第9話 これからのこと
「戦闘にはほとんど使えないレベルだけど、初期魔法って少しでも使えると結構便利なんだよ」
簡単な火魔法以外にも水魔法が使えるらしい彼女は、自ら生み出した水でどんどん食器類を洗浄していく。
その手際もなかなかのもので料理も片付けも出来ないディアナとフォルディスは関心したようにそれを眺めていた。
「それであんたらはこれからどうするつもりなんだい?」
アシュリーは食事の後片付けをしながらそう問いかける。
『先ほど話したように我らはこれからいろいろな町を回って美味しい物を探すつもりだが』
「そうそう。そのために家から宝石も一杯もってきたしね。途中の村じゃ換金出来なかったけど大きな町に行けばそれなりになると思うし」
無邪気に笑うディアナを見て、風魔法で食器に着いた水気を飛ばしながらアシュリーは大きくため息をつく。
「本当にあんたらって世間をまったく知らないんだね」
ある程度水気を飛ばした食器を、今度は火魔法と風魔法を使い乾かしつつアシュリーは二人の物知らずに言い聞かせるように語り出した。
「ディアナ、アンタのその宝石は町では売らない方がいい」
「どうしてよ」
「お前、貴族の家から逃げてきたんだろ? そんな珍しい宝石なんぞ売り払ったらあっという間に足が着くぞ」
せっかく山の魔獣に食べられたという偽装をしてきた意味が全て無くなるとアシュリーに言われ、ディアナはがっくりと肩を落とす。
幸い先日村で売り払う事が出来た物は一般流通で売られている程度の物だったため危険性は少ないだろうが、今ディアナが持っている宝石類はどれもこれも一品物である。
それもこれもディアナがなるべく高く売れそうな物を選んで持って来てしまったせいなのだが。
『我には物の価値はわからぬ』
がっくりと肩を落とすディアナに対してフォルディスは横になりつつ大きく欠伸をして我関せずの態度だ。
確かに山奥でずっと生まれ育ち、長い間封印されていた彼に人の世界の価値観はわかるはずも無い。
「フォルディスも聞いておけ。これからお主たちはこの世界を旅するのだろう? だったら世間的な一般常識くらいは覚えておかないととんでもないことに巻き込まれかねない」
「フォルディスがいれば大抵のことは大丈夫じゃないかな」
『うむ。どんな輩が襲いかかってこようとも我は負ける事は無いだろう』
無駄に自信満々に鼻を鳴らすフォルディスと、その体に飛びついて「さすがフォル!」と飛び跳ねているディアナをアシュリーは軽く頭痛を覚えた頭を押さえながら首を振る。
「力だけでどうにかなるほど世間は甘くない。そもそもお前たちはつい今し方餓死しかけてただろうに」
『むぅ。お主がいなければ普通に森の獣を狩って糧にしていただけだぞ』
「果物だってフォルの鼻で直ぐに見つけられたはずだもん」
全ての食器を片付け終えたアシュリーが、最後にご自慢のフライパンを背中に担ぐとディアナたちの前にどっかりと座り込み二人の目を見つめる。
その目には呆れが見て取れる。
「それは偶然ここが森の近くだったからだろ。もし森から離れた場所だったらどうするんだ。あと町の近くだと本業ハンターや冒険者たちもうろうろしているんだぞ。その中をフォルディスのような魔獣がそのまま彷徨いていたら襲われても文句も言えない」
「でも使い魔を使って狩りをしている人も一杯居るって学校で習ったわよ」
「話を聞く限りお前はフォルディスの『使い魔登録』をしていないんじゃ無いのか?」
「使い魔登録……って何?」
「学校で習わなかったのか?」
「うん。そういう物があるから町中で魔物を見かけても驚かないようにって話だけだったわね」
ディアナのように政略結婚で嫁ぐために育てられたような娘に学校が用意するカリキュラムは、そういった知識では無く社交界での振る舞い方や貴族としての礼儀作法、ダンスやお茶会などが主であった。
簡単な一般教養は教えられる物の、一般庶民のような知識は必要とされないのである。
むしろ余計な知識は与えないというのが学園の貴族という世界の方針だった。
「はぁ……お前ら。このまま大きな町に行けば直ぐに捕まって牢屋送りだぞ。フォルディスにいたってはその場で退治されてもおかしくは無い」
『我が脆弱な種族ごときに倒されるわけが無かろう』
「そういう話をしているんじゃない! 本当に常識知らずにもほどがある」
アシュリーは大きくため息をつくとフォルディスの目を真剣な瞳で見据えながら説教を始めた。
「お前が簡単に倒されるタマでないのは簡単にあしらわれた私にはよくわかっている。だが一度でもお前が人に敵対する危険な魔獣と判断されれば、その時はもう二度と人の町にお前は入ることは出来ない。それどころかギルドに討伐指令を出され、延々と追い回されることになるだろう」
『全て蹴散らせば良いだろう』
「そんなことをすればお主と一緒に旅をしているディアナは処刑されるぞ」
「ええっ、せっかく逃げてきたのに捕まって処刑されるんじゃ意味ないじゃない」
『お主、我に喰われて死ぬつもりでは無かったのか?』
「それとこれとは話が別よ。それに今の私はもう貴女に食べられたいとか死にたいなんて思ってないわ」
『そうなのか?』
「だって私たちはこれから世界中を旅して美味しい物を食べまくるって決めたじゃ無い。だから町に入れなくなったりお尋ね者にされるなんてごめんだわ」
ディアナはそう宣言するとアシュリーに「それじゃあ使い魔登録ってどうすればいいのか教えて」と詰め寄る。
今にも顔がくっつきそうなくらい迫られたアシュリーはディアナの肩を掴むと「とりあえず落ち着け」と押し返し、腰に下げた袋から一枚の羊皮紙を取り出すとその場に広げた。
そして、その地図にディアナとフォルディスが興味深げに目を向けたのを確認してからアシュリーは地図を指さす。
「これがこのエンバス王国の地図だ。そしてここが今我々がいる森。そしてお前たちが住んでいたメンバクの町と山はここだな」
右から左へ指を動かすアシュリーに、ディアナたちは頷き答える。
勢いに任せかなり遠くまで来た気がしていたのだが、地図で見るとたいした距離をまだ移動していないように見える。
「地図で見ると近く見えるだろうが、実際はこの地図は私の人差し指の幅、大体一サンチメルで徒歩一日分の距離だ」
「とするとメンバクから途中に寄った村までで実際は徒歩二日以上かかるのね。ここまでだと三日かな。だとすれば追っ手はもうさすがに大丈夫そうよね」
『お主はずっと我の背で眠っておったからな』
あの日、疲れ切ってフォルディスの柔らかな背中に埋もれたディアナはそのまま熟睡してしまったために、フォルディスがどれだけの距離を駆けたのかわからず、この時初めて自分が今居る場所を知ったのだった。
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