忠義の女騎士と暴君な王子
つばさ
第一章
第1話 戦の褒美
「よって私は、リーゼ・アースライン中将をこの度の戦の褒美として貰い受けたい」
煌びやかな大広間に涼やかな、然し笑みを隠しきれずにいる声が響いた。
リーゼは瞠目した。
目の前の男が何を言ったのか解らない。
いや、理解したくないと言った方が正しいか。
(ーーあぁ、全てが悪い夢だったら良かったのに)
アースレイア王国はエストテレア帝国との戦に負けた。
そして開戦前の条約により、アースレイア王国はエストテレア帝国の属国となることになった。
終戦後の二国の会合の場でエストテレア帝国の王はエストテレアの第三王子であり、今回の戦での軍隊の将でもあったタリアス・フォン・エストテレアには褒美として敗戦国から何か一つ好きなものを与えると言った。
領土か、金か、それとも属国となってからの地位か。誰もがそのどれかを選ぶだろうと思っていたし、私もそうだと思っていた。
だが、違った。目の前の男は、アースレイア王国の王族近衛隊長であり、今回の戦の将の一人でもあった私、リーゼの名を何故か出したのだ。
背中を嫌な汗が伝う。目の前の男が何を望んでいるのか解らない。王子という地位にいる男だ。女など望めばいくらでも手に入るだろう。私という一隊士より地位の高い、美しく聡明な女性なんていくらでもいる筈なのに。
「そ、それは、彼女を嫁として貰い受けたい……という事でよろしいのでしょうか?」
傍に控えていた私の青ざめた顔を視界に入れながらアースレイア王国の国王が問いかける。
しかし、その言葉を馬鹿にしたかの様に、男は不遜に笑った。
「嫁だと?馬鹿にするなよ。誰も敗戦国の敵将を娶ろうなんて思ってねぇよ。俺は、その女を奴隷として欲しいって言ってるんだ」
先程とは打って変わって乱暴な口調で紡がれたその言葉にアースレイア王国の広場に集まっていた者達がざわついた。
私はただでさえ青ざめていた顔が青を通り越して白くなるのがわかった。
敗戦国とはいえ、仮にも一国の近衛隊の長という地位にいる者を奴隷として望むなんて、正気の沙汰とは思えない。
戦が終戦してからひと月がたった今日の会合では、属国となったアースレイア王国にエストテレア帝国の王と第一王子と今回の戦の将であった第三王子が訪れ、この先の事について取り決めや新しい条約を結んでいたのだ。その最中に今回の戦の立役者であり、最も戦績を上げたタリアス王子に褒美として好きなものを与えるとエストテレアの国王が言った。そう、これは公の場でのやり取りである。
しかしその公の場で冒頭の言葉が放たれたのだ。
「奴隷だと?」
「いくら何でも……敗戦国の敵将だったとはいえ……」
「なんて野蛮な……」
ざわつく貴族や政府の役人達をタリアス王子がギロリと睨んだ。その瞬間、話していた者達は一斉に黙った。流石は今回の戦で最も多くの活躍を見せた男だ。彼の眼光の鋭さには人を殺せそうな迫力があった。
「どうなんだよ?親父。アンタはさっき何でも好きなものを望めって言ったし、そこのアースレイア王もそれを承諾していた筈だ。まさか今更撤回するって言うのか?」
エストテレア王はどう言葉を返すべきか悩んだ末、アースレイア王の判断をまず聞くべきだろうとアースレイア王に視線を向けた。その視線に答えてアースレイア王が言葉を紡ぐ。
「流石に奴隷としてというのは……敗戦したものの、彼女は今回の戦でも大いに貢献してくれた。恐らく我が国では一番の活躍をみせていた者は彼女であるし、本来なら褒美が与えられる立場であるものを……」
「敗戦国となった今じゃそんなの功績でも何でもねぇだろ。関係ねぇよ」
王子の言葉にアースレイア王は反論出来ずに顔を俯けるしかなかった。そのやり取りにエストテレア王は苦い顔をした。アースレイア王国の政府の役員と貴族が集まる場でとりわけ最前列にいた若い夫婦ーー私の両親に至っては私と同じように顔を真っ青にしていた。
「……わかりました」
リーゼは覚悟を決めた。
このままでは拉致があかない。それに粗暴な口調と言えど、タリアス王子の言葉は正論だ。国王が一度言った言葉を撤回するなど、あってはならない。
仕方の無いことだ。これ以上長引かせて更に無理難題を突きつけられれる前にと、私は了承の言葉を口にした。しかし、私の返事に両親が悲痛な声を上げた。
「リーゼ……!」
「了承する必要などない! いくら何でも奴隷など……!」
本当は私だって嫌だ。今も本当は脚が震えてる。でもだって、しょうがないだろう。目の前の男はそれを望んでいるのだ。
「……王が一度言った言葉を撤回するなど、あってはなりません。それは、一度了承した私とて、同じ事。……敗戦した時に、私は一度死んだものだと思いました。命がある分、有難いことでしょう。此度の戦では生きて帰ることができなかった者も大勢いるのですから」
一度失った命だ。その命をこの国の為に使えるのなら、それも悪くは無いかも知れない。
私の言葉にタリアス王子はにやりと笑った。
白金の髪と、紅玉の瞳を持った整った顔からは想像出来ない、"死神"の異名を持つ男。
私はこれから一生、この男の物として生きていくのか……。
一度目を伏せ、開く。騎士とは、国に命を捧げるものだ。この国を離れることになっても、この誇りだけは捨てるつもりは無い。その決意を胸に、正面に掲げられたアースレイア王国の紋章を見つめる。
私の意思を探るようにこちらを見ていたエストテレア王は私の瞳に変わらない覚悟を見たのか、一度深く息を吐き、タリアス王子に言った。
「……わかった。ではリーゼ隊長本人の了承を得たのだ、彼女は息子、タリアスが貰い受ける。しかし、最低限の人権や意思は守り、尊重する様に約束しよう。それで良いな?タリアス」
「ああ、ソイツが手に入るんだったら何でも良い」
タリアス王子は意味ありげに瞳を細めてこちらを見遣ると、口元に笑みを浮かべた。
そうして数ヶ月後、私は住み慣れた祖国を離れ、エストテレア帝国の第三王子、タリアス王子の屋敷へと向かうことになった。
「アースライン中将!!」
見送りに来たのか、これまで共に王族近衛隊として私の元で働いてくれていた者達と此度の戦で命を預けあった仲間が大勢駆けつけてくれた。中には既に涙ぐんでいる者までいて、思わず苦笑してしまう。
「お前達……仕事はどうした?」
敗戦国としてエストテレアの属国となるとはいえ、アースレイアという国はそのまま残ることになった。つまり、彼らはこれからも今の地位のまま仕事につく事が出来るのだ。
「アースライン先輩の出立を前にしてそんなこと言ってられませんよ!! 皆、皆貴方には感謝して……憧れているのです!」
「そうです! いつか貴方の隣に立てるようにと努力して来た者は大勢いるのに、それを、あのエストテレアの死神め……!」
「こら、滅多な事を言うんじゃない。これからエストテレアの王族はアースレイア国にとって従うべき相手となるのだから」
私の言葉に誰もが沈んだ表情になってしまい、慌てて見送りに来てくれたことへの感謝を示す。
「……ありがとう。来てくれて、嬉しいよ。もうなかなか会うことは出来なくなるだろうけど、皆、元気で」
「……はい!」
「どうか、お元気で!」
「アースライン中将への感謝は忘れません!」
もう中将ではないのにこの数ヶ月、彼らは頑なにその呼び方を変えなかった。その気持ちが嬉しく、そして余計に寂しさを感じてしまう。
同僚の仲間達とは昨夜王国の大通りの飲み屋を貸切にして開いてくれたお別れ会の中で存分に別れを惜しんだ。
両親とは、今朝。出立前に最後に王城へ向かう前に。母は泣いていた。父は涙こそ流していなかったが、普段は厳格な態度を崩さない威風堂々とした気迫が形を潜め、心配を滲ませた表情を隠そうともしなかった。
若い頃は優秀な騎士であった父は戦争で怪我をしてからは兵士に訓練を施す将官となった。
私はそんな父に憧れ、騎士を目指した。
騎士としての心構えや生き方は全て父に教わった。
この国を離れても私の骨の髄にまで刻まれたこの生き方は変わる事が無いだろう。だから、母とは別れを惜しむ中でも、父とは特に言葉を交わさなかった。ただ一度見つめあって、お互いに頷いた。父はいつだって言葉無精な人だったが、言葉以上に目で多くのことを語ってくれた。
王族の方々にも挨拶は済ませた。もう、この国をでなければいけない。
私が生涯仕える事を誓ったアースレイア王国。
この国を去る日が来ることなど、想像もしていなかった。
だが、この地を去ろうとも捧げた忠誠心は消える事など無い。
だから、私の魂はこの国に置いていこう。
これから私はあの男の奴隷として、生きていかなければならないのだから。
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