ステージ#6:第1日

#6:第1日 (1) 迷宮の入口

  第1日


 ゆっくりと目を開ける。涼しい風が吹いている。目の前には煉瓦造りの小さな丸い池。噴水は付いているようだが、水は出ていない。その向こうに並木と遊歩道プロムナードが200ヤードばかり続いている。どうやらどこかの公園にいるようだ。

 左右に白い石像が1体ずつ。こういうのは歴史のある街によくある形式だ。近くにアルファベットが書かれた看板があるが、何と読むのか判らない。が、どうも前のステージで見かけた綴りとよく似ている気がする。

 後ろを振り返ると、石造りの重厚な建物があった。うん、やはり歴史のある街だ。とりあえず、遊歩道を歩いてみる。人とすれ違うが、みんな地図を持って歩いている。たぶん観光客だろう。また観光地に来たのか。

 100ヤードばかり行くと広場があって、その真ん中に鉄製の八角形の屋根の付いた四阿ガゼボが建っている。これも前のステージで見たような気がする。メキシコに戻ってしまったのだろうか。そのわりには新世界ではない風格のようなものが感じられるのだが。

 とりあえず、もう少し先まで歩く。また100ヤードばかり行くと先ほどと同じ丸い池があって、車道側――すぐ近くに道路があるのは判っていたが――には煉瓦造りの小綺麗な建物がある。そちらの方へ出てみると、道路の真ん中にラウンドアバウト、そしてその向こうには城壁が立っている。

 城壁! うん、これは間違いなく中世ヨーロッパのものだな。メキシコじゃない。煉瓦造りの建物の方へ振り返ると、一目では大きな公衆洗面所のように見えたが、よく見ると"i"の看板が掛かっているので観光案内所ヴィジター・センターではないかと思われる。更によく見ると建物の横には石造りの大きな碑が立っていて、"TOURIST INFORMATION OFFICE"と書いてあるじゃないか。しかし、別の言語も併記してあって、"OFICINA DE INFORMACION TURISTICA"。いやいや、これは確かに前のステージでも見かけた表記だ。ということはスペイン語。ということはここはスペインだ。スペインならこんな城壁に囲まれた街があってもおかしくはない。まあ、一度も来たことがなくて、写真で見ただけだが。

 その観光案内所ヴィジター・センターへ入る。入った瞬間にここがどこだか判った。壁に大きく書いてある。"TOLEDO"。トレドね。確かにスペインだな。少なくともオハイオ州じゃないだろう。どこにあるんだったかな。首都マドリッドの南の方で、スペインのあの半島の真ん中辺りだったと思うが。

 横に時計が掛かっていて、12時30分を示している。おやおや、また半日遅れのパターンだな。日付も確認する。2003年11月17日、月曜日。また21世紀に戻ってきたが、俺の時代より60年以上も前だなあ。カウンターを見ると係員が何人かいるが、いずれも数人ずつの列ができている。地図さえあればとりあえず道案内は要らないので、英語版のリーフレットを取って外に出る。

 全体図を眺めると、蛇行した川が筆記体の"v"の字のように街を取り囲んでいる。今いるのはそのちょうど真ん中辺りで、下が旧市街、上が新市街のようだ。城壁に囲まれているのはその旧市街で、ほとんどの観光客が行くのもそちらの方だろう。もちろん、俺も今からそっちへ行ってみようと思う。

 まず、目の前の道を渡る。横断歩道があるが、ラウンドアバウトなので信号がない。ひっきりなしに車が通る間をすり抜けるようにして渡る。そして目の前にあるのがプエルタ・ヌエバ・デ・ビサグラ、つまりビサグラ新門。リーフレットによると、元はイスラム時代に建てられ、その後16世紀に花崗岩で改築。中央にはハプスブルグ家の紋章である双頭の鷲とスペイン帝国の紋章を合わせたトレドの紋章が刻まれて、頂上にはトレドの守護聖人が剣を高々と……剣だと?

 うん、下から見ると確かに門の上の人物像が剣を持っている。しかし、ターゲットは“剣の王”であって“王の剣”ではないし、“聖人の剣”でもない。トレドの守護聖人が誰だか知らないが、王ではないだろう。だからおそらくあの剣は関係ない。もしそんなものに興味を持ち始めたら、こんな古い都市にはそれこそ街の至る所に銅像や石像があって、その半分くらいは剣を持っていたりするんだから、きりがない。

 ただ、こういう古い門に付いている錠はどんなものかが気にかかる。ウォード錠だろうが、鍵の形にどれだけ技巧を凝らしているか、とか。まあ、暇があったら夜中にでも見に来よう。

 門をくぐり抜けて中へ入ると、中庭パティオがあって、左手には予想どおり剣を持った石像が建っている。台座の銘を見ると、"CARLOS V EMPERADOR"。“皇帝カルロス5世”。誰だか判らない。が、たぶん神聖ローマ皇帝のことだろう。歴史は苦手だ。皇帝は王ではないのでこれも関係ない。先を急ぐことにする。

 中庭の先のもう一つの門をくぐり抜けると観光客が立ち止まってこちらを見上げている。俺も振り返って見上げると、またトレドの紋章が描かれている。さっき見たじゃないか。こんな物をいちいち眺めていたら、いくら時間があっても足りないぞ。観光客は時間が有り余ってる連中ばっかりなんだろうが、こっちは半日で旧市街を見て回ろうとしてるんだからな。先を急ぐ。

 が、正面に煉瓦造りの古い重厚な建物が建っている。サンチアゴ・デル・アラバル教会。イスラム様式とゴシック様式が混在しており、数個のバラ窓を除いて窓がほとんどないのが特徴で……いやはや、街の入口だけでこれじゃあ、旧市街全体を見るのすら半日では無理じゃないかという気がしてきたな。

 教会は無視して先へ進む。道は緩やかなカーヴの上り坂になっている。登っていくと、右の歩道側に門が立っている。これがプエルタ・デル・ソル、つまり太陽の門。13世紀のムデハル様式で、開口部が二重のアーチ構造を為しており、内側のアーチの上には聖堂での儀式を表した浮き彫りが施されていて、その中心に描かれた太陽と月が名前の由来、とのこと。月はどこへ行った?

 とにかくこちらが歩道らしいので、通り抜けていく。が、歩道のはずなのに道の両側には車がずらっと停めてある。駐車場代わりに使っているのだろうか。門があるのに、どうやって入ったんだ? さらに坂を登る。その先の、リーフレットには名前の書かれていない簡素な門をくぐり抜け、右へ曲がりかけたと思ったら左の車道と合流してしまった。

 さらに右へ右へと曲がりながら坂を登り続けると、三角の形をした広場に出た。ここがソコドベール広場で、買い物や観光や食事の拠点、あるいはバス、タクシーの発着点になるところだ。月曜日の午後だというのに、観光客も大勢いるようだ。街を一回りした後でここに戻ってきて夕食、と考えていたのだが、さっきからの調子では予想以上に時間がかかりそうな気がする。まあ、途中でカフェにでも寄ればいいだろう。幸い、旧市街の西側にもレストランを示すマークがいくつかあることだし。

 さて、最初にどこへ行くか。定跡どおり、美術館か博物館へ行こうと思うが、そうなるとサンタ・クルス美術館が一番近いので、まずそこへ向かう。広場の東側に立っているアルコ・デ・ラ・サングレ――血のアーチという意味だそうだが――という建物のちょうど真ん中にトンネルがあって、そこを通り抜けるのが一番近道だ。

 通り抜けて階段を降りると銅像が建っていて、写真を撮っている観光客が何人かいる。ミゲル・デ・セルバンテスの像だそうだ。『ドン・キホーテ』の作者だが、読んだことはないので、セルバンテスやキホーテがトレドとどんな関係にあるのかは知らない。

 少し坂を下って左へ折れると美術館。入場料は……無料だった。そういえばスペインの通貨は何だ? 財布の中を確かめてみる。ユーロ紙幣! そうか、この時代はユーロか。まあ、どうせ他の国には行けないから共通通貨だろうが何だろうが構わないのだが。

 入口で荷物を預けて中へ入る。午後7時まで開いているらしいから、ここに荷物を預けっぱなしにしておこうかとも思う。1階は回廊と中庭、2階が展示室。展示室は三つあって、考古学、美術、工芸に分かれている。ターゲットに関係がありそうなのはたぶん工芸だと思うが、念のために美術も見ておくことにする。考古学は、まあ、関係ないだろう。

 美術はエル・グレコの作品が多かった。街の西側にはエル・グレコ美術館というのもあるし、トレドと関係が深い画家のようだ。そういえば『トレドの眺望』はエル・グレコの作品だったかもしれない。だが、ここに飾ってあるのは『無原罪の御宿りイマキュレイト・コンセプション』などの宗教画が主で、剣と関係があるものはなかった。

 続いて工芸。陶器にタイル画、陶人形、木製の食器棚、テーブル、小箱、鉄製の細工物、宝箱もあった。鍵穴はウォード錠タイプだった。それから甲冑、銃、クロスボウ、そして剣! まあ、剣の王というからにはたくさん剣があって、その中の特に優れた剣、という気がするので、こんなところに剣が一つや二つあったからといってターゲットになるとは思えないな。それでも、何かヒントがないか見て回る必要はあるし、キー・パーソンあるいは他の競争者コンテスタンツを探すためにも歩き回らなければならない。今のところはどの気配もない。

 荷物を回収して――やはり鞄の中の物がないと不便な場合もあるので――美術館を出る。次にどこへ行こうか迷う。というか、剣に関係がありそうなところがほとんどない。とりあえず普通の観光のように一回りするか。一番近いのはアルカサルなので、そこへ行く。が、工事中で入れなかった。宮殿アルカサルというからには剣が飾ってあったりするかも、と思っていたのだが、期待外れだった。

 仕方ないので次は大聖堂へ行く。また大聖堂! これまでいくつ大聖堂を巡ってきただろうか。巡礼の旅じゃあるまいし。しかもアルカサルから大聖堂へ一直線で行く道がない。どの道筋を取っても迷路のように入り組んでいる。一番近い道は、などと考えながら道を渡り、路地の角の土産物屋をふと見ると、剣がずらりと並んでいるじゃないか! 何だ、これは。思わず店へ飛び込む。

 扇のような形をした台に突き刺すようにして、放射状に剣を並べてある。どう見ても50本以上はある。しかも形がみんな違う。剣だけではない、日本刀――なぜスペインで日本刀――が壁に掛けてあるし、料理用の包丁に食事用のナイフとフォークのセット、軍事用や登山用の短剣まで。何だ、これは。トレドというのはこういうものが名産なのか?

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