船出づる星に咲く花

千歳 一

第1話 アカシアと始まりの道

 どこまでも曇天が続く空の下。

 色彩を失ったかのような灰色の街並みを歩く、二つの人影があった。

 風化した路面の舗装の欠片を足で蹴散らしながら前を歩くのは、身の丈に合わないほどの大きいロングコートを羽織った銀髪の少年。

 その後ろを背の高い女性が付いていく。スカートのシルエットがやけに大きい漆黒のゴシックドレスに身を包んだ彼女は、地面に散らばったガラスの破片や土埃が気になるのか、しきりにスカートの裾を持ち上げていた。少年はコートの裾が路面に擦っていることも気にせずに、頭に付けた形の大きなヘッドホンに向かって何かを話していた。

「だーかーらー。なんで行っちゃだめなのさ! この前まで行けって偉そうに言ってたじゃん!」

「何度も言わせるな愚か者が。計画が変わったと言っているだろう。我が儘言うな愚か者」

 ヘッドホンからは少女の罵倒する声が、大音量で返された。

「二回も言わなくていいじゃん……」

「お前は百回言われようとも理解しないだろ。次の指示を黙って待て」

 少年は何か反論しようと口を開いたが、その間にヘッドホンがもう一言付け加えた。

。お前たちの存在意義はそれだけだ」

 そう言うと耳障りなノイズが流れ、プチっとヘッドホンから音声が消えた。

「シオン、どうかされたのですか?」女性が不思議そうに声をかけた。

「行き先変更だってさ」シオンと呼ばれた少年は振り返らずにそう言った。

「どう思う? せっかくここまで頑張って歩いてきたのにさ! アイリスからもリリィに何か言ってよ!」

「そうですねぇ」と、アイリスは首を傾げた。「おそらく、リリィさんはシオンとしかお話しないと思いますよ。以前に、私が声をかけてもすぐ切られた、ってこともありましたし」

「大体、『世界系の維持に資する行動』って何なんだよ。僕たちがこれまでリリィに命令されてやってきたのって、雑草抜きとか廃墟の掃除ぐらいじゃないか」

「地域の除染活動というのもありましたね」アイリスがそう付け加えた。

「この地上は生身の人間が生活できる環境ではありませんから。そこで私たち、の出番なのでしょう」

「そうは言うけどさ、もうこんな所に帰ってくる人間なんていないと思うんだよね。そもそも、僕ら以外のフォーチュンも全く見ないし……」

 シオンは地面の石ころを、器用に胸の高さまで蹴り上げた。それを手で掴むと、今にも崩れそうな雑居ビルに向かって下手なフォームで投げた。

「それは私たちの行動範囲が狭いからではないでしょうか」

 アイリスは目の前の地面に散乱しているガラスの破片を、履いているミュールで軽くいてから歩を進めた。

 シオンの投げた石は、三階の窓ガラスに命中した。

「お見事です」

「命中率はまだ七割ってところかな」

 シオンは次なる石を求めて、二人が歩く四車線の車道の間を見渡した。

「そう言えばアイリス、」シオンは振り返り後ろに声をかけた。

「いえ、今日もまだ」アイリスはそう言って、右腕の裾を捲って見せた。腕に搭載されたディスプレイには、着信を示す緑色のアイコンは点灯していない。

「通算ゼロ割かぁ」

 シオンは少し大きめの石を路肩で見つけ、手に取った。

「何だこれ、石じゃないのか」

 金属質な感触を持つそれの表面をシオンは手で撫でた。そして、投げにくそうだからと道の脇に投げ捨てた。


 地面に落ちた瞬間、石が轟音とともに爆発した。

 左からの強い爆風に吹き飛ばされ、シオンは尻もちをついた。幸い、四肢はもげていないようだ。アイリスは数メートル後ろから、何が起こったか分からないという顔をしていた。

「何なんだよ……」そう言って埃をはたいて起き上がろうとする。


 ギギギ……奇妙な音が響く。何の音だ? その音の方向へ目を向ける間もなく、

 電信柱がシオンに向かって倒れてきた。

「ぬぅおわっ!」シオンは格好の悪い前転で回避した。電信柱はシオンの背後に落ち、土埃とアスファルトの破片を辺りに撒き散らした。続いて千切れた電線が地面に打ち付けられ、断面から飛び出た無数の火花が路面を飛び跳ねた。

 未だ事態が理解できず呆然とするシオンをよそに、アイリスは折れた電信柱の根本に歩み寄り、何かを拾い上げた。手に持っていたのは黒く焦げた金属の部品。

「これ、クラスター兵器の子爆弾ですね」破片を座り込むシオンの目の前に投げた。

「ほら、さっきシオンが投げたやつです」

 アイリスが手を貸すと、シオンはやっとのことで立ち上がった。巻き上げられたガラス片がシオンの癖毛に絡まってキラキラと輝いている。

「フォーチュンでも腰が抜けるんですね」

「うるさいなぁ、もう」シオンがコートを叩くと、埃が舞い上がった。コートはあちこちが擦り切れていて、元の色が何だったかすら分からないほどだ。

「この電線の様子を見るに、この先に電力供給の設備があるはずです。ひとまずそこを目指しましょうか」

 アイリスの右腕のディスプレイには、電池残量低下を示すアイコンが点滅していた。

「いいでしょう? リリィ」

 アイリスがシオンに向かってそう言うと、耳障りなノイズとともにリリィが珍しく反応した。

「用事は手短に済ませろ。着いたら次の行き先を教えてやる」

「あーあ、誰かさんが行き先を間違えなきゃ、電池を無駄にすることもなかったのになー」

「随分と偉そうじゃないか小僧。私がそこにいたら、とっくの昔にお前の頸椎を折ってたぞ」

「お願いだから可愛らしい声で物騒なこと言わないで……」


 そうして、シオンとアイリスは北へ伸びる道を歩き始めた。汚い色で濁った空気はやがて歩き去る二人の姿を消し去り、町は完璧なまでの無彩色を取り戻した。

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