第7話 赤い髪のサラ
翌朝、アルトは気分よく目覚めた。
決戦の日である。
体調は万全だ。
昨日は良い事をしたばかりだし、なにか自分にも見返りがあってもおかしくない。
鼻歌でも歌い出しそうなアルトに、朝食時、食堂で時間が重なった同僚たちはため息を吐いた。
「いや、もうお前はそれでいいよ」
まるで人が何も考えていない能天気であるかのような言い草。
とても心外だ。
だが、まあ、彼らの強張っていた肩の力は抜けたようなので結果オーライかもしれない。
演習は昼前から始まった。
互いに初顔合わせであるため、内容はキツくはない。
髭隊長は全体の指揮を執り、演習項目を管理して立派に指揮官を務めていた。
さすが苦手なことは書類仕事のみと言われるだけの事はある。
最近はその書類仕事も、押し付けられることを察して逃げ回っていたロウがどういうわけだか、渋々ながら引き受けてくれるようになったと諸手をあげて喜んでいたので、つまり今の彼に死角はない。
どういう心境の変化なのか、ロウには聞いてみたいがどうせまともに話してはくれないだろう。
秘密主義がカッコいいと勘違いしてる類の男だ、たぶんアレは。
当のロウは女性騎士団の副隊長と演習全体が見渡せる丘の向こうで喧々囂々なにかを言い合っている。
いや、ロウはのらりくらりと躱して、副隊長が噛み付いているのだろう、多分あれは。
水色の髪が動きに合わせて右に左に揺れている。
彼女は随分と感情の発露が豊かな女性らしい。
そしてアルトの傍には怪物女。
……ではなく凛々しい雰囲気ではあるが出るところは出て引っ込んでる所は引っ込んでいる、女性らしい女性がいた。
女性騎士団隊長その人である。
筋肉モリモリとか、嘘じゃん。
誰もそんな事は言っていないが、アルトは誰とはなしに心の中で文句を言った。
それなりの長さの髪は少し高い位置で一括りにされ、風に揺らされている。
情報通り、見事な赤毛は空に映えてとても美しかった。
前世でいうオレンジのような髪を赤毛と言っているわけではない。
本当の、赤だ。
遠い記憶を探れば、「蘇芳」という誂えたような言葉を見つけた。
情熱の赤とは言うものの、サラからはその色に反して酷く冷めた印象を受ける。
多分、あまり感情を反映しない瞳のせいだ。
髪の色を深く濃くしていって、そこに黒を混ぜたならこんな色になるのかもしれない。
光が差し込んで輝くはずの瞳は沈んだ色のせいで吸収方面に特化してしまっているのだろう。
噂の女性騎士団は眺めてみれば、誰もかれも一定以上の見目を持っている。
確かにその任が王妃や姫の護衛ともなれば、見た目にも選定基準があってもおかしくはない。
その中で飛びぬけて目を引くのはやはり隣にいるサラだった。
「……なんだ?」
見られるのに慣れているのか、あるいは人にどう見られるのかなど先刻承知なのか、アルトの不躾な視線はそんな一言でぶつりと切られた。
「いえ、ただ……お美しいな、と」
戦女神を体現したような見目はどこからどうみても美しい。
顔も、肢体も、欠点すら突く隙がないとはまさにこの事かとアルトは感嘆する。
鍛えあげられたしなやかな筋肉はサラを一つも損なわない。
そこに生まれる美もあるのだと、同僚たちの筋肉自慢に全く同意できなかったアルトですら思った。
アリシアと並べたら女神が二人。
目が眩むこと必至である。
サラの口の端がくいと上がる。
多分笑ったのだ。
皮肉気に見えるが、もしかしたらただ笑っただけかもしれない。
「お前ほどではない」
嫌味に聞こえるが、ただの感想かもしれない。
なんとも掴みどころのない女性だ。
そもそもアルトが現在彼女の傍についているのはサラ自身の要望だった。
勝手がわからないだろうから誰か傍に、と髭隊長が若手をつけようとしたところサラは迷わずアルトを指名した。
予想外だ。
思わず周りを見回して助けを求めてしまった。
当然助けの手は差し伸べられず、現在アルトは軽やかに馬で駆けまわり様々な場所から演習を観察しているサラと無言の時間を過ごしている。
ちなみにアルトはサラの乗馬技術に舌を巻いて、ついていくのに必死で演習状況など見ている場合ではなかった。
さらに言うなら、指名をされてから思いっきり身構えていたのに、例の話は一向に出てこない。
むしろ会話がほとんどない。
詮索どころか、単に真面目に仕事に専念しているだけだ。
何を考えて王妃は彼女を隊長に据えたのだろう。
あまり喋らない彼女は権力闘争には不向きに思えた。
しばらくすると大変不名誉なことにアルトの限界がくる。
体力不足だ。
「あの、サラ隊長。少し休憩を頂けませんか」
切れ切れの息でそう提案するとサラは驚いたように馬を急停止させた。
じっと様子を観察されるのはさすがに居心地が悪い。
まるで嘘でも見抜こうかとでもいうような目だが、アルトに体力がないのは周知の事実でただの真実だった。
サラも少々首を傾げ気味だったが、嘘はないと認めたのだろう、素直に馬を降りてくれる。
「ありがとうございます」
「いや、私の方こそ気付かなくて悪かった」
なんとも出来たお人だ。
所属騎士団ですら最初は「冗談だろう? 頑張ればもう少しできるだろう?」とばかりに尻を蹴飛ばされたものなのに。
なんとか息を整えようと無理矢理呼吸を深くしていると、サラがぼそりと呟いた。
「お前は、……あまり男らしくないな」
え? と呼吸の調整を忘れてアルトはサラを振り返る。
失言だと思ったのはアルトではなく、サラ本人だったようだ。
「すまん、気を悪くしたなら謝る」
「いいえ、全然」
即答した。
悪意がある様な言い方ではなかったし、アルトは男らしさというものにまったく頓着していない。
そもそもが男ではなかったのでプライドの持ちようもないのだ。
確かに不躾ではあったが、それで気分を害する程アルトは狭量ではない。
だが、あまり感情を照らし出さないサラの瞳には少しだけバツの悪そうな色が浮かんでいるように思えた。
だからアルトも思ったことを口にする。
「あなたは、逆に随分と男らしいですね」
ぴんと伸びた背筋と、ぐっと引かれた顎はサラをより一層堂々と見せる。
馬を駆れば上半身は全く揺れない。バランス感覚の強靭さを窺わせた。
剣で距離を測るのが癖なのか、ときたま抜かれる剣筋の鋭さときたら、もはやアルトには目視すらできなかった。
言われて、面食らったように一瞬黙り込んだサラはアルトの気遣いにちゃんと気付いてくれたらしい。
「そう見えるか?」
ふっと涼やかな目が細まって、サラの口元がわずかに揺れる。
あまりにも小さな笑みの気配。
「そうとしか見えません」
女にしておくのが勿体ないほどの逸材だ。
重ねて言えば、サラが破顔した。
アリシアが月でリリィが太陽、アルトが散りばめられた星のように笑うのだとしたら、彼女は広い空のように爽快に笑う。
それにしても予想外過ぎる反応だった。
「どうしてソコでそんな笑顔になるんですか?」
はは、と彼女は今度は声を上げた。
今までわざと低い声を装っていたのか、笑い声は少し話し声より高かった。
「私にとっては褒め言葉だからだよ」
さすがは騎士団隊長。
普通の女性とは一味違うようだ。
なんだかな、とアルトは苦笑した。
気張っていた自分が馬鹿らしい。
「僕たち、混ぜて割ったらちょうど良さそうですね。ここまで正反対だと」
男らしくないアルトと、「男らしい」が褒め言葉の彼女。
肩を竦めてそう言えば、いたくその台詞がお気に召したらしいサラは心の底から愉快そうに笑った。
どこか豪快さを感じさせる大きな笑み。
「お前、アルトと言ったな。気に入った。どうだ、私に付いて来ないか? 王妃様に侍従を一人認められているんだ。もちろん性別に指定は受けていない」
ここにきてまさかの勧誘。
ニヤリと笑う悪い顔は、言われずともわかっているだろうと選択を狭めなかった相手の隙を突こうという確信犯の笑みだ。
なかなかどうして、強かな女性でもあるらしい。
「丁重にお断りしますよ。受けても針の筵でしょうしね。というか、サラ隊長はさきほどなぜ僕を指名したのですか? 自慢ではありませんが、僕はサラ隊長の目に留まるほどの実力はありませんから」
「……本当に自慢ではないな」
呆れたように言われた。
それからアルトの質問に律儀に考え込む。
「なぜお前を指名したか、か。……なんだろうな? 勘かな?」
本当に、深い理由はなかったらしい。
穿って考えていたアルトは肩透かしを食らった気分で、思わず安堵から笑ってしまった。
すると、心外だとその目が言う。
「私の勘はよく当たるんだ。馬鹿にすると痛い目をみるぞ」
少しムキになった声色。
瞳に感情が浮かばないなら、他をみればいいのだ。
どうやら彼女は別に無感情というわけでも、無口だというわけでもないらしい。
最初は見た目とぶっきらぼうな話し方のせいで人間嫌いなのかとも思ったが、話してみると案外気さくで、アルトはなんとなく彼女に好感を抱いた。
口下手というよりは人見知られなのだろう。
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