#6:第2日 (2) 北の市街地

「こないだからこの錠、すごく具合が悪いの。なかなか閉まらなくって。昨夜も帰ってきたとき、開けるのに手こずったんだけど」

「ちょっと鍵を見せてくれ」

「どうして? 何か判るの?」

 そう言いながらもドロレスは鍵を抜いて、俺の方へ差し出した。それを見て呆れた。こりゃひどいや、なんて古い形式の鍵だ!

 レヴァータンブラー錠であることは間違いないが、いつの時代のだよ。合衆国なら俺の時代より100年以上前なのは確実だぞ。チュートリアルのステージと同じレヴェルじゃないか。トレドってのは街自体も古いが、セキュリティーの意識も古いのか?

「だいぶすり減ってるな。鍵山が合わなくなってるんだ。新しい錠に付け替えたほうがいい」

「ええー、でも、勝手に付け替えられないわ。大家プロピエタリオに言わなきゃ」

「じゃあ、今日中に連絡して許可をもらっときな」

「解ったけど、今から出掛けるのにどうやって錠を閉めればいいの?」

「俺がやってみよう」

 ドロレスをドアの前からどかせ、代わりにドアの前に立つ。鍵がすり減っていて、しかも鍵穴の方が鍵自体より大きすぎるので、合わせる位置が解りにくくなっているだけのことだ。だから、レヴァーの位置を鍵で調べながら、微調整して回してやればいい。

「OK、閉まった」

 所要時間15秒。本当に閉まったか、ドロレスに確認させる。

「本当、閉まってるわ。ありがとう。あら、でも、今夜帰ってきたときはどうすればいいの?」

「簡単なことだ。俺が今夜、もう一度ここへ来ればいいだけだろ」

「今夜も泊めて欲しいってこと?」

「そこまでは言ってないよ。今夜、このドアの前まで俺を連れて来てくれれば、開けてやると言ってるだけさ」

「ふーん」

 ドロレスがまた意味ありげな笑みを浮かべる。ついでに昨夜何があったか教えろと言ってやればよかったかな。

「じゃあ、アーティーは今日も一日、トレドにいるってことね」

「そういうこと」

「解ったわ。じゃ、昨夜と同じ時間に、同じバルで食事して、それからここに帰ってくるっていうのはどう?」

「そうしてもらえると嬉しい」

「泊めてあげるかどうかは、その時に決めるけど、いい?」

「もちろん」

「でも、泊まってもらって昨夜の仕返しをしないと、私の気が済まないかも」

 だから、俺は何をしたんだよ。一人で状況を楽しむなよ。階段を降りて外へ出て、改めて建物を見てみたが、3階建ての共同住宅テネメントだった。外壁の煉瓦はわりあい新しいが、きっと外側だけ改装して、中は古いのに違いない。

 ドロレスに付いて歩く。北へ向かっているようだが、地図を示してここがどこかを訊いても「えーっと、だいたいこの辺り?」などと言って広い範囲を指し示すだけで、どこだかさっぱり解らない。道には名前があるはずなのに、ほとんど看板が見当たらないし、本当にこれが最短経路なのかがよく解らないままに、細かく右折左折を繰り返す。階段を登ったり急坂を下ったりしながら歩いているうちに、ソコドベール広場に出てしまった。ここから一人でドロレスの部屋まで戻れと言われても、不可能だな。

 土産物屋の前でドロレスと別れ、またあの曲がりくねった坂を下りて、新市街地の方へ向かう。今日はまず新市街地の探索、そしてタホ川の外の可動範囲の調査だ。

 旧市街から出るのに、昨日入るときに通ったビサグラ新門ではなく、その少し西にあるアルフォンソ6世門を通ってみた。ここは古い時代のトレドの正門で、元はプエルタ・デ・ビサグラ、つまりビサグラ門と呼ばれていたのだが、“新門”の方と区別するために、後にアルフォンソ6世門と名付けられたとのこと。新門よりもずっと重々しい感じで、紋章などの装飾もなく、門の形がイスラム風だ。中庭パティオはなかった。

 道路を渡ると、そこが昨日のスタート地点になった公園の、一番南の端だ。芝生に囲まれた噴水の横を通り抜け、昨日通ったプロムナードを歩いて行くと、その先にやはり昨日見た古い建物がある。タベーラ病院という名前だが、実は美術館だ。元は宮殿として建てられ、一時期は実際に病院として使われていて、その時の医療施設の一部も残っているという。美術館としては例によってエル・グレコなどの作品が展示されているのだが、もはやターゲットに絵は関係なさそうな気がするので、調査を省略する。

 病院から少し北へ行ったところにホテルがある。このままドロレスの部屋に泊まり続けることができるような気がしてはいるが、念のために空いているかを訊く。あっさりと断られる。

 そのまた少し北に闘牛場がある。闘牛といえば剣!を使うので、一応調べる。1866年に完成。花崗岩で組み上げられた立派な壁を持つ。ところどころに赤い扉があり、"SOL"や"SOMBRA"などと書かれているが、これは日向席と日陰席のことだ。確か、日陰の方がいい席のはずだ。

 闘牛は日曜日しか開催されないので、もちろん閉まっている。中へ侵入しようとすればできると思うが、朝なので入らないことにする。もしかしたらこの中には剣を保管するための部屋があって、そこに“剣の王”などと名付けられた有名な剣が置いてあるのかもしれない。ただ、今のところは調べが付かない。闘牛士の知り合いがいないか、後でドロレスに訊いてみることにするか。

 闘牛場から東へ行くと、特徴的な赤い建物がある。バス・ターミナルで、マドリッド方面へ行くバスもここに発着している。案の定、入口に“見えない壁”があって、建物の中には入れなかった。久しぶりに、あの何とも言いがたい弾力を感じる。

 近くの道路上に乗降場があり、道路の真ん中で島のようになっているが、横断歩道を渡ろうとしたら、そこにも“壁”があった。やはりトレドからは出るなということか。

 他の交通手段として、タホ川を東へ渡ったところに鉄道駅があるが、一応確認しておくか。南へ歩いていったん道路を渡り、東へ向かう。カスティージャ・ラ・マンチャ通りの横断歩道は渡れた。その先にアサルキエル橋がある。150ヤードくらいの橋だが、その半分まで渡りかけたところで、やはり“壁”があった。つまり、駅へも行くなと。

 引き返して、新市街の西側にあるローマ競技場シクロ・ロマーノへ。古代、ここに戦車競技場があった跡なのだが、すり減った低い石の橋のようなものや、それがさらに朽ち果てて石の台座が列になったものが残っているだけで、よく写真で見るような、ボウル型の観客席の跡は見られない。木がたくさん生えているので見通しが利かないが、フットボールのフィールドくらいの広さはあると思われる。戦車競技に剣を使ったということはリーフレットに書いていないので、ターゲットには関係なさそうだ。

 そこからカルロス3世通りを北西へ。行った先にはパルケ・アルケオロジコ、つまり考古学公園と地図には書いてあるのだが、草も生えていない一面砂の空き地が広がっているだけだ。もしかしたら、ここでまだ古代の遺跡を発掘中なのかもしれない。

 マス・デル・リベロ通りへ折れて北へ向かい、ペラレダ幹線道路に入る。この道路は、すぐ先でタホ川を越えている。横に歩道が付いているので、対岸へ行けるかどうかを試してみる。120ヤードくらいしかない橋だが、やはりちょうど真ん中のところに“壁”があった。どうせ“壁”を作るなら、橋のたもとにしてくれないものかな。いちいち真ん中まで行って確かめるのが面倒なんだよ。

 少し南へ引き返して、アドレフォ・スアレス通りへ入り、また北の方へ。西側に歩道はないので、東側へ渡る。道路はその先で立体交差付きの大きなラウンドアバウトになっているが、人は横断できず、すぐ東に歩道橋が建っている。その歩道橋を渡ろうとしたが、階段を上がりきったところに“壁”があった。しかも、歩道と車道の間にも“壁”があった。TO-20という番号が付いた広い2車線道路なのだが、これを渡れないとなると、その向こうに見えている立派なリゾート・ホテルには泊まれないということになる。

 しかもこの道路は新市街の北側をぐるりと取り囲むように半周している。要するに、この道路が北側の“壁”だということだ。まあ、ここより北にある建物といえば、ホテルと大きな病院くらいで、他は荒れ地のようになっているから、行っても仕方ないのだが。

 加えて、その道路の内側で、可動範囲になっている一番北側の辺りというのが、巨大なマンションの建ち並ぶ新興住宅地で、見るべき物が何もない。仕方ないので歩道を南へ引き返して、ポルトガル通りへ入って東へ進み、新興住宅地のメイン・ストリートであるヨーロッパ通りを南進して、ラス・トレス・クルトゥラス公園を覗く。

 ラス・トレス・クルトゥラスとは“三つの文化”という意味だが、それが何かはリーフレットには一切書いていない。おそらく歴史上でこの辺りの土地を支配した、ローマ、イスラム、スペインの文化のことと思われるが、自信はない。

 広い公園で、野外劇場もあれば噴水もある。芝生の広場もあれば子供用の遊具施設もある。テニスコートもあればサッカー・グラウンドもある。至って平和な、ターゲットとは何の関係もなさそうな公園だった。

 簡単だったが、これで新市街地の調査を終わりにする。といっても、旧市街地よりは広いので、歩き回るだけで時間を食う。昼を過ぎているのにほとんど人がいないレストランへ入り、鶉の煮込み料理を食べてから、タホ川の外側へ向かう。もちろん、北側には行けないので、南側だけだ。

 その南側にある道というのは、要するに筆記体の"v"の字の下をなぞるように半周する道なのだが、地図を見るとぐねぐねと曲がっていて、どれくらいの距離があるか定かではない。が、おそらく4マイルはないと思われる。

 この道に沿ってトレドを鑑賞するための、ソコトレンという汽車のような乗り物が1時間に1本走っている。これに乗るにはソコドベール広場へ行けばよい。しかし、そのルートにはアサルキエル橋が含まれていると考えられる。となると、俺が乗っていると、途中で止まってしまうはずだ。他の乗客に迷惑をかけてしまうので、ソコトレンには乗らず、歩いて一周することにする。

 4マイルならゆっくり歩いても2時間はかからないし、ところどころで“壁”がどこにあるかを確かめながら歩いても、3時間から4時間で終わるだろう。もっとゆっくり歩かないと、時間が余りすぎるくらいだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る