第7話 綾瀬 真理子
次の日曜日の午後。
なんだか無性にかつての我が家の方に行きたくなって出掛ける。
ゆっくりとした歩みで眺める街並み。こうやって見渡す街の雰囲気も今までの俺の資格とは違うものになっていた。今まで気に止めた事のなかった店にも思い出が甦る。
あの建物は、妻の
娘の美穂が生まれた頃にその場所は、パチンコ店にと変わり今ではガラリと雰囲気が変わってしまった。
ここは真理子とよく三人で買い物をした食品スーパー。買い物用のカートにチョコンと座る美穂が愛くるしかった、そして美穂を連れてきた公園。彼女は砂遊びが好きでそれを傍から眺めるのが俺の役割であった。少し成長した彼女を通園させた幼稚園。そうそう、向かいにある小学校で校庭を借りて運動会をやっていた。徒競走で転んで泣いていた美穂の泣き顔。桜の季節、小中学校への入学、卒業。そして高校生になる直前での突然の別れ……。俺の死・・・・・・。
色々と思い出しているうちに、懐かしい我が家へたどり着く。
玄関先を見ると美穂の赤い自転車が無い。どうやら彼女は何処かに出掛けている様子であった。
ふと門扉越しに家の庭を覗くとそこには植物の手入れをする女性の背中が見えた。
『少し細くなったかな……。』何度か、恋人の母親として彼女を見てきたが、自分の妻として彼女を見るのは十数年ぶりであった。
どうしようもない愛しさで俺の目から涙が溢れそうになってくる。
「あら、一条くん、どうしたの?何か御用かしら。美穂だったらお使いに行っているわよ。もうすぐに帰って来ると思うけど、よかったら上がって待つ?」俺の姿に気がついた真理子は声をかけてくる。彼女から見れば俺は青臭い高校生のガキのままである。
「こんにちは、ありがとうございます」言いながら俺は真理子に言われるままに、家の中に入る。改めてこの玄関を潜ると懐かしさが込み上げてきた。
「ちょっと待っていてね。美味しい紅茶を入れるわね」この『美味しい』という言葉を入れるのが彼女の口癖だった事を思い出して苦笑いした。
「どうかして?」不思議そうに俺の顔を見る。
「いいえ」誤魔化すように下を向いた。
真理子は、鼻歌混じりでお湯を沸かしながら紅茶のパックをティーカップ入れる。その光景を見て昔にタイムスリップでもしたかのような感覚に襲われる。彼女がキッチンに立つ姿がさらに愛おしい。
「どうぞ」彼女は俺の目の前に温かい紅茶を差し出した。向かい側の席に腰かけると、同じように紅茶を口にする。
「美味しい?」軽く首を傾げながら聞いてくる。
「ええ、とても」真理子の入れる紅茶を久しぶりに飲んで懐かしさが込み上げてくる。
しばらく二人の歓談の時間が続く。
「美穂帰ってくるのが遅いわね……、良かったらおかわりする?」言いながら俺の側にきてカップを回収しようとする。その後姿に抑えきれない衝動がこみ上げてくる。
俺は思わず彼女を背中から抱き締めてしまう。
「きゃ!どうしたの……一条君……」真理子は咄嗟の事で軽い悲鳴をあげながら少し抵抗する。
「ごめんなさい。少しだけ、少しだけ、このまま……、お願いだから・・・・・・」俺の頬には涙で微かに濡れていた。沈黙のまま、少し時間だけが過ぎていく。彼女の体から懐かしく暖かい温もりが伝わってくる。彼女の体をゆっくりとこちらに向けてその瞳を見つめる。
「あ、ああ……」真理子の体が少し震えている。その頬に軽く手を添える。柔らかい彼女の頬、それは懐かしい真理子の肌の感触であった。
俺は衝動的に彼女の唇に口づけをしそうになる。真理子も少し瞳を閉じてそれを受け入れようとしているように見えた……。
と、その時唐突に自転車のブレーキの音が玄関先の方から聞こえる。どうやら美穂が帰ってきたようである。その途端、俺は彼女に突き飛ばされて和室に腰をついた。
「おばさんを、からかわないで……」少し悲しそうな目をして少し乱れた髪を整えながら、仏壇の遺影に目を送った。
そこには彼女の夫の写真が優しく微笑んでいた。
「すいません……」俺は畳の目を見ながら陳謝した。そして自分の遺影を少し恨めしそうに見つめた。
「一条君・・・・・・、あなた達もそういう年頃だから、仕方ないとは思うけど・・・・・・、美穂とも節度を持ってお付き合いしてね……」真理子の顔は元通り母親の顔になっていた。
「俺、美穂には何もしません!絶対に!」咄嗟にその言葉を口にしていた。それは心の底から出てきた俺の声であった。
「変な子ね……」彼女は口元に手を添えて大人の笑みを浮かべた。
「ただいま!」玄関先から美穂の元気な声がする。買い物から帰ってきた様子だ。バタバタと廊下をかけてくる足音がした。
「お帰りなさい」言いながら真理子は髪の毛を手でもう一度整えた。
「あれ、直也君、来ていたの」美穂は少し恥ずかしそうに頬を赤くした。帰宅した家に俺がいた事に驚いたようであった。なぜか少しだけしおらしい乙女に変身したようであった。
「やあ……お邪魔しています」俺は愛想程度に右手をあげた。なんだか他人行儀な挨拶をしてしまう。少し気まずい空気が三人の間に流れる。美穂にはその理由は理解できないであろう。
「せっかくのいい天気の日曜日なのだから、二人で外に出掛けていきなさい。お母さんは家の掃除をしたいから……、邪魔、邪魔!」言いながら彼女は二人を手で追い払うような仕草をした。
「もう、お母さんたら!」美穂は
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