#7:第1日 (2) 世話係は才色兼備

 ドアマンが車のドアを開ける。運転手がトランクから俺の鞄を取り出して、ドアマンに渡す。ドリスも車から降りたが、彼女の役目はここまでのようだ。チップを渡し、ドアマンに続いて俺だけがホテルの中に入る。待ち受けていたハンサムなベル・ボーイがドアマンから荷物を受け取った。その向こうにきれいに型の決まったスーツ姿の背の高い男が立っていて、俺を見て歩み寄ると「ようこそ、ミスター・ナイト」と言いながら握手を求めてきた。

「当ホテルの総支配人ジェネラル・マネージャージェイムズ・グレイグです。この度は私どものシェラトン・ミラージュ・ポート・ダグラスにお越しいただき、たいへんありがとうございます。当ホテルの全てのスタッフが、あなたのご滞在を快適なものにすることをお約束いたします。どうぞ、こちらへ」

「ありがとう、よろしく頼む」

 こんな風にGMの出迎えを受けたのなんて初めてのことで、どんな受け答えをすればいいのか判らないくらいだ。卑屈にならず、鷹揚に謝意を示しておけばいいだろう。そういう点では、前回のマルーシャの態度が参考になる。

 ただ、彼女の場合は恐らくずっと前から身に付けていた仕草だろうから、俺が借り物で真似したってそのうちメッキが剥がれるショウ・マイ・トルー・カラーズかもしれない。広いロビーにしつらえられた豪華なソファーに座ると、GMがテーブルに1枚の紙を差し出す。

「ご予約の際に頂いた情報で、宿泊者レジストレーションカードを埋めております。内容をご確認頂いて、間違いがないようでしたら、サインをお願いいたします」

 GMからペンを受け取る。既に記入してあるとは楽でいいが、こういうのも慣れていないので扱いに困る。しかも俺が内容に目を通す間、GMが真横でずっと直立しているのが気になる。待たせると悪いので早くしないと、と焦るのは庶民の悲しいさがだが、のんびりやるわけにもいかない。サインのためだけに練習している筆記体カーシヴでサインし、ペンを返す。

「ありがとうございます」

「IDは見せなくていいのか?」

「出迎えのワグナーが確認致しませんでしたか?」

 GMが怪訝そうに訊き返してくる。あれだけで本当にいいのだろうか。この時代は平和だなあ。

「クレジット・カードを見せただけだよ」

「それで結構でございます。ご予約時にお写真も頂いておりますので、間違いのあるはずもございません。それでは、お部屋にご案内する前に、ご滞在中にお世話をいたします担当を紹介します。ハドスン、自己紹介を」

 世話をする担当ケアテイカー……まさか、そんな人間が付くことまでは想像していなかった。GMの横に立っていた、ブルネットのショート・ヘアで若々しくてとびきり可愛らしい顔の女が俺に向かって微笑みかけてくる。5フィート3インチくらいのスリムな身体で、背筋をピンと伸ばして立つ姿がいかにもフレッシュだ。

「おはようございます、ミスター・ナイト。長らくのご旅行、お疲れ様でした。私は、マーガレット・ハドスンです。今回のあなたのご滞在中、お世話を担当いたします。何なりとお申し付け下さい」

「あー、ハドスンは普段はコンシエルジュを担当しているのですが、重要人物VIPのご滞在中には秘書及び執事バトラーを担当することもあるのです。ご滞在中のご相談事やお困り事は、何でもお気軽に彼女にご提示下さい。もちろん、他のコンシエルジュやフロント係デスク・クラークを始めとする全てのスタッフが、あなたに対してあらゆる便宜を図ることを保証します」

 待て待て待て、こんな美人が世話係ケアテイカーだと? 秘書や執事バトラーの代わりに使っていいって? メイド……とは違うよな。何を頼めばいいのか、想像も付かないんだが。どうせ付けてもらえるのなら、男の方がまだ気を遣わなくて済むんだけど、これもこの世界のシナリオなんだろうなあ。もしかしたら俺の潜在的な願望を反映しているんだろうか。

 まあ、無欲の聖人じゃないんで、美人に世話を焼いてもらえるのは嫌じゃないんだけれども。ところで、彼女も人妻だな。左手の薬指に、指輪が見える。

「他に不明な点があれば何なりと」

「そっちの女性は?」

 世話係のマーガレットの後ろに、濃い金髪の美人が控え目に立っている。どうしてこのホテルはこんな美人が多いんだ。一流ホテルってそんなものだろうけどさ。

「ああ、紹介が遅れました。彼女はフロント係デスク・クラークのキャサリン・キャラハンです。先ほどご記入頂いた宿泊者レジストレーションカードを受け取りに来させました。もちろん、彼女のことも憶えていただき、ご滞在にお役立て下さい」

「おはようございます、ミスター・ナイト。この度は私どものホテルにお越しいただき、ありがとうございます。ごゆっくりお過ごし下さい」

 彼女もどうやら人妻らしい。今回は美人の人妻に囲まれるステージなんだろうか。そんなシチュエーションを妄想したことは一度もないんだが

「他にご用がなければ、早速、お部屋までご案内いたしましょう。きっとお気に召して頂けると存じます。では、ハドスン、後はよろしく頼む」

「承知しました。では、ミスター・ナイト、お部屋までご案内いたします」

 マーガレットの笑顔に促されて立ち上がる。やはり美人の笑顔というのは何らかの強制力を持っているようだ。彼女に付いていくが、背後からGMとキャサリンの視線を感じる。奥のレセプション・カウンターでは、数人のフロント係デスク・クラークが俺にバウをしている。

 よく見たら、周りにいたベル・ボーイなどのスタッフが、みんな俺にバウをしている。ロビーにいた何人かの滞在客が、どんなVIPが来たのかと興味津々で見守っている。根がVIPでないだけに、居心地が悪くてかなわない。エレヴェーターに乗ってようやく人目がなくなり、ほっとした。

「君のことは何て呼べばいい? ミセス・ハドスン?」

 キュートな世話係に話しかける。満面の笑みが返ってくる。

「はい、どうぞ。ですが、ファースト・ネームでマーガレットと呼んでいただいても結構です」

「できればニックネームで呼びたいな」

 ビッティーのように呼びやすい方がいい。エレヴェーターがもう止まった。2階だ。それなら乗る必要もないと思うが、VIPは2階でも乗るんだろう。マーガレットの笑顔に促されてエレヴェーターを降りる。

「では、メグとお呼び下さい」

「OK、メグ。ところで、俺のことはアーティーと呼んでくれないか」

まあマイ! 大事なお客様に、そんな呼び方はできませんわ。もちろん、ナイト様ミスター・ナイトとお呼びいたします」

 そういう呼び方をされると調子が狂うのだが、ホテルのルールだろうからしかたない。ゲストとホストの秩序を乱すことになるからな。

 廊下を歩くほどもなく、客室に到着する。メグがカード・キーでドアを開ける。電子錠の破り方は知らないので、今回は解錠を楽しめなさそうだ。

 中に入る。窓の大きな、明るいリヴィング・ルームだ。ソファーが1、2、3、4脚も。涼しげな籐椅子もある。テーブルも広くて、ホーム・パーティーができそうだ。壁には抽象画。巨大なクローゼット。ライティング・デスクに、40インチのTV……は俺の時代に比べて少し小さめかな。

 奥に寝室が見えている。間に壁があるが、ドアはなくて、実質、一続きだ。ベッドは天蓋付きのキング・サイズで、女なら3人は寝られるだろう。窓際にはまたソファーがあって、もちろんミニ・バーも付いている。スペインで泊まり損ねたジュニア・スイートよりも広い。倍はあるな。

「いい部屋だな。俺一人には広すぎるくらいだよ」

「メゾネットですので、上にもお部屋がございます」

 何だと? メグの指し示す先を見ると、階段がある。メグに連れられてその階段を上がる。膝上丈のミニ・スカートに包まれた、小ぶりで形のよいヒップだが、そんなものを見る必要は全くない。

 階段の上にドアがあって、開けると下のリヴィング・ルームと同じくらいのスペースがあった。テーブルとソファー、椅子もあり、TVもある。壁には本棚があって、何冊か本も置いてある。大きなフランス窓の向こうにはウッド・デッキのバルコニーがある。しかもバーベキュー・パーティーでもできそうなほどの広さだ。

 こんな広いスペースを、7日間で使い切れるのだろうか。いや、部屋を全部使う必要はないのだけれども。メグに案内されて、バルコニーに出る。デッキ・チェアが二つにウッド・テーブルにパラソル。眼下にはラグーン・プール、立ち木とビーチの向こうに海が見える。海が呆れるほどに青い。いかにもリゾートなのだが、こんなところは一人で来るものじゃない。恋人か、新妻と来るものだ。なぜ俺は一人なんだ。ため息が出そうだ。

「いかがでしょう、お気に召しましたでしょうか?」

 部屋も景色もお気に召したけど、自分の境遇が不憫でならないよ。せめて君が恋人だったらねえ。1週間だけでも、パート・タイムで恋人を務めてくれないか。ああ、でも人妻なのか。

「ありがとう、ゆっくり過ごせそうだ」

「こちらこそ、ありがとうございます。もう中にお戻りになりますか?」

 メグの笑顔に付いていって下のリヴィング・ルームへ戻る。3人でもゆっくり座れそうなソファーに沈み込んで、この客室に関する説明を聞く。カード・キーを渡してくれない。彼女に声をかけてからでないと、客室を出てはいけないのではないか、という気がしてくる。

 ホテルの中の説明も聞く。レストランが三つにバーが二つにカフェが一つ。ラグーン・プールが九つに、フィットネスにゴルフ場。会議室カンファレンス・ルームまであると。

「何かご質問はございますか?」

「ミニ・バー以外の飲み物が欲しいときは?」

「ルーム・サーヴィスでご注文になれますが、ご所望の時は私にお申し付け下さい」

「オレンジ・ジュースでも?」

「はい。今、お持ちしましょうか?」

「いや、今はいい」

「かしこまりました。後ほどウェルカム・ドリンクをお持ちいたします。お飲み物だけでなく、軽食や、その他ご入り用の物がある時も、私にお申し付け下さい。夜はベッド・サイドに冷水を用意いたしますが、もし夜中にその他のご用事がある場合でも、お呼びがあればいつでも対応致します」

「夜中って……君、勤務時間は何時までなんだ?」

「終了時間は特にありません。24時間勤務です」

「24時間!?」

 笑顔であっさり言うなよ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る