第10話 「何だこれは!」
ローズ・マダー大佐は機械のスイッチを思わず切っていた。傍らのコーラル中佐も、その顔は色を失っていた。
「今のは何だ? 大佐――― 貴官ではないのか?」
セルリアン准将は眉をひそめて訊ねる。
「如何にも私だ……」
「裏切り者?」
熱血な中央の将官は声を低めた。ローズ・マダーは大きく首を振る。
「だが何のことだかさっぱり判らん!」
「だが大佐、今の映像は、コルネル中佐の記憶そのものです。機械は正確だ。つい最近行った尋問でもこれは有効な」
コーラルは声を震わせながらも、彼の上官に適切な意見を述べようと努力する。
「知らんと言ったら知らん! これは罠だ!」
ローズ・マダーは声を張り上げた。するとインディゴ大佐は冷ややかな笑いを唇の端に浮かべた。
「罠! ほう、罠、というだけの何やら貴官には思い当たるふしがあるのですな?」
「仲間割れはいけませんぞ」
カドミウム大佐がおずおずと口をはさんだ。
だがローズ・マダーは明らかに動揺していた。その様子は横で見ているコーラルにも一目で判った。彼も彼とて動揺していたのだ。
この映像が誰のものであるのか、ローズ・マダーもコーラルも既に理解していた。あの視点で出来事を見られる人物は、たった一人しかいないのだ。
だがこのことは、現在の「同志」たる治安維持部隊の将官には知られない方が良いことである。
彼ら二人は過去、惑星一つ巻き込んだ軍部の「反乱」に首謀格として参加していた。それは現在の状況と大して変わるものではない。
だがその時は、充分な武力がクリムゾンレーキに常備されていなかったことから、事態はあっさりと帝国本軍への全面降伏という形に集束されていった。
そしてそこにはスケープゴートが必要だった。その時にスケープゴートにした士官の名は――― 確か―――
ローズ・マダーは扉を大きく開けはなった。そしてガラスの向こう側へ入ると、コルネル中佐に取り付けられていた装置を一気に取り外した。
炎のように赤い髪がざっ、と揺れる。
ぐっと彼の襟を掴むと、いきなり殴りつけた。ぼんやりと彼の目が開く。
金色の目がぎらりと、ローズ・マダーを上目づかいににらみつけた。
「貴様は誰だ」
「……」
「答えろ」
「コルネル中佐。軍警コンシェルジェリ地区担当――― 三年前まではサルペトリエールの―――」
「そんなことを聞いているのではない!」
今度は逆方向からローズ・マダーの殴打が飛んだ。二度、三度と飛んだ。どうやら口の中が切れたらしい。唇の端から血が流れる。
ちら、とコルネル中佐はガラスの向こう側を見て確認する。
まだメンバーは変わっていねえな。
きちんと、こいつを含めて五人居るよな。
セルリアン准将、インディゴ大佐、カドミウム大佐、コーラル中佐、そしてこのローズ・マダー大佐。
「五人組」だ。上手くひっかかったものだ。上等。
だが妙な雰囲気が流れているのに彼は気付く。自分が神経拷問の装置にかけられていたことを思い出した。そしてその効果の程も。
彼は普段、軍警でそれを使う立場だった。
多少その機械のレベルがアップしたところで、根本的なところは変わるものではない。
確かにいい効果だ。自分でなければギブアップしているだろう。
だからそれがどういう映像を彼らに見せていたのか、彼はそれをよく知っていた。自分の今まで見ていた光景。
奴らはそれを見ているのだ。済んだこととは言え、あの炎はやはりあまりいい記憶ではない。確かに思い出したくない記憶ではある。
だがわざわざ見せられたのなら、利用しない手はないのだ。
奴らは、明らかに動揺している。
「誰だと答えて欲しいんだ? ローズ・マダー」
ふっと彼は笑う。ローズ・マダーはその表情に背筋が寒くなる。何だこいつは。
そして次の瞬間、彼は信じられないものを見た。
伸びている。
金属の拘束具が伸びつつある。
コルネル中佐の腕の動きにつれて、次第に広がっているのだ。
「―――!」
目が大きく見開かれる。
これは人間の力じゃない!
ガラスの向こう側の四人は、何事が起きたか、と視線を集中させる。
いきなり身体をのけぞらせ、恐怖と驚愕をいっぺんに顔に表した「同志」の姿。滅多に見られたものではない。
その位置からでは彼らはコルネル中佐の腕までは見えない。
「全くひでえ記憶だ。俺は二度と焼かれたくはないね」
「―――***!」
ローズ・マダーは思わず記憶の隅に追いやっていた名を口にしてしまった。全身の血が逆流するのを感じる。
「ああそんな名の奴も居たっけな」
「いや嘘だ! お前はそうだ、そうだ、心理作戦だろう! 奴の記憶を合成して、わざわざ私達を動揺させようと」
ぐにゃり、と次の瞬間、拘束具があめ細工の様に曲がった。ローズ・マダーはその様子を見てとうとう悲鳴を上げた。
そして彼は一気にそれを延ばし、椅子から引きはがし、頭から抜き取った。
ガラスの向こう側の四人も何が起こっているのか理解ができたらしい。逃げるべきか、立ち上がって扉を開けようかと戸惑っていた。
だが彼らは、意外と彼らの旧式の機械を信じていたらしい。
神経拷問にかけた奴なら、五人も居れば、何かあったとしても、充分取り押さえられると思ったのかもしれない。
「動揺したのか、ローズ・マダー。お前にもまだそんな人間みたいな心が残っていたとはな」
くくく、とコルネル中佐は笑う。
「だがな、俺はお前なんぞを動揺させるためにそんな細工をする程、暇じゃあねえのよ」
音を立て、銃やサーベルを手にした四人が飛び込んでくる。
「俺はね」
金色の目が光る。
「この瞬間を待っていたんだよ」
目標が自分の至近距離に入るのを。
一瞬のことだった。
右手の爪が、恐ろしく長く伸びた。
それが、残像を伴って、ひらりと。
血吹雪が飛んだ。
彼の爪の動線の位置に居た「五人組」の首は恐ろしく鋭い刃物でぱっくりと切り裂かれていた。
「―――」
仰向けに倒れたローズ・マダーは何が起こったのか理解できないまま、自分の身体が床に倒れる瞬間を感じていた。
コルネル中佐は顔にかかった血を汚げに拭う。
そして伸ばしたままの爪をぴくついているコーラルの胸に突き刺した。まだ感覚があったのだろうか。一瞬ひっ、という声が飛んだ。
だがすぐに動きは完全に止まった。
彼はコーラルの死体を蹴転がし、部屋の隅へと押しやった。あいにくと用件はもう一つあるのだ。
ぐい、と左手で倒れたローズ・マダーの襟を掴むと、上半身だけを起こさせた。切りつけられた首から、血が彼の左手にもだらだらと流れる。
彼はローズ・マダーの腰のサーベルを抜くと、一度その身体を放り出した。放り出された拍子に、何処かの骨が折れた音がした。
サーベルで、改めてセルリアンやカドミウムの既に息絶えた身体を切りつける。そしてまだ息の残っているローズ・マダーの胸をぐい、と踏みつけると、二人の血の滴ったサーベルを目の前にかざした。
お前はいったい誰だ、とローズ・マダーは出ない声で、それでも懸命に口を動かした。
「少なくとも人間じゃねえさ」
くくく、と彼は笑う。ぺろり、と自分の爪についた血を軽くなめる。まずいな、と彼は嫌そうな顔をしてつぶやいた。
助けてくれ、と大佐の唇は動いた。自分を踏みつけにしている相手に向かって、目にはひたすら哀願の情を込めて。
復讐か? 復讐なのか? 唇は問いかける。
「違うね」
彼は素気なく答える。
「そんなもの。ローズ・マダー、お前はあの時自分が生き残りたくてそうしただけだろう?」
そうだ、と彼は目を大きく開ける。
私は今回もだから生き残らなくてはならないのだ。
「生き残らなくてはならない? 馬鹿か。別にお前が生き残らなくとも、クリムゾンレーキの誰の害にもなりゃしないさ」
何。
「だがなローズ・マダー。俺は別にそんなことどうだっていいんだよ」
大佐の全身に恐怖が広がった。
「あいにく俺もな、ただ生きたいだけなんだよ」
彼は大佐のだらりと投げ出された手を取ると、サーベルを握らせた。それを自身の半分切りつけられた首に突きつけさせる。
ローズ・マダーの瞳は、恐怖に大きく開かれる。
鼻の穴が、口が、穴という穴が、これでもかとばかりに大きく。
コルネル中佐は容赦なく言う。
「今度はちゃんとてめえのやったことに責任を持ちな」
手に力が込められた。
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