#4:第1日 (5) ドクター・マーシアン

 マリーにレストランを教えてもらって夕食に行く。普通のドイツ料理のレストランだった。鶏のシュニッツェルとアプフェルショーレという林檎ジュースの炭酸割りを頼む。泊まり客が多いせいか、ここも繁盛している。

「失礼、ミスター・アーティー・ナイト?」

 不意に、見知らぬ男が声をかけてきた。若くて、黒い髪で、髭を生やしている。目の形にちょっと特徴があるが、映画スターのようなハンサム顔で、しかしどこかしらお坊ちゃんプレッピーのような幼さが残っている。愛想よくにこにこと笑っていて、どこから見ても善人にしか見えないタイプだった。しかもこいつ、英語でしゃべってやがる。

「そうだ。どちらさんだったかな?」

「自己紹介が遅れまして申し訳ありません。ヨハン・ハーレイです。今日からマイヤー夫人の宿屋ロッジにお世話になります。あなたも泊まられるとのことなので、ご挨拶をと思いまして」

 マイヤー夫人? ああ、マリーの婆さんのことか。

「なるほど。しかし、なぜ俺のことが判った?」

「あなたが宿屋ロッジに来られた時、実は僕はあの中にいたんですよ。僕が泊めてもらえるかどうかの相談をしてましてね。まあ、僕は結局一言も口出ししませんでしたが。相談が終わって、外へ出た時はもうあなたはおられませんでしたが、このレストランを紹介したと聞きましたし、合衆国から来られたとのことだったので、ここへ来て、探してみたらアメリカ人に見えたのはあなただけでしたので」

 うん、まあ、初歩的な推理なんだろうな。だが、俺がアメリカ人に見えたというのは甚だ怪しいな。むしろ、はっきり国籍が判らない人間を探したら俺だったんじゃないのかという気がするが。

「なるほど。そういうことなら、こちらもよろしく頼む」

「ありがとうございます。かけてもよろしいですか?」

 手でどうぞという仕草をして席を勧めた。相席を無碍に断るような、どこぞの名無しの美人ほど不親切じゃないからな。ハーレイ氏は俺の向かいの席に座ると、手で合図してウェイターを呼び、注文をしている。どうやらドイツ語でしゃべっているようだ。頭の中で翻訳されて聞こえるが……

「さて、もう少し自己紹介を続けます。出身はハンガリーのブダペストです。デブレツェン大学の医学部で精神科の博士号を取得して、現在は大学の付属病院に勤めています。目下、休暇で旅行中ということになっています」

 これは英語だった。彼は2ヶ国語を使い分けている。しかし、ハンガリー出身と言ったのだから実は3ヶ国語かそれ以上しゃべれるわけだ。

「ほう、立派な経歴だな。しかし、見たところずいぶんと若いようだ。年はいくつ?」

「あっはは、やっぱりそう見えますか。23歳です。若く見えすぎないように髭を生やしているんですが、あまり効果がないようですね」

「23歳で医学博士MD? 大したものだ。実は火星人マーシアンじゃないのか」

 ハーレイ氏は口元に穏やかな笑みを浮かべたまま、目だけを大きく見開いた。さて、このジョークが通じるかな。

「あっはは! これは……これは驚きましたね。火星人マーシアンですって?」

 ハーレイ氏はそう言いながら右手で頭をがりがりと掻いている。綺麗になでつけてある髪の毛がその部分だけぼさぼさになってしまった。

「あっはは、そうすると僕をあの偉大なセオドア・フォン・カルマンやジョン・フォン・ノイマンと同列に見て下さるということですか。いやいやいや、それほどでもありませんよ。あっはは。しかし、面白い方だな、あなたは。よほど科学の知識がおありでいらっしゃる。あっはは」

 ハーレイ氏はひとしきり笑った後で、髪を元通りなでつけ始めた。おそらく、これは彼の癖ではないかと思われる。

「いやあ、面白い。もしかして、あなた物理学者でしたか? 僕はてっきり、数学者じゃないかと踏んでたんですが」

「どうしてそんなことが判るのか解らないが、マイアミ大学の応用数学専攻だ。もっとも、腰掛けの学部生だったに過ぎないがね」

 とりあえず、軽く自己紹介をする。

「ああ、なるほど、スポーツを主体としてらしたということですね。いや、それは理解できます。フットボールか、野球じゃないですか」

「また当たった。フットボールだ。さすがは火星人マーシアン

「いやあ、おだてるのはもうよして下さい。肩の筋肉の具合でそう思っただけですよ。さて、僕の料理と飲み物も来たようだし、乾杯しませんか」

 ウェイターがハーレイ氏の料理と飲み物を運んできた。肉の煮込み料理だ。料理の名前はよく判らないが、おそらくアイスバインというやつではないかと思われる。飲み物は赤ワイン。ラベルに書かれた銘柄は、相変わらずあの装飾文字なので読むのも困難だ。

「何に乾杯する? 王女の結婚式を控えた素敵な架空世界に対してか?」

「そうそう、それで行きましょう。あなたは話が早くて助かります」

 やはりハーレイ氏は競争者コンテスタントだったか。俺はグラスを取り上げ、少し傾けてから一口飲んだ。ハーレイ氏もそれに倣う。

「おや、それはスパークリング・ワインかと思ったらアプフェルショーレですか? そうか、アスリートだからアルコールを控えてらっしゃるんだ」

「単にアルコールに弱いだけだよ。君は強いのかね」

「そうですね、まあ、ハンガリー人としては普通でしょう。うん、これはオーストリア・ワインに似ていますね。架空世界の産物にしてはよくできている。しかし、さすがに年代ヴィンテージが判るほどではないかな」

「そうするとここはドイツとオーストリアの国境付近という設定?」

「たぶん。国名はシュタウフェンスハーフェン、首都はホーエンブルク・アム・シュヴァーベンゼー。そしてすぐそこにある湖は、現実世界ではドイツ、オーストリア、スイスの国境にあるボーデン湖……おっと、英語ではコンスタンス湖だったかな。とにかく、それを少し小さくしたような形をしているようです。なかなか大規模な架空世界ですね」

「そう教えてもらっても、まだ頭の中には地図が浮かんでこないな。元々、ヨーロッパの中央部のことはよく知らないんでね」

「アッハア、まあしかし、そんなことはたぶん関係ないですよ。どうせこの国の全部に行けるわけがないんです。この湖を中心にした町の位置関係だけが判っていればいいんじゃないですか」

「船で行ける他の四つの町のことを?」

「ええ、それとバスで行けるもう一つの町を」

「バスで? ホーエンブルク以外に行けるところがあったのか」

「ええ、イーデルシュタインというところです」

 その地名も聞いたことがあった。ハーレイ氏はなかなかよく調べているようだ。俺がホテル探しにかまけている間に基本的な調べを済ませてしまったのだろう。こんなやり手がライヴァルでは先が思いやられる。

「それで、これらの町を調べるのに当たって、あなたにご相談がありましてね」

「協力して調べる提案かね」

「とんでもない、その逆です。協力するのは禁止されていますからね。共謀という嫌な言葉が定義されているでしょう?」

「そうだったな」

「それでつまり、これらの町に行くタイミングを、かち合わないようにしたいと思ってまして」

「なるほど、つまりお互いに相手の動向が目に入らない、気にならないようにしたいと」

「そうそう、そういうことです。あなたはやはり話の早い方でいらっしゃる」

「もう一人の競争者コンテスタントはどうする?」

「そうです、それもご相談したかった。僕はなるべく早い段階で他の競争者コンテスタントを探すようにしてるんですが、もう一人のそれらしい人物をまだ見かけてないんですよ。あなたは昼過ぎに港の突堤のところにいらっしゃるのを、ちらりとお見かけしました。もちろんその時は、もしかしたら競争者コンテスタントかもしれないと思った程度でしたがね」

 ハーレイ氏は“かもしれないマイト・ビー”のところをさりげなく強調しながら言った。

「この町にはいないかもしれないな。泊まるところがないから」

「そう、それは僕も考えました。他に五つも町がありますからね。スタート地点だってこの町じゃないかもしれない。そこでご相談したいのは、調査で行動している間に競争者コンテスタントらしき人物を見かけたら、その情報を共有しませんか、ということです」

 なるほど。同じようなことは、この前のステージでもやった。その時は俺の方から名無しの美人に訊いたんだったかな。まあ、競争者コンテスタントの動向が気になるのは誰しも同じということか。

「そいつが競争者コンテスタントと判ったら、同じように行動がかち合わないよう提案するつもり?」

「あなたのように話せる相手ならね。でも、秘密行動を好むような手合いなら、こちらもそいつをこっそり監視するまでです」

「なるほど。まあ、君の提案したいことは解った。現時点では、部分的に受け容れよう。明日の行動次第で最終的にどうするか決めたいが、それでもいいかね」

「ありがとうございます。それで結構です」

 ハーレイ氏はそう言って魅力的に微笑んだ。これならどんな女だって靡きそうだ。宿がなくて困ってるなら、どうぞどうぞという感じで泊めてくれるだろう。俺がマリーの家に泊まれたのも、多分に彼のおかげと言えるな。まあ、それもシナリオの内だろうが。

「ところで、俺からも一つ頼みたいことがある」

「何でしょう?」

「君は今、英語でしゃべってるようだが、ハンガリーの言葉で話してみてくれないか」

「ああ、お安いご用ですよ。では、自己紹介を繰り返しましょうか」

 ハーレイ氏はそう言って英語でない言葉を話し始めた。だが、頭の中で同時通訳はされなかった。

「ありがとう、じゃあ、今度はこの国の言葉で」

「うん? 何を確認しようとしてるんです? 『初めまして、ヨハン・ハーレイです。出身はハンガリーのブダペストです。デブレツェン大学の医学部で精神科の博士号を取得して、現在は大学の付属病院に勤めています。目下、休暇で旅行中』」

 今度は同時通訳された。しかし、やはりドイツ語風の英語とは少し違っている。しかもハーレイ氏が話している英語とも違っている。謎の語調だ。

「君は今、何語で話した?」

「アレマン語です。ドイツ語の変種である高地ドイツ語の、方言の一つです」

「そんな方言まで話せるのか」

「まあ、高地ドイツ語の方言ならいくつかという程度ですよ。オーストリアのドイツ語とかね。でも、どれも完全じゃないです。それで、何を確認しようとしてたんです?」

「君の頭の中では外国語が勝手に同時通訳されたりしないのかね」

「ああ、自動翻訳のことですか。最近、そんなステージがなかったので忘れてましたよ。なるほど、このステージの基本言語が何だかわからなかったんですね?」

「それだけじゃなくて、聞こえるのがドイツ語風英語とも違ってたんでね。どうしてそんな妙な訛りになるんだろうと思っただけさ。なるほど、ドイツ語の方言だったのか。つまらない実験に付き合わせて申し訳なかったな」

「とんでもない、面白い実験ですよ。自動翻訳は変なところで親切ですね。慣用句をその言語で適切に言い替えるとか、方言の訛りを再現するとか。そうかと思うと、適切な訳語がない時は訳さなかったりする。一番ひどいのは、中途半端に知っている言語だと、自動翻訳されなかったりすることですよ。かろうじて聞き取りができる言語のときなんか、早口でしゃべられると何を言ってるんだかさっぱり解らない……」

「ほう、そんなことが。じゃあ、俺みたいに英語しか話せない人間の方が恩恵を受けやすいんだな」

「そういうことでしょう。もう少しユーザー・フレンドリーなゲームであって欲しいですね。あっはは」

 その後、明日はそれぞれどこに調査に行くかについて打ち合わせる。食事が済むと一緒に宿へ引き上げた。電話を入れておいたので、マリーとその姉のゾフィーが待っていてくれた。ゾフィーはおっとりした、物腰柔らかな美人で、活発な感じのマリーとは対照的だ。俺が通されたのは2階の1室だった。2階には客室が八つもあり、ハーレイ氏は俺の斜め向かいの部屋に入った。部屋で荷物を開いていると、マリーと一緒に気難しい顔をした婆さんが挨拶に来て、その表情とはうらはらに、娘を助けてくれた礼を丁寧に述べてくれた。気位の高い感じの婆さんだったが、少なくとも“仕方なく泊めてやっている”という雰囲気ではなかった。

 その夜は、リーフレットを一通り読んだだけで、早めに寝ることにした。裁定者アービターとの通信には行かない。どうせ何も訊くことがない。

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