわ。気分が落ち着くまで、1分だけ待ってくれる?」

 一緒に行くのはいいが、どうして手を離さないんだ。1分経ち、笑顔になってジャンヌは立ち上がったが、やっぱり手を離さない。すぐ目の前にあるファスト・フード・スタンドでソーダ・ポップとオレンジ・ジュースを買う。カップを受け取った後でも手を離さないし、それを飲みながら歩いていても離さない。

「ほら、周りのペアを見てよ。手をつないでる人が多いでしょ? 私たちも、ペアらしくした方が、目立たないと思って」

「それはいいけど、次は何に乗るんだ。ゴライアス?」

「ダメ! ローラー・コースターは絶対ダメ!」

「じゃあ、ル・ギャロパン」

 すぐそこにある、子供用のカルーセルだ。

「さすがに大人のペアが乗るのはちょっと……」

「じゃあ、ツール・ド・ヴィル」

 ブランコスウィングがぐるぐると水平回転する。これもすぐ近くにある。

「だって、あれ、シートが一人乗りでしょ」

「すぐ横に乗っててやるよ」

「でも、手を離さないといけないじゃない」

「じゃあ、ディスコ・ロンド」

 ティー・カップの変形版で、回転が速い。ライドは車の形をしている。ただし、ここからは遠い。池の反対側だ。

「そうね、あれなら乗れるかも」

 子供の頃に乗ったことないのかよ。とにかく気が変わらないうちに乗せることにして、池の東側をぐるりと回り、ディスコ・ロンドにたどりつく。親子が多いが、ペアも何組か乗ろうとしている。その中に紛れ込んで、二人乗りのシートに座る。

 スタートすると、下の回転盤が回り、その上のライドもぐるぐる回る。周りから楽しげな悲鳴が聞こえてくるが、ジャンヌはあまり楽しそうにしていない。しかし、手はしっかり握り続けている。

 乗り終わって感想を聴くと「怖くはなかったけど、スピンするのってあんまり気持ちよくないわ」だった。レーシング・ドライヴァーらしい感想とも言えるが、遊園地のライドって大概はスピンするか上下に動くかどちらかだろうよ。それを避けてたら乗る物がなくなるぜ。

「次は、コンドル? パイレーツ? それとも、トールビヨン?」

「どれか一つにしていい?」

「いいよ」

「それから、最後に観覧車フェリス・ホイールに乗りたいんだけど」

「いいよ」

 いくら高いところが怖くても、観覧車フェリス・ホイールだけは別らしい。ジャンヌはしばらく考えた後で、パイレーツにすると言った。それだけが“スウィング”系で、他の二つは“スピン”系だからだそうだ。“スウィング”系に乗れるのならローラー・コースターにだって乗れそうだが、彼女の中で何らかの線引きがあるのだろう。

 さっき来た道を戻り、パイレーツの列に並ぶ。正式には“バトー・ピラート”。ブランコスウィングのようにぶら下げられた海賊船が、だんだんと前後に大きく揺れていくという、よくあるライドだ。しかし、人気があるらしく、そこそこ長い列ができている。なぜかペアが多い。ジャンヌよりも強い女がたくさんいるようだ。

 並びながら見ていると、船は垂直から60度くらいの角度まで振れている。しかしこれが、乗ると90度くらいになっているように感じるから不思議だ。ジャンヌは不安そうな顔で揺れる船を見ている。遊覧船に乗ったことがあると言っていたから、船が嫌いだというわけではないだろう。遊覧船はこんな激しい揺れ方はしないけれども。

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