#4:第4日 (4) 王女の愛する山
マルティン塔からロープウェイ乗り場までは半マイル弱。軽く走って行き、6分で着いて、駅の建物に入る。周りには他の客がいるので、これで“壁”にぶち当たったら情けないことだが、何と中へ入ることができた。もちろんチケットも買えた。つまり山へ登れるということだ。山へは他に、道を歩いて登ることもできるはずだが、そちらも可動範囲なのだろうか。
それはともかく、次の便は5時半発なので15分ほど待たなければならないが、その程度の待ち時間は大したことではない。山の上へ行くには遅い時間だが、この時期は日が長いし、他にも乗ろうとしている客がいる。山頂に
ゴンドラが動き出し、天井から観光案内の音声が流れる。ドイツ語だけでなく、英語の説明もあった。山の高さだのゴンドラのスピードだのを説明してくれているのだが、メートル法なので頭の中で計算が必要だ。まあ、ここはヨーロッパなので、合衆国民より英国民の方がたくさん来るのだろうから仕方ない。サングラスの女は、その説明を聞いているのかいないのか、ずっと湖の方を眺めている。俺は山の上の方を見る。
わずか6分で山頂駅に着いた。帰りの最終便は7時発なので、山頂には1時間20分ほど滞在できる。が、そんなに滞在して、何をするのかという気もする。とりあえず山頂駅の屋上から周りの景色を眺める。モントフォールは湖の東南の端にあるので、湖は北西方向に横たわっている。ほぼ西の方には先ほど行ったザンクト・マルティンが見える。西北西の彼方にはラエティア。北西にはホーエンブルク。ウーファーブルクは山の陰になって見えないが、望遠鏡を覗けば山の上の城くらいは見えるだろう。
つまりここは、真下にあるオーストリアを含めて、4ヶ国が見渡せるポイントというわけだ。壮観な眺めなのだが、湖から遠く離れて離れている分、ウーファーブルクの丘の上から見たような“眼下に湖が広がる”感はない。どちらかといえばあっちの景色の方が俺には印象がよかった。
さて、山頂駅を出て少し歩き回ろうと思う。まず、広場があって、左手へ行くと
広場には土産物屋があって、これは入ることができた。軽食も売っていて、子供がアイスクリームを食べている。そして左へ行くと、
しかし、それらしいものがありそうにも思えない。王女がここで土産物にネックレスでも買ったとでもいうのかね。土産物屋へ引き返し、もう一度中を覗く。"Prinzessin"という単語がいくつか見られる。しかし、王女ではなく山の写真だ。山の名前はプフェンダーのはずだ。まさか王女が命名したのか? 訳がわからない。
その謎を解けるかどうか判らないが、
「ええ、もちろんございます! 王女は数年前まで毎年のようにこの山に登られて、ここから見る景色をお褒めになっていました」
親切そうな女の
そういえばホーエンブルクでもラエティアでもザンクト・マルティンでも、ネックレスのことばかり考えて、現王女その人に関係するものについて何も調べなかった。これはまずいことをしたかもしれない。が、今さらどうしようもない。明日は調べてみようか。
「私も一緒に写真を撮っていただいたのです。その時、私は新人なのに王女をご案内する係を任命されて、とても緊張していたのですが、王女から大変気さくにお声をかけていただき、感激して泣いてしまいました!」
泣いたことを嬉しそうに言うなよ。しかし、写真では彼女は泣いておらず、がちがちに緊張した笑顔で直立し、その横には完璧に美しい微笑みを浮かべる王女が写っていた。他にいくつも写真があるが、一つだけ、山しか写っていないものがあり、そこに言葉が書かれている。"Berge, die ich liebe."
「王女の直筆です。私が愛する山、と書いてあるのです」
なるほど、それで土産物屋に同じような写真があったわけだ。たぶんあれには“王女の愛する山”とでも書かれていたのだろう。王女は他国の国民からも愛されていて、大変結構なことではある。しかし、写真の中の王女がネックレスをしているわけではなく、他に何もヒントのようなものはない。礼を言って
フェリーの出発は8時20分だから、あと1時間40分以上ある。とりあえず、港の近くへ行ってレストランに入る。帰ったら夕食が待っているが、既に腹が減っているし、あの程度の量では足りないのはわかりきっている。昼にザンクト・マルティンで食べたのと同じ魚料理があったので頼んでみたが、ここの味は今一つだった。湖の魚を食べ付けていないので、俺の舌が悪いのかもしれないが。
フェリーの最終便には、あのサングラスの女も乗っていたが、ホーエンブルクで降りるとすぐに姿が見えなくなった。最終バスに乗り、坂の途中で停めてもらって降りる。同じように降りた客が何人もいた。マリーが言っていたとおりだが、誰が頼まなくてもここで止まるのが慣習のようだ。
「
「ああ、マリーのおかげで10分は早く帰れたな」
俺が中に入るとマリーはドアに錠を下ろす。
「部屋に戻っててよ、すぐ夕食持って行くから。それとも、先にシャワーを浴びるの?」
「いや、先に食べる。マリーたちは朝が早いから、早く片付けられる方がいいだろう」
「アーティーは優しいね。そんなこと気にしなくてもいいのに。じゃあ、すぐに夕食持って行くね」
マリーはまたバタバタと“中”へ戻っていき、俺が階段を上がっている途中にトレイを持って追いついてきた。部屋のドアを開けるとマリーが先に入ってテーブルの上にトレイを置く。廊下のあの小テーブルは今夜も使われなかった。
「アーティーはきっとすぐに食べちゃうよね。終わるまでここで待っててもいいかなあ」
マリーはワインをグラスに注ぎ終わるとそう言ってベッドに座り込む。客用のベッドに座り込んでだべる
「マリー、一つ訊いていいか」
「何?」
「このワインはなんていう銘柄なんだ?」
ワインは今日も新しいボトルだ。俺は飲みきれないので半分以上残すのだが、必ず新しいボトルが出てくる。残りは料理に使ってしまうのだろうか。だが、ワインを使った料理なんて出てきたことがないのだが。
「“ヒューゲルシュロス”。私が働いてる畑の葡萄で作るんだよ」
丘の上の城か。まあ、この町で作るワインにはふさわしい名前かな。
「
「そう。新酒ができたら、12
144本もか。まあ、一般家庭で飲むテーブル・ワインの卸値なんて、カフェで飲むコーヒー1杯より安いだろうから、大した額にはならないだろうが、女が3人しかいない家で消費しきれるのかどうか。いや、そもそも……
「どこに置いてるんだ?」
「何を?」
「ワインのボトルを」
いつもはボトルに綺麗に拭いがかかっていたのだが、今日のボトルはラベルの下の方に埃が少し付いていた。そういうのはワイン・ラックに置いてある時に付く埃だ。キッチンの片隅に立てて置いてあるのならこんなところに埃は付かないはずだ。
「ああ、
「地下に? この建物の?」
「そう。この辺で昔からある建物には、たいてい地下室が付いてるの。この家も、最初は10世紀くらいに建てられたって聞いたよ。その後で何度も改装したみたいだけどね」
地下室……そういえば丘の上の城にも地下室があった。思い付きだが、何となく気になる。
「その地下室、見せてくれないか?」
「えっ、地下室を? うーん」
マリーが考え込んでしまった。見せてもらえないとなれば、夜中に忍び込むしかないが、そういうことはできればやりたくない。
「……じゃあ、食事の後で、ちょっとだけだよ」
マリーがこちらに顔を寄せて小声で囁く。そんなに秘密にしなければならないことなのだろうか。それはともかく、さっさと食事を終えて、トレイを持ったマリーの後に付いて階下へ行き、一緒に“中”に入る。ドアのすぐ脇に、地下へ下りる階段があった。
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