#9:第3日 (8) VIPの夕食

 VIPルームナンバー3のドアをノックすると、ドアの横のスピーカーから「ようこそ、アーティー、お入りになって」とコレットの声が聞こえてきた。ドアの錠が外れる音もした。カメラにでも映っていたのか、あるいは携帯端末ガジェットのIDで判ったのか。

 部屋に入ると、奥のテーブルからコレットがこちらに歩いてくるところだった。うん、まさか、彼女ともベクをするのか? いや、別に、それが困るというわけではないけれども。

「急にお呼び立てして申し訳ありませんでしたわ。あなたにぜひ紹介したい人がいらっしゃるので」

 コレットは俺に手を差し出してきたが、ベクをしようとはしなかった。たぶん、本人の中での親愛度の問題だと思う。それから「どうぞこちらへ」と奥のテーブルへ促す。中年の男が一人、若い女が一人、そして年齢のよく判らない女が一人いた。まず、中年の男に俺を紹介する。

「ディック、彼がアーティー・ナイトですわ。お話ししたとおり、財団の研究員で、ドクターです。アーティー、彼はディック・フェイトン。コーネル大学の数学教授です」

「やあ、アーティー、ディック・フェイトンだ。よろしく」

 額が広くて精悍な顔つきだが、目元と口元は常に笑っているような、不思議な感じの男だ。こちらも改めて名乗り、「よろしく、教授」と言ったが、「ディックと呼んでくれ」と返してきた。肩書きで呼ばれるのが嫌いなのは俺と同じらしい。

 年齢不詳の女はミス・グッドバンズ。キャバレーのショーに出演しているダンサーだそうだが、いい尻グッド・バンズなんて変な芸名ステージ・ネームだ。本名は不明。

 もう一人の若い女はディーラーで、名前はカトリーヌ・ペティグルー。長い黒髪を明るい茶色に染めているらしく、細い黒目で、日系を思わせる穏やかな感じの美人だ。身体の線はすらりとしているが、出るところは出ている。そんなところまで見る必要はないのに見てしまう。いい尻グッド・バンズというのを聞いてしまったせいだ。

 彼女を賭場で見たことがないと思っていたら、今日は休みのところを呼び出したということらしい。カティーと呼んでくれとのこと。

「エヴィーが明日から休みなので、ディーラーに何か相談事がありましたら彼女に声をおかけいただければ結構ですわ。若いですが、大変優秀でお客様からも好評価を頂いていますし、他のディーラーからの信頼も厚いですから」

 若い、といってもコレットから見て若いという意味だろうが、何歳なのかは判らない。日系の血が混じると見た目の年齢が極端に下がるからな。せいぜい30代前半というところだろう。

 続いてエヴィーを3人に紹介する。ここで初めて彼女のフル・ネームがエヴリーヌ・トランブレーだということが判った。昨日、何度か訊いたが答えてもらえなかったのに。

 それから席を勧められる。元々4人で掛けていて、教授の正面にカティー、右側にミス・グッドバンズ、その正面にコレットが座っていたが、教授の左隣にエヴィー、その正面に俺が座った。俺の左にはカティーがいるから、積極的に話しかけて親交を深めろというわけだ。

 テーブルには料理が並んでいるが、もちろん俺とエヴィーの前には食器カトラリーだけ。が、すぐにオードブルが運ばれてきた。手回しのいいことだ。フォワグラのサラダかな。飲み物を訊かれたので、オレンジ・ジュースと答える。エヴィーは白ワインを頼んだ。

「ディックもあなたと同様にヴァケイションでモントリオールにお越しになっているのですが、彼にもカード・カウンティング・チームの調査をお願いしたんですわ」

「やあ、コレット、そんなに僕に期待しないでくれと言ったじゃないか。僕はここに入り浸るつもりもないし、できることといえばせいぜい、見知った顔がいるかどうかを確かめるくらいだよ」

「ええ、ですが、私たちにとってはそれでも十分なご協力ですわ。MITやCALTECHカルテックにも顔がお広いとのことですから、十分な抑止力になり得ます」

「しかし、学生まで知ってるわけじゃないからね。もっとも、そのチームは年齢層を広くするために卒業生を何人も集めているらしいから、中には知っている顔が紛れ込んでいることが無きにしも非ず、というところさ」

「専門は何を?」

 俺に訊かれないようにするには、彼に質問をし続けるしかない。ビッティーに質問するのは完全に一日遅れだったな。

「さっきコレットは数学教授と紹介してくれたが、本職は理論物理学でね。もっとも、講義では物理数学を担当しているから、数学教授でも間違いではない。計算が好きで、常に方程式をいじり回しているんだから、物理でも数学でも同じことさ」

「その中には確率論は?」

「明示的には入ってないな。確率は方程式の中に組み込んで全部積分してしまうことが多いからね。ところで、君の専門は?」

 やっぱり訊かれたか。さて、詳しいことを訊かれたらどう答えるかな。

「数理心理学、という名前でして」

「ほう、数理心理学。心理を数式化するのは難しそうだね」

「同感ですな。統計学を都合のいいように弄んで理論をでっち上げる、いかがわしい研究だと思われても仕方ない」

「ははは、いやいや、コレットから聞いたよ。ここでの調査には、自分の研究は役に立たないと言ったんだって? 僕が想像するに、数理心理学というのは名前と実態がかなりかけ離れているんじゃないかと思うが」

「まあ、そうですな。実際のところは、心理テストで分析した被験者を、特定の状況下に置いて、その時の行動がテスト結果から予想できるかどうかを試す、といった程度のもので」

 これだと今の俺自身の状況を説明しているだけだが、あながち間違っているとは言えないだろう。俺を観察している連中がいるとしたら、そういう研究者だろうぜ。

「ふむ、それは面白そうだ。特定の状況下というのは例えば?」

 教授が乗ってきた。まずいな、真面目に答えたら藪蛇ウェイク・ア・スリーピング・ドッグだったか。

「密室に閉じ込めておいて脱出方法を考えさせるとか」

「ははは、それはずいぶんと極端だ。しかし、そうなると状況を色々と考えるのが大変そうだな」

「助手にシナリオ・ライターを雇いたいくらいで」

「複雑なシナリオを書くと被験者が困るだろうね」

「全く。これから被験者の意見をもう少し聞こうと考えているところでして。ところで……」

 言いかけたところで、魚料理が運ばれてきた。帆立貝のソテーに、色々なソースがかかったもの。他の4人は肉料理に移っている。

「そちらのダンサーはどういうお知り合いで?」

 ミス・グッドバンズのことだが、どうしてこの場にダンサーが。

「ああ、彼女は僕がコレットに頼んで呼んでもらったんだ。昨日、ショーを見に来たときに、すっかりファンになったんで、君が来る前に色々話を聞いていてね。しかし、そろそろショーの準備で戻らなきゃいけないんじゃなかったかな」

「あら、いいえ、教授のお話の方がとても楽しかったですわ。ショーの後で、ぜひ楽屋にいらして下さい」

「もちろん、そうするよ。じゃあ、今夜のショーも頑張って」

 中座するのは最初からの予定だったらしく、ミス・グッドバンズの前にはメイン・ディッシュはなかった。彼女が立つと教授も立ち、ベクをする。他の女3人も立ち上がったので、俺も立つ。ミス・グッドバンズはその3人と親しげにベクをしてから、俺には申し訳程度のベクをして、去って行った。確かに、ヒップはいい形をしていたが、マーゴの方が断然いいと思う。ジャンヌといい勝負かな。そんなこと比べるのは二人に失礼か。

 席が一つ空いてしまったが、間もなくもう一人来る、とコレットが言う。これも最初からの予定らしく、このカジノで一番のエクスパートのディーラーだそうだ。教授がエヴィーに話しかけているので、俺はカティーに話しかける。予想どおり、彼女は日系カナダ人だった。トロントの出身だが、子供の頃にモントリオールに引っ越してきたとのこと。

「ディーラーを始めて何年目?」

「8年目ですわ。とても楽しい仕事なので、もっと長く続けたいです」

「どういうところが楽しい?」

「全てです。カジノのゲームがどれも楽しいことに加えて、それをお客様と一緒に楽しめるんですもの。去年からビンゴやキノの司会もしているんですけど、お客様と一緒に盛り上がるのは本当に楽しいですわ」

「ディーラーになったきっかけは?」

「お客様と近くで触れ合って、楽しんでいただける仕事がしたかったんです。最初は化粧品売り場の店員になろうと思ってたんですよ。お客様のお顔を化粧して綺麗にするのって、楽しいし、喜んでいただけるじゃないですか。手先も器用でしたし。でも、高校の時にカジノの仕事を知って、その時に絶対にディーラーになりたいと思ったんですわ」

「君くらいのエクスパートになると、ルーレットの出目を操作したりできるのかな」

「それは難しいですね。回転盤ホイールの4分の1くらいの範囲を狙うことならできそうですけど、一つの数字を狙うことなんて無理ですし、赤黒を操作することすらできませんわ」

「カードの数字も操作できない?」

「無理ですね。昔は手でシャッフルをするときに、うまくごまかすディーラーもいましたけど、今はCSMを使いますから」

「CSM?」

「コンティニュアス・シャッフリング・マシンです。テーブルの端に、黒くて丸い形の機械があるのはお気付きだと思いますけど」

 なるほど、あれはやはりシャッフル機だったか。

「あれで完全にランダムにシャッフルされるから、ディーラーのイカサマ防止になっているという訳か」

「そうです。でも、やっぱりカード・カウンティングだけは防止できませんね」

「君はカウンティングできる?」

「できます。ほとんどのディーラーはできると思います。でも、最近カウンティングをされるお客様はほとんど見かけませんね」

「俺はカウンティングをしてないのに結構勝つことができるんだけど、君が分析してくれないかな」

「ええ、もちろん! 明日、私のテーブルにお越し下さい。何なら、この後、場所を変えて試してみてもいいですけど」

 丁寧ではきはきしたしゃべり方は、さすがに客から好評を得ているだけある。しかし、俺をうっとりした目で見るのはどうにかして欲しい。つい30分前に会ったばかりなのに、もう俺に興味を持ってくるとは、君もキー・パーソンなのか。

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