第11話 目聡く息子を見付ける兼雅

 一方、仁寿殿の方では仲忠の姿が見えない、と大騒ぎになっていた。


「退出したのか?」


 帝は眉を寄せる。


「いえ、その様な知らせは受けておりません。確かに陣からは出てしまわれた様ですが、随身は残しておりますし」

「……逃げたか」


 帝は思わず苦笑する。


「先程まで左近衛の幄舎で箏を様々に弾じていたのだから、まさか退出はしていまい。探して連れて参れ!」


 だがその周囲を探す者達はからは口々に「中将どのの姿はありません~」という言葉が続くばかりである。

 仕方ない、とばかりに帝は父である兼雅を呼び出した。


「お呼びで」

「ああ兼雅。仲忠にどうしても会って頼みたいことがあるんだが、あれの居所をそなた、知っておるか?」

「おや、只今まで居りましたのに。退出したのでは?」

「では呼んで参れ」


 はい、と兼雅は素直に従う。

 少しして戻ってきた彼は、これまた予想された答えを返してきた。


「退出した様にも見られません。おかしな話でございます。おや、涼の中将がいらっしゃる」


 涼は黙ってすっと頭を軽く下げる。


「もしや、琴をお聴かせする様にあれにお命じになったのではございませんか?」

「如何にも」

「ああ! それでか! 早々と察知して逃げたのでございましょう。我が子ながら、あれは全くもって変わり者ですから。ともかく琴のこととなると、何かと言うと姿を隠して逃げてしまう」

「親にそう言われるまでの変わり者だったのか」


 ははは、と帝は笑った。


「ともかく暫くは御琴はお隠しになり、涼中将も御前に居ないで退出するのだと言い触らしてお隠しなさいませ。でないと、あれは勝手にそのまま退出してしまうでしょう」

「確かに」


 助かった、とばかりに涼はその場を立った。

 そして近くに居た頼純にこう告げる。


「私は退出致しますからね。もしも主上のお召しがございましたら、気分が悪くなったとでも奏上しておいて下さいな」

「ちょ、ちょっと涼どの」


 頼みましたよ、とばかりに涼はその場からぱたぱたと立ち去る。

 彼には仲忠の逃げ場所の想像はついていた。

 藤壺だ。



「あー、やっぱり居たな」


 誰、と仲忠は振り向き様に誰何した。


「私だよ。君のお友達の涼君ですよ」

「何だ、あなたか」


 仲忠はほっと胸を撫で下ろした。


「私じゃあ悪かった?」

「そんなこと無いよ。でもどうしてここに? 帝からあなたはお召しがあったのでは?」

「どの口がそう言うんだい」


 そう言って涼は仲忠の口を横に引っ張る。


「君が居ないって帝が怒ってらしたぞ。君は私すら秋風の様に袖にしたんだな」

「や、そんな訳…… だけど。ごめん」

「君らしいと言えばそうだけど。帝がしきりに探してらっしゃるよ」

「困ったなあ」

「で、ここに隠れた、と」

「僕のことなんか、放っておいてくれればいいのに」

「そうも行かないさ。琴のこととなると帝も院も皆目の色変えていらっしゃる。で、今君の父上が帝の御命令で、君を探してる次第」

「……父上かあ」


 仲忠はため息をつく。


「あのひとは、妙に僕を探すのが上手なんだよ」

「父上に嫌だとは……」

「言えるよ。ふん、今晩は親も子も無い」

「そう言うと思った」


 はっはっは、と涼は笑った。

 女房達もそんな二人のやり取りにこっそりと楽しんでいた。

 当代一、二を争う二人仲良くじゃれている姿は女達にとっては目の保養である。


「私にも琴を弾く様に言われて、困ったものだったよ」

「でしょうね」

「一応帝は、畏れおおくも私のきょうだいに当たられる訳だけど、本当、こういう時には肉親もへったくれも無いね。でも君を探す、という口実で何とか抜け出してこれた」

「ふふん、僕のお陰を蒙ると、そんな嬉しいことが結構あったりするかも」


 彼らがそんな戯れ言を交わす間に、藤壺の奥から二人をもてなす酒の肴が出されて来た。

 もてなしを受けつつ、二人は話を続けた。


「けど私にも今日は残念なことがあったんだよ」

「何?」

「君が今日は必ず御前に参上すると思ったからさ」

「そんなことで何が残念なのさ」

「何言ってるんだ。私だって君の演奏は聞きたいんだよ。左のなみのりが勝つことより、君の演奏のほうが十倍も凄いことだよ」

「そんなこと無いさ」

「私だって君がそうするなら、と用意してきたこともあるのに」

「用意?」

「ああ、それも駄目になってしまったなあ。所詮君の僕に対する友情というのは、そんな程度のことなんだなあ」

「涼さんまでそういうことを言うんだ」


 仲忠はむきになって返す。


「でもね、僕だって笙の笛を調べる時、あなたがここに居てくれれば、と思ったんだからね」

「そうなんだ?」

「そうだよ」

「でしたら」


 奥から声がした。


「ここでお二人の演奏を私にお聴かせ下さい」



 その様に二人が藤壺で宜しくやっている間、仁寿殿で帝から仲忠を探すように言われた者達は右往左往していた。

 近衛司から派遣された者は屋敷の方へと訊ねてみる。その他の少将等も、宮中を隈無く探し回っていた。

 そして兼雅は、と言えば。

 彼は何となく、父ならばでの想像がついたのか、殿上童を一人連れて陣ごとに回り、仲忠の行方を求めていた。

 車も随身もまだ残されていて、戻った様子は無い。

 ならば、と彼は皇后の御殿である常寧殿を皮切りに、後宮の方へと足を進める。

 そしてそれぞれの局を一つ一つ伺っているうちに、藤壺のほうから箏と琵琶の合奏が聞こえてきた。

 彼は自分の想像が当たったことに苦笑した。


「……どうなさいましたか?」

「お前、この演奏をどう思う?」

「え? はい、とても素晴らしいとは思いますが、以前ちらと聞かせていただいた仲忠さまのとは」

「と、思わせるのがあいつの悪いところなんだよ」


 そのまま彼は藤壺へと足を向けた。

 上手な奴というのは。彼は思う。こういうことが出来るから厄介だ、と。

 彼らはあえて調子を変えて弾いていたのだ。童は誤魔化せても、兼雅の耳までは。

 彼は飛び抜けてはいないにせよ、優れた風流人なのだ。



 がさ、と人の気配に二人はふと手を止める。


「ああ、居た居た」

「父上」

「兼雅どの」


 童一人だけ連れた兼雅の訪れに、仲忠は本気で驚いていた様だった。


「やっぱりなあ。仲忠、帝がお召しだというのに何をやっているのだ? 早く出て来なさい」

「そのまま退出したと奏上してくれませんか? 気分が悪くて」

「何処が」


 ぽん、と兼雅は息子に言い放つ。


「ここでこんな優雅に演奏している奴を、そんな嘘で取り繕うことなんてどうして私が出来ると思うか?」

「けど」

「ああ全く見苦しいな。だいたい帝も、『退出しました』と聞かれても『では迎えにやれ』とおっしゃられたんだ」

「……」


 仲忠の表情が歪む。


「だいたい随身も乗り物もあるんだから、退出したも無いだろう。屋敷の方には近衛司の連中が行ってるし」

「何で僕をそんなに呼びたいんですかね」

「決まってるだろう。そなたの琴が優れていすぎるからだ。観念して出て来るのだな。このままじゃ私が『息子可愛さに隠しているのだな』と思われてしまうのだがな」


 はあ、と仲忠は大きくため息をついた。涼はそれを見てくす、と笑う。


「だいたいそなたはいつもそうだ。殿上の交際にしても、あんまり我が儘なことが多いので、私はいつも冷や冷やしているのだぞ」

「私は弾けない時には弾けないと言っているだけですよ」

「それが我が儘だというのだ。そもそも帝の御命令に従わない者は居ない。居てはいけないのだ」


 兼雅は本気でそう思っている。涼は感じた。良い意味で実に単純だ、と。

 しかし息子は違う。


「それを畏くも帝ご自身からお召しになり、我々皆一斉に探すようにという程なのに…… 宮中に伺候している身であるのに、仰せに背くとは何ってことだ。早く参上しなさい」

「今夜だけはお許し下さい」

「あのな、仲忠」


 道理の判らない息子に兼雅は呆れ半分失望半分で言い諭す。


「今ここでそなたの我が儘を通してしまうと、恨まれるのは私なのだよ」

「……」

「それはたまったものではない。今日何も起こらなかったとしても、後々何があるか判らないぞ」


 成る程その様に兼雅は帝のことを思っているのか、と涼は冷静に思う。


「ともかく今日だけは引きずってでも行くぞ。そなたはしばしば人付き合いだのしきたりだのを軽んずるが、形だけこなしていれば何とかなる、ということがこの世には多いんだ。帝はそなたが居ないというだけでご機嫌斜めであそばされたのだぞ。ほら」


 そう言うと仲忠の手を掴んで立たせ、そのまま引き立てて行った。

 御簾の側では、兵衛の君がくすくす、と笑っていた。


「どうしました?」


 涼は彼女に訊ねる。


「いえ、兼雅さまが」

「兼雅どのが何か? 大変そうですね」

「ふふ。仲忠さまのことで頭が一杯だというのは判るのですけど」

「だけど?」


 涼はにや、と笑う。彼女の言いたいことが何となく察せられた。


「だって、ここが藤壺だというのに、いつか結構ご執心してらした御方さまのことも、ましてや涼さまのことも全く気付かないご様子だったのが、私、可笑しくて」


 そう言えば、と孫王の君もくす、と笑う。


「仕方無いですね。私は彼ほどの有名人では無い。さてこれから彼の活躍を見に行きましょうか」

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