第34話 お好み焼き(3)

 しばらくすると再度店員がやってきて、また蓋を取って裏返し、焼き目を確認して再度裏返す。


「じゃ、焼けましたのでソースから順に塗っていきますねー」


 店員がお好み焼き、モダン焼き共にソースを刷毛でべったりと塗ると、ソースが垂れて鉄板で焦げて香ばしくもスパイシーな香りが広がってくる。

 次にかつお節、青海苔を振りかけると、最後にこの店名物のマヨアートが始まる。


 店員がお弁当用のマヨネーズの縁を切ると、器用にもマヨネーズでお好み焼きの上に絵を描き始める。

 クリスには通天閣、シュウにはビリケンさんの絵が描かれた。


「あ、これ……窓から見えるやつだ」

「そうだな、あれを見てたのか……通天閣といって、この街のシンボルのひとつだよ」

「へぇ、そうなんだね。なんか食べるのがもったないなぁ」


 クリスは色んな角度から出来上がったお好み焼きを眺めて楽しんでいるが、ふとシュウのモダン焼きの方に目を止める。


「で、そっちの絵はシュウさんの似顔絵?」

「いや、似てないだろう? これはビリケンさんと言って、その通天閣の展望台にある幸運の神様の像を描いてあるんだ」

「そうなんだね! でも似てない? 似てる? んんっ?」


 クリスもようやくシュウに慣れてきたようで、シュウをからかうことを覚えたようだ。

 シュウとビリケンさんの絵を見比べるようにしてふざけてみせる。


 なにかモヤモヤとしたものが心の中に湧き上がるが、シュウはこれはクリスが本来持つ明るさであり、それだけ打ち解けてきたという証拠なのだろうと理解すると、ビリケンさんに似ているかどうかは忘れて食べ方の説明を始める。

 鉄板の下にはまだ保温のための火が着いているので、このままだと焦げ始めてしまうからだ。


「このコテで鉄板に垂直になるように差し込んで切る。たぶん、豚肉が切れにくかったらコテを動かして力を入れて切るしかないな。ある程度の大きさに切ってから皿に移して箸で食べればいい。

 ほい、新しい小皿」


 少しムスッとした顔になったシュウは、少し不機嫌そうな口調になっているが、店員が仕上げた後に置いていった新しい小皿をクリスに手渡す。


「ありがとう」


 クリスはシュウに礼を言うと、少し誂い過ぎたと反省しつつ皿を受け取って正面に置く。

 そしておもむろにコテを持ってお好み焼きに刺した。ちょうどビリケンさんの顔の中央である。だが、表面にある豚バラ肉がカリッと固く焼けていて、なかなか置くまでコテが入らない。


「やっぱり難しいかな? 一口大に切ってやるよ」


 シュウが店員が置いていった大きめのコテを持って、クリスの食べる豚玉を一口大に刻んでいく。

 まるで研いだなたのようにサクサクと刻んでいくが、切るときにシュウの右手首に繋がる腱が大きく動くのが見えて、要所要所で力を入れていることにクリスも気がついた。


 そうして、クリスの前には刻まれたお好み焼きが丸い形を保ったまま並んでいる。ビリケンさんの姿はもうわからない状況ではあるのだが……。

 これがまた「似ている」と誂われないためのシュウの作戦なのかも――などとクリスは考えながら、皿の上にお好み焼きを取っていく。


 一口大になった一〇個ほどのお好み焼きを皿に移したところでクリスがシュウを見ると、シュウは自分の豚モダンをコテで端から切っては、そのままコテに掬って口に運んでいる。


「それって行儀のいい食べかたなの?」


 コテで切って、コテでそのまま食べる姿は少しものぐさに見えるのだ。

 だが、シュウはなんでもないことのように返す。


「うーん、地元の男はだいたいコテで切ってコテで食べるんだよ。これが通の食べ方だって言うんだけどな、たぶんだが……」


 シュウはコテの先が鉄板の上に掛かるように置く。


「こうして置いてしまうとコテに熱が伝わって熱くて持てなくなるからだと思う」

「なるほどぉ……」


 シュウの具体的な説明にクリスも納得したようだ。


「先に全部切るんじゃなく切りながら食べたいけど、箸とコテを持ち替えるときに置き場所がなくて鉄板の上にコテを置いてしまう。すると熱くてコテを持てなくなるから、もう箸を使わずにコテだけで食べちゃえってことね?」

「そういうこと。でも、女性がコテで食べてるのはあまり見たことがないから、真似しないほうがいいぞ……っていうか、もう刻んでるんだったな」


 シュウがまたコテで一口大にモダン焼きを切り出すと、コテの端に乗せて口に運ぶ。


「あ、わざわざ端に乗せるのは口を大きく開く必要がないようにするためなのね。いっぱい知恵が詰まった食べ方だわ」

「それはいいから早く食べろ。皿に乗せたんだから冷めてしまうぞ?」

「あ、うん……」


 クリスは皿の上にある一口大の豚玉を箸で摘むと口へと運ぶと、口に入る前からかつお節の香り、青海苔の香りがふわりと漂ってくる。

 口の中に入ったお好み焼きは、舌に触れると油で焼かれた小麦と出汁の味が微かに感じられ、歯を立てると甘いキャベツの汁や、ひりりとした辛味の紅生姜の味が広がって、ソースや豚肉、かつお節とマヨネーズの酸味とコクが口の中に広がってくる。一回、二回と噛んでいくと舌が無意識のうちに口の中を混ぜてしまい、様々な味が口の中で重なり、一体となって押し寄せてくる。

 特にソースとマヨネーズという組み合わせは強烈に口の中で存在感を主張してくるのだが、生地にしっかりと含まれた出汁と仕上げに振りかけられたかつお節の旨味がそれを抑え、まとめあげてひとつの「おいしい」を作り上げる。


「んーっ、美味しいっ!」


 クリスは足を少しバタバタさせると、今日一番の笑顔をみせて、シュウに感想を伝えた。


「焼きそばと違って、ソースとお好み焼きが一体になってるっていうの? なんか、いろんな味がまとまっていて、本当に美味しいわ……」


 既に二個目を箸に摘み、うっとりとした表情をしてクリスはお好み焼きを見つめる。

 そしてまた口の中へお好み焼きを入れ、味わうように噛み始める。


 その一部始終を見つめていたシュウは、嬉しそうに笑顔になる。


「そっか、気に入ってもらえたようでよかったよ」


 そしてホッと安堵したような表情を見せると、シュウもコテでモダン焼きを口に入れると残ったビールを飲み干した。








 クリスには半分の焼きそばと、豚玉。

 シュウは残りの焼きそばと、豚モダン。


 ふたりはしっかりと堪能し、またシュウはクレジットカードで支払いを済ませた。


 お好み焼き屋を出るときには外に行列ができていて、この店が超人気店であることをクリスは知った。


「ねぇ、すごい人が並んでるわ」

「この店は有名だからなぁ……それに、このあたりは外国人含めて観光客が多いから余計に混み合うんだよ。ところで……」


 シュウはクリスの方に向き直ると、忘れていた大事な質問をする。


「クリスは今日は何時間くらい起きてる? いや、オレの店に来る前は起きてから何時間経ってたか覚えてるか?」


 クリスはお好み焼き屋の提灯をぼんやりと見るように思い出す。

 朝起きて久しぶりに家族全員で朝食を摂ると、すぐに開かずの扉の前に連れて行かれたのだ。


「そうね、二時間くらい前かしら……それがどうかしたの?」


 シュウは日本とクリスがいた世界との時差を把握していなかった。

 一般的にほとんどの人たちは朝七時から翌日の二時くらいまでが活動時間帯だが、シュウの場合は深夜メインの営業をしているので時間感覚にズレがある。


「いや、いまは十八時なんだけど、オレの店に来たのが今から十二時間くらい前ってことになる。だから、クリスは十四時間は起きたままってことだから、そろそろ眠くなるかなと思ったんだ」


 クリスはその気遣いに嬉しくなったのか、ニコリと笑ってシュウに返事する。


「ううん、まだ大丈夫」

「そっか、でもまぁ店に戻って荷物持って家に帰ろう。これからが本当に混み合う時間帯だから、逸れないようにまた……」


 クリスは差し出されたシュウの左手に自分の右手を重ねると、シュウに引かれて相合橋筋商店街の方向に向かって歩き出す。

 時間帯が変わってだんだんと日が沈んできたのか、振り返ると西の空が赤く染まっている。

 クリスにとっては日が沈むということは、月明かりや松明、ランタン等がなければ歩けない時間帯ということだ。


「ねぇ、シュウさん。エステラが沈んじゃうわ」

「エステラ?」


 シュウはエステラの意味がわからない。が、クリスが見つめている方向を見て理解した。


「ああ、クリスの世界ではエステラと呼ぶのか……ここでは太陽と言うんだ。お陽さまとか、他の呼び方もあるけどな。それが沈むのは当たり前のことじゃないのか?」

「真っ暗になるじゃない。そんなところ歩いてだいじょうぶなの?」


 シュウはここで気がつく。

 デパートや自分の店、洋食屋、さっき入ったお好み焼き屋……すべて室内でも煌々と蛍光灯やLEDの照明が使われていたが、クリスはそれも魔道具だと思っていたのだろう。


「えっと、クリス? 今まで建物の中に入っても明るかっただろう?」

「ええ、光苔石こうたいせきを使ってるんでしょう? デパートの中の明るさは驚いたわ。あんなにも高価な石がふんだんに使われていて、とても明るかったもの」

「いや、そんなんじゃない。違うんだ……」


 二人はちょうど相合橋筋商店街に入ったところにいた。南西角に銅板で焼くホットケーキと珈琲が有名な喫茶店がある場所だ。

 しかし、シュウはそこで店のある方向とは逆に向かうことを選ぶ。


「少し遠回りだけど、こっちに行こう」

「え? いいけど……なにかあるの?」

「そうだな、来ればわかる」


 特に急ぐわけでもないが、ゆっくりでもない……。

 左右にある店は飲食店がずらりと並び、今から酒と食を求めて店に入る客たちが秩序なくアーケードの下を歩いている。


「ねぇ、どこまでいくの?」

「そこの橋の上だよ」


 クリスが尋ねると、シュウは何でもないことのように答える。

 アーケードの先に見える橋はたしかにそんなに遠いところにあるわけではない。ただ、周囲に人が多く、日が沈みかけて暗くなっていく街がクリスは怖かった。

 だが、アーケードを抜けた先にある橋の上に立つと、クリスは目を瞠った。


「わあ、すごく夕焼けが綺麗な場所ね」


 道頓堀川に並ぶ様々な商業ビル。名物のグリコの看板、今は動かないドンドンホーテの観覧車などいろいろなものに電源が投入されて輝き始める。

 赤くなった西の空が少しずつ夜色に変わっていくのだが、この川の両側は月明かりよりも明るく、川面に反射する人工的なネオンの色がとても幻想的に変わっていく。


 クリスはそれをただただ黙って見つめていた。


「どうだい? これはなんちゃら石などじゃなくて、科学の力……電気で灯された明かりでできているんだ。デパートやオレの店、テレビやタブレットなんかもこの電気で動いているんだ」

「すごいわ、まるで昼のように明るくて、テレビやタブレットのような便利なものがある。日本って本当にすごく文明が進んでる世界なのね!」

「ああ、だから家に帰るのに真っ暗になるという心配は不要だ。安心して帰ろう」

「うん!」


 すると、橋の欄干に両手を乗せて景色を見ていたクリスは自らシュウの左手を握る。


「人が多くて逸れるとたいへんだものね?」

「ああ、そうだな」


 シュウとクリスは来た道を戻って店に向かった。

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